見出し画像

自分が落ち込むとき

 日本にいる時よりも自分のことを客観視出来ているような気がする。その中でも最近、自分のことに関して気が付いたことが、「自分がどんな時に落ち込むか」だ。これを読んでいる人も自分自身がどんな時に落ち込んでいるか、考えてみて欲しい。親や先生に怒られた時、自分が思ったように上手くいかなかった時、好きな人に振られてしまった時など。人によって様々だと思う。もちろん自分も誰かと衝突したり、誰かに嫌悪感や明らかな悪意のようなものをぶつけられたら落ち込むだろう。しかし、それよりも自分を落ち込ませるようなことが二つあることに気がついた。それは本当にしょうもなくて、他の人からしたら、「え?そんなこと?」と思ってしまうようなことだと思う。


 まず一つ目だが、「クーポンや割引券などで少し安く買えたのにそれを忘れてしまった時」だ。例えば、スーパーに行って買い物をする。今日の晩ご飯を考えながら、今日は豚肉とじゃがいもが安いから肉じゃがにしよう。たくさん煮た余りでカレーを作っても良いなと考えながら、材料を選びレジに並ぶ。そしてそこでふと、今朝の朝刊にこのスーパーのチラシが入っていたことを思い出すのだ。「あぁ、、チラシの下に【お会計より5%割引】のクーポンが付いていたじゃないか!(じゃないか…じゃないか…ないか…)」しかし今からこのカゴを置いて、レジのお姉さんにクーポンを忘れたから取りに行くのだと説明して車に乗って取りに行くのも格好が悪い。レジのお姉さんからしたら帰ってくるか分からないこいつは信用していいものなのか、それとも今夜はカレーらしき材料をたくさんカゴに入れて結局何も買わないという新手の嫌がらせをする輩なのか、分からずに不安になることだろう。そうして結局、「お会計より5%割引」のクーポンを忘れたことを心の中にしまい、何事もなかったかのようにニッコリと「今夜は肉じゃがなんです^ ^」と他愛もない言葉を交わして、持参のカゴに商品を詰めてもらって帰るのだ。もちろん心の中の自分は四つん這いになり大声で叫んでいる。(「うわー!!!」)しょうもないと思うかもしれない。だけど、こんなことが帰り道を運転している時に、はたまた肉じゃがを作っている時に(きっとみりんと食物酢を間違えて入れてしまう)、晩御飯を食べてお風呂に入っている時に、そして布団に入って羊を数え終わるまで自分を苦しめるのだ。(ひつじを数えるどころか、5%割引出来たらお会計はいくらだっただろうと計算して眠れなくなっている。) まだスーパーで財布をすられる方が、急に強盗が入ってきて有り金全部持っていかれる方が、「お会計より5%割引」のクーポンを忘れるよりは、自分にとってマシであると、そう思えてしまうのだ。


 そして二つ目は、自分が言った(または送信した)言葉について、「ああ、もうちょっと良い言い方があったな。」とか「なんか順序とか使っている言葉に違和感があるな」とか思い返して落ち込むのだ。これは言い方が悪くて人を傷つけてしまったばとかそういった類の話ではない。もっと、文字的であったり、文章的であったり、それが配置される場所であったりの問題だ。そうそう、それで思い出したけど、ラインで文章を送った時とかに自分が思ったようにうまく改行されなかった時とか、インスタグラムのストーリーの文字のテロップや場所にしっくり来なかった時に「ああ、これじゃなかったなあ」感が後から自分を襲ってくる。それで、それまで時間をかけて打っていた文字やインスタグラムのストーリーを消してしまうことなども少なくない。どうしてかは分からないけど、割と昔からそうなのだ。特に学校などで人と会った時、急に会話することになって、もちろん内容はうまく伝わっていたのだが、その人と別れた後とかに「なんか文章中の言葉の順序が違かったな、、イントネーションが少しおかしかったな、、」とか思って、1人で歩きながらボソボソ呟いて言い直していることなどもよくある。

 なんでこんなしょうもないことで落ち込むんだろうなーと思うけど、なかなか直らない。あなたにはどんな落ち込みエピソードがありますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?