近鉄バッファローズ

野球を好きになった頃は阪神ファンで今現在はオリックスファンとなんかごちゃごちゃした私ですが何故オリックスファンなのか?とファンになったきっかけを聞かれることが何度かありました。
関西では阪神ファンが多くを占めており関西ローカルの朝の情報番組や新聞等のメディアは勝っても負けても阪神タイガースの話題ばかりなのでこの手の質問は慣れっこです。
オリックスファンになったきっかけを記事にしていこうかと思います。

↑こちらに阪神ファンおよび野球が好きになったきっかけを書いています。

野球を好きになってから気付いたのですが周りの同級生も阪神ファンばかりでそのような状況ですから阪神ファンだと仲間が多くて話も盛り上がる。
広島ファンの友達がいましたがそれが理由で仲間外れにするといったこともないので他球団のファンでも問題はないのですがやっぱりなんで広島ファンなのかは聞かれていました。
冒頭でもお話したとおり関西ではテレビも新聞も野球は阪神!みたいな雰囲気があることで他球団のファンは肩身が狭そうと子供ながらに感じていました。

その頃のタイガースは俗に言う暗黒時代。
よくよく考えると阪神ファンも肩身が狭い時代でしたね。(もっとも阪神ファンは生涯一度も肩身が狭いと思ったことはないでしょうが)

以前から家族でよく行っていたお好み焼き屋があったのですが壁には沢山のサインが貼っていてお店のおばちゃんに聞いてみると近鉄バファローズの選手のサインとのこと。
野球に興味がない頃にはなんとも思わなかった壁が一瞬にしてお宝の壁に見えたので物の価値っていうのは受け取り手によって変わる良き例だと思う。

おばちゃんが言うには近鉄バファローズの選手がちょこちょこ来るのでサインをもらって飾っているとのこと。
おばちゃんが野球好きならサインもらっといてあげると言ってくれました。
野球を知ったばかりでセリーグ以外の選手も知らないのが正直なところで近鉄の選手と言われてもピンと来なかったのですが野球選手のサインがもらえると聞いて喜ばないほど私は気難しい子供ではなかったです。

おばちゃんの「誰のサインが欲しい?」に対しても「あんまり分からんけど誰のサインでも嬉しい」という正直かつ少し失礼なやり取りがありましたが次に行った時には約束通りサイン色紙を渡してくださり私の人生初の直筆サインとなりました。
サインを書いてくださった選手は的山哲也選手で当時の背番号は57できちんと私の名前まで書いてくれていました。

的山哲也さんは引退されてから現在も福岡ソフトバンクホークスでコーチを務めており常勝ホークスを支える活躍をされております。

そんな的山さんからのサイン色紙だけでも嬉しいのですが野球のチケットまでくださり招待チケットで近鉄バファローズの試合を観に行けることに!
場所は大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)でその当時は出来たばかりだったので行けるのだけでも嬉しかったです。

父親も行きたかったみたいですが仕事の都合で行けないため祖父と行くことに。

祖父も私もパリーグにあまり詳しくなかったが対戦チームのオリックス•ブルーウェーブにはイチロー!田口!谷!このように有名選手だとセ•パの壁を越えて知っていました。
今思えば現役のイチロー選手を球場で観た経験って野球ファンにとって素晴らしい思い出ですね。

そんなイチロー選手より印象に残った選手がいました。
タフィ•ローズ選手です。ローズ選手といえば近鉄•巨人•オリックスで活躍した助っ人外国人です。
よく球場で子供が選手に向かって「ボールくださーい」と声を掛けてるの見かけますが私もその1人でした。
試合前に左投げの外国人選手がキャッチボールをしている所に行って「ボールください」と言ってみると「アトデ」と言ってくれたのでずーっとキャッチボールを見ているとベンチに帰る際にフェンスの上に向かってボールを投げてくれたので

"ほんまにボールくれた!"

約束守ってくれた!やったー!
そんな気持ちで落ちてくるボールを捕ろうとした瞬間

スッと横から手が

何が起こったのか分からなかった。

気付くとボールを手にして喜ぶおじさん。

ローズ選手と目が合うと何かおじさんに向かって言っていたがおじさんはボールを持ってどこかに。

ローズ選手も悲しそうな、なんとも言えない顔でベンチに戻っていきました。

それでも私はボールを横取りされたショックよりちゃんと約束を守ってボールを投げ入れてくれたファンサービスに喜んでいました。
その出来事をきっかけにローズ選手が大好きになり帰りにサインボールを買ってもらい近鉄バファローズのことが好きになっていきました。

このようなきっかけがあり近鉄ファンになったのですが先程も記したように周りの環境も阪神ファンこそ正義!
このような環境ですので近鉄バファローズに興味を持ったものの堂々と近鉄ファン!という感じでもなくリーグが違うからどっちも応援するという俗にいう兼任ファン。

それでも近鉄が好きで試合に行ってる事は周りにも言わなかったしやっぱりあの頃のパリーグってそんな扱い。

転機でいうなら2001年。
この年から新庄剛志選手が阪神タイガースからメジャーリーグに挑戦しニューヨーク•メッツに移籍。
新庄選手が阪神ファンになるきっかけだった私にとって新庄選手のいない甲子園はタコが入ってないたこ焼きぐらいがっかりだ。
いや、これはもうたこ焼きじゃない。
これを機に阪神タイガースファンとしての気持ちが薄れて行った。

今まで阪神だの近鉄だの言っていたが私の父親は巨人ファンだ。
なので甲子園に一緒に行くのはいつも祖父か友達だった。
そんな父親とも近鉄の試合は一緒に行くことがありこれが嬉しかった。
2001年は何度かドームに足を運ぶにつれチームは大躍進!

特にこの年の9月24日は私の野球観戦史上最も印象に残っている試合である。
この話は長くなるのでまた別の記事で書くとしてこの2日後の9月26日にバファローズはパリーグ制覇を成し遂げる。

投手陣が打たれてもそれ以上の攻撃で勝利を掴む

「いてまえ打線」


なんかかっこよかった

優勝を決めた日も9回裏開始の時点でスコアは2-5
近鉄は3点差をつけられていたのだがヒットとフォアボールでノーアウト満塁にするとここで登場したのが代打•北川博敏選手

この北川選手はタイガースに入団したのだが2001年シーズンよりトレードにてバファローズへやってきました。
タイガースでは出場機会に恵まれずでしたがバファローズではここぞという時に打ちまくって梨田監督からの信頼も厚くこの日も球場のボルテージが最高潮の場面での起用。

相手は大久保勝信投手
オリックス•ブルーウェーブの守護神である。

ノーアウト満塁で3点ビハインド。

点差でいうとホームランで4点入るので逆転である。
私はTVを見ながらそう思った。

私だけではなくそう考えた人も多かったはず。

それと同時にそんな漫画やアニメみたいなシーンがあるわけないと。

バッター北川に対する一球一の度に呼吸を忘れそうになる。

そんな呼吸を忘れるほど期待を持てる選手かといえばイチローや松井秀喜、王•長嶋などの名を馳せた選手達と比べると足元にも及ばないが近鉄ファンは北川博敏という男に期待をしていたであろう。

2ストライクに追い込まれてから北川が振り抜いた打球の行方は

大阪ドームのバックスクリーン左側のスタンドへ

代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン!

いや、こんな事ある?

そやけどこれほんまにあった話。

打った瞬間走り出してから北川選手のバンザイしながらのクルクル回ってピョンピョン跳ねる仕草とかベンチから選手が出てきて喜ぶ様子とかなんかこの興奮って言葉じゃなく皆さんYouTubeで一度でいいから見てみてください。

代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン

って検索したら動画出てきますので。
それぐらいプロ野球史に残るドラマチックな優勝決定シーンです。

この優勝もあって関西メディアでも大きく取り上げてくれたりヤクルトスワローズとの日本シリーズが地上波で放送されたおかけでバファローズの選手を身近に感じる事が出来ました。
結果として日本一には及ばずでしたが本当にかっこよかった!

翌年以降も2002年が2位、2003年が3位と上位には食い込むものの優勝とはいかず2004年は5位でした。

この2004年は球団の身売りやら吸収合併•1リーグ制へのプロ野球再編などからプロ野球史初のストライキが決行された年でした。
結末としては大阪近鉄バファローズという球団が歴史に幕を閉じることとなり2005年からはオリックス•ブルーウェーブへ吸収合併されオリックス•バファローズとして新たな歴史を歩み始めることとなりました。

それと同時に私はプロ野球から離れていきました。

そんな私がオリックスファンになる日はもっと先のお話です。

長くなったのでこの辺で。
また続きます。


最後になりますがタイトルの【近鉄バッファローズ】ですがファンならお気づきだと思います。
バッファローズではなくバファローズが正しいのでこれを機に覚えていただけると幸いです。

ちっちゃい「ツ」は無しで
バファローズです!



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