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Later talk:Uwajimaya 愛媛との繫がり

皆さんご存知かもしれませんが、今回訪れたシアトルには愛媛との縁深い「宇和島屋」というスーパーがあります。

こちら創業はもちろん、愛媛の方。
宇和島出身の方…ではなくて、宇和島で商売の修行をした八幡浜出身の方なんだそうです。

宇和島屋-Wikipedia

宇和島屋は1928年に森口富士松によって設立された[4]。森口は現在の愛媛県八幡浜市の出身で、宇和島市で商売を学んだ後に渡米し、ワシントン州タコマで働いていた。当時ピュージェット湾地域では製材所や港湾で多数の日本人が働いており、宇和島屋は彼ら向けに豆腐や蒲鉾などを製造してトラックで販売したり、商店を営んだりしていた。
1942年に太平洋戦争が勃発すると日系人は収容所に収容される事となり、宇和島屋はいったん業務を停止する事となった。その後戦争が終わり日系人が解放されると、宇和島屋はシアトルに位置を移して再開した。店舗は戦前、日本町として栄えたサウスメイン・ストリートにあった[4]。また、この時期から日系だけでなく、他のアジア系やそれ以外のニーズにも対応した品揃えを行うようになっていった。
1960年代に入ると宇和島屋は大きく発展することとなる。そのきっかけとなったのは1962年にシアトルで開催されたシアトル万国博覧会であった。万博に出展したことで知名度は大きく上昇し、また地元での評判も上がったのである。さらに、経済発展に伴って日本から多くの船員や企業などの駐在員がシアトルを訪れるようになったことも宇和島屋にとってプラスとなった。1970年には少し南のキング・ストリート沿いに移転し、店舗も20000平方メートルに拡大された。
急激に人口が増加し、また日本人駐在員も多く住む地域であった事から[2]1978年にはベルビューに、さらに1998年にはビーバートンに出店している。2000年にはシアトル店がさらに南のチャイナタウン付近に移転し「宇和島屋ビレッジ」をオープンさせた。

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太平洋戦争前にアメリカに移住し、他の日系人のみなさん同様戦争で色々ご苦労があったようです。

こちらに限らず、シアトルをはじめとするアメリカ西海岸へ移住した日本人の中には、愛媛県出身の方の割合がかなり高かったと伺っています。

こちらのマーケットのマスコットは牛鬼がモチーフになっているんですよ!

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店舗には創業者をフューチャーしたポスターが展示してありました。

今回のツアーでも何度かお世話になりました。

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日本語が通じる店員さんもいるし!w
日本で売ってる食材もたいていはここで手に入ります!
通路でお客さんと方が触れてしまって「Excuse me!」とかいうてたら、「あ、すみませーん」って返ってきたりとかw


宇和島屋ホームページ

英語ですが、歴史なんかも紹介されてます

シアトル宇和島屋物語

読ませてくれます!

北米報知の記事

愛媛の方の記事です

動画


さらにちなみに宇和島市ってどんなところ?って方にはw
宇和島市フォトギャラリー



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