見出し画像

スポーツ選手の挑戦に「そんなの無理」というひとびとへの助言

先日、バスケットボール日本代表の富永 啓生選手がNBAに入れるかという話がtwitter(X)で話題になっていました。
内容としては身長が188cmしかない富永選手にとって、平均身長約2mのNBA入りは至難の関門なわけですが、それが可能なのかどうなのかということです。
富永選手はもともとNBA志望であり、日本の高校からアメリカの大学に進学してでプレーしていますし、2023年のドラフトにもエントリーしました(最終的には取り下げましたが)。
なので、彼がドラフトにおいて指名されるかどうかについてあれこれ議論されるのは、まぁいたって普通のことなんじゃないかなとは思います。

ただ、それら議論を見ていて僕が残念だと思っているのは、「○○は絶対に無理」や「○○できないから無理」といった形の頭ごなしの否定的な意見でした。
これらの頭ごなしの否定的意見は富永選手に限らず、夢に向かって挑戦している多くのスポーツ選手に対して幾度となく発言されています。

私はこのような意見は表に出す意味がない、というよりもはや悪であるとすら感じています。
その理由をまとめることで、そういった発言をするひとが少しでも減ってほしいと思い、この記事を書こうと思いました。

ただ、「無理だと思うのもただの感想」「俺は分析しただけ」という意見のひとも多いと思います。
そこで、そんなひとたちがどのように表現を変えればよいのかについても考えてみました。
参考にしてくれる人がいればいいなと思います。


わたしが悪だと思う4つの理由

1.選手の可能性は完全に評価できない

まずは、絶対無理かどうかなんて誰にも分からない、ということ。
「無理」という根拠のほとんどは前例を参考としています。
これまで挑戦した人みんな失敗している、似たような選手はこんな成績だ・・・etc
では前例を覆す可能性は本当にゼロでしょうか?
ここから前例のない成長をする可能性はゼロでしょうか?
答えは明らかにNoです。

例えば、メジャーで活躍する大谷翔平選手の成績を事前に想定できたひとはどれだけいるでしょうか。
NPBに入団前、MLBへの入団前にあったほとんどの声が「そんなの無理」でした。
しかし結果はみなさんもご存じの通りです。
そのひとの持つ可能性を我々が予測することは絶対にできません。

これはもう少し目を広げてドラフトを考えるのも分かりやすいです。
鳴り物入りで入団した新人選手がみんな活躍するでしょうか?
答えはNoです。
これはとんでもないお金が動いているプロスポーツの世界で、その道のプロであるスカウトが目利きしたドラフト選手ですら成功するかは分からないということを示しています。
NBAだってドラフトにすらかからないランクからオールスターになった選手もいれば、ドラフト1位指名でも活躍できなかった選手もいます。

つまり、その選手がどのように成長するのか、どんな結果を残すのか。
プロで通用するのか、通用しないのか。
選手の可能性のすべてを想定するのは、プロのスカウトでも無理難題であり、それはつまり素人である一般ファンには当然不可能なわけです。

2.そもそも実現が難しいことに挑戦している

これは当たり前のことなんですが、夢に挑戦しているスポーツ選手の語る「夢」というのはそもそも実現が難しいことです。
当たり前に成功できることにわざわざ挑戦する選手はいないです。

そして、そういった挑戦は難しいのですから、無理だと思われることなのは本人を含めてみんな分かっています。
そういう目標に対して、あらためてわざわざ無理だと言う必要ってあるでしょうか?

僕はないと思います。
普通に考えたら無理かもしれないことに自身のすべてをかけて挑戦する、限界ギリギリを絞り出すその姿や生き様に僕らは胸を打たれて応援するのです。
そんなときに「それは無理」とわざわざいうのは野暮ってもんですよ。

3.ネガティブワードは選手に悪影響を及ぼす

僕がこういった発言を悪だとすら思うのは、ネガティブな意見が選手の目に届く必要がないからです。
せっかく夢に向かって頑張ろうと思っている人に対しての「そんなの無理」というネガティブな意見は、ほとんどの場合マイナスに働くでしょう。
ごくまれに批判がパワーになるというドMなひともいるかもしれませんが、選手の多くは悪影響しか受けないだろうと思っています。

少なくとも僕自身はそうです。
そんな研究できるわけがない。お前なんか研究者になれるわけない。
そんなことを言われたら普通に傷つきます。
そしてこういったワードをtwitterのような場所で全世界に公開するということは、選手に届く可能性もあります。
そのような選手のモチベーションを下げるだけの意見をわざわざ発信する必要はないと僕は思います。

4.真実であったとしても喜ぶ人はいない

最後に考えたいのはその言葉をいったい誰が喜ぶのか、ということです。
仮に「無理」という言葉の通り、夢への挑戦が叶わなかったとしましょう。
その言葉をつぶやいた本人はそれを喜ぶのでしょうか?
「無理」ということを見抜けた俺はすごいのでしょうか?
周りから讃えられるのでしょうか?

また、挑戦している選手を応援している人にとっても意味のない言葉です。
無理だから応援するなということでしょうか?

スポーツにおいてひとの失敗を願い、ひとの失敗を喜ぶ、そういったひとが増えることは健全ではないと僕は思います。
少なくともその競技のファンであるならば、そういった考えはしてほしくありません。
従って、そのようなネガティブな予想を全世界に公開することはなくなるべきであると思います。

じゃあどうすればよいのか

ここまでで選手の夢を否定する言葉がむしろ悪であることは分かってもらえたかと思います。
でも、このようなネガティブな発言をしたひとみんながそこまで悪気を持ってこのような意見を言っていたかというと、そうではありません。
多くの人は現実のデータ(=前例)をもとに分析した結果を言っているだけなのだろうと思います。
だからこういった言葉がなくならない。

そういったひとたちに向けて僕が言いたいのは、少しだけ言い方を変えてほしいということです。

「無理かどうか」ではなく「どのくらい難しいのか」を評価する。

このように変えるだけでこれらの分析はネガティブからポジティブに移ります。
つまり、選手の前にそびえたつ壁の高さを示すことで、その選手の挑戦の難しさや価値が一般の人にも評価しやすくなります。

たとえば、こんなことがありました。

2022-2023シーズンのカンファレンスファイナル決勝 レイカーズvsナゲッツのシリーズとヒートvsセルティックスの2つのシリーズです。
4勝を先に挙げたほうが勝つNBAのプレーオフ。
これら2つのシリーズは、どちらも片方のチームが先に3連勝しました。
3連敗したチームがそこから4連勝して逆転することは至難の業です。
NBAの長い歴史のなかでプレーオフにおいて3連敗は149例起こり、そのうち4連勝で逆転できたのは0例。
つまり3連敗した時点でシリーズを勝ち上がる確率は0%なわけです。

そういった場合に前例をもって分析すれば「逆転できる可能性はない」「勝つのは無理」となるでしょう。
そこで表現を変えます。

「0%の壁を乗り越えられるのか?」
「150例目で初めてを起こすのか?」
「歴史を変えられるのか?」

このように書くことで、途端にワクワクしてくるんです。
そりゃ難しいことは分かります。
でもそういった壁に立ち向かっている男たちがカッコよく見えてくるんです。

富永選手の件だってそうです。
「アジア人で190cm以下でSGの富永選手がドラフトされるのは無理」
これではワクワクしません。
「富永選手がそれを打ち破って世界に歴史を刻めるか楽しみ」
こう書いたらもうワクワクですよ。

せっかく世界に発信するんです。
もっと世界をワクワクさせては、いかがでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?