情報の最適化って、結局のところ、いいことなの?

以前にもまして、この数年で情報を得る方法が多様化し、かつ、たくさんの方法が共存がしている状態が定着してきたように思います。

今日はFacebook運用を仕事にしている営業さんとずっと話し合っていました。同世代だし、Facebookに興味があるという点では似ているはずなのに、思っていた以上に共有できる情報が少ない。
よくよく話をしてみると、情報取得のルート(メディア)が違っていました。


例えば、会社では、いまだにFacebookに興味がない人もいるのだけれど、最適化されまくったわたしの今のFacebookは最強の情報取得ツール
(強いて言えば、リンク先に遷移させずにWebページを見せてくれるのはいいんだけど、日経系は毎回ログイン必要でめんどくさい)
さらに、Facebookだけでは情報がかたよってくるので、例えばランチ中、ルーティン的に他のキュレーションサイトをめぐってます。


面白いのは、いろいろめぐってるわりに、旦那さんや仲の良い仕事友だちはいつのまにか同じ記事を読んでいるところ。


かぶるのは大抵NewsPicksなんだけど、他にもどうやら似てる情報収集をしているようで、恋愛系や社会系のネタも共通話が出来ることも多々。


こうなってくると、今度は異なる情報取得をしている人とは、まったく共通の話題がない。大阪で盛り上がってる真田丸は見てないし、流行りの芸能人も知らない。ちなみに同じWebの世界にいても、わたしはYoutuberを知らない。仲の良い女友達とも話が合わない。


前向きにとらえると、こういう人との会話は新しいことに出会えるから、とても楽しい!(今日は面白いブロガーさん教えてもらいました。)


一方、後ろ向きにとらえると、みんな「自分か見えている世界」しか見てないから、怖いぐらいにまったく話がかみあわない。(特にPRの世界ではとても困る笑)



興味関心が細分化された世界になっていってるっていうけれど、うーん、何がみんなにとってプラスなのかはまだ見えない。


情報取得の方法も違うし、そこから得た情報はさらに違う。

最適化の結果生まれるのは、
自分の興味を深掘りしすぎて、周りに興味がない世界?
浅ーく、広く一通りの話題は押さえてるけど、深い興味はない世界?


「いい具合にブレンドした感じ」は、響きがいいけど、そう簡単にはいかなさそうです。

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