続 母が辛い。とても辛い。

また母への嫌悪が溜まってきたので書く。
文系は怒りが溜まると文章を書くよね。
プロレタリア文学の大文豪も、反戦を唱えた歌人もモチベーションは怒りと衝動だったに違いない。

前回のnoteは一月の三連休に書いた。
あの後、例の母どれくらい我が家に居たと思います?
なんと、二月第三週までいましたー!

途中、一時帰宅はあったものの、ほぼ二ヶ月いました!
しんどみーーーーー!!!!!!

まあ、やむ得ない事情があったものの、やっぱり辛すぎて延々愚痴ってたら、夫に体調悪い時に聞くのしんどい‥‥って言われて反省したのと、同じく母と娘の問題に悩む友人の続編読みたいと言う優しい言葉に煽てられて、今、こちらを書いてます。

前回の記事を未読の方はそちらを先にお目通し頂くのを推奨しております。
母と娘のクソデカ感情をご笑覧頂ければ幸いです。


母、娘の友人に接待をさせる

つい先日、大学時代の留学生だった夫婦共通の友人が我が家に遊びに来てくれた。
ゆっくり話したいし、折角なので日本の家庭料理をと思い、お夕飯にご招待したのですが、まだ家にいた母の態度はさもありなんだった。

その日は料理上手な夫が心づくしのおもてなしの料理(海鮮チラシ寿司、揚げたての天ぷらを提供 等)を作り、久々に会う海外からの友人を歓待した。

そしてまたしても、母は順当に私の地雷を丁寧に丁寧に踏み抜いていった。
魯山人もびっくりな美しい仕事ぶりだ。

あん???
わざとなんか????
いっそわざとの方がこっちも対処出来るんだが???


母が夕食に同席するのはまあ当たり前なので別に気にする事ではない。
この手の母親像への解像度が高い人なら、この後の展開は容易に予想がつくでしょう。

そう。
娘の友人を前に、おもてなしの場の主役として振る舞いはじめたのである。
しかも話す内容は、相手のことを立て、質問を投げるでもなく、求められてもいないのに、自分語りで埋め尽くされていた。

私ね、昔、あなた国のドラマ(20年以上前)にハマっていたの!!!!それに合わせて語学も勉強したけど今はすっかり忘れちゃったわ!ほら、あれ、俳優だれだったかしら?覚えたけどあの言葉、何て言うか出てこないわ!

とかオチも山もない、クッッッッソどうでも良い話を。

そのレベルの話で他人を一方的に付き合せるとしたら、それは完全に接待だ。
無償でやるの、ダメ絶対。

友人は優しくて気遣いが出来るとても出来た人だ。
更に彼女の母国は儒教の国だから年上を敬う文化がある。
母の全く面白くない話をニコニコ優しく聞いて、相手してくれた。
申し訳ない。本当に申し訳ない。

そして母に対する嫌悪が募った。
そのクソくだらない話は、旅先の貴重な時間(しかも海外から来た)を割いて会いにきてくれた、娘の大切な友人にするべき話なのか?????

しかも年末年始含めて、散々飲み食いして、あてがわれた完全個室で暖房使いまくって二ヶ月いたのに2,000円(健康ランドでの入館料、その他に飲食もしてるからそちらは勿論こっち持ち)しか払ってないのに、我が友に無償接待までさせるのか?????????
年末年始も含めたら二度目だぞ(前回の記事参照)、そのムーブ??????

ってなり、まーーーーーーイライラが止まりませんでした。
流石に途中から我々夫婦メインでの共通の話題が始まったら黙ってたけど、とにかく私の友人に接待を強要するのは本当に本当に本当に勘弁してほしい。

久しぶりに会う友人との会話は楽しく、お酒も飲んで大変盛り上がったが、母が会話に入ってくるとイライラした態度が時折抑えられなくなった。
そうすると友人の前でも拗ねるし(夫が楽しげに上手く仲裁に入った)、マジで勘弁してほしい。
友人にも気を遣わせてしまい、大変申し訳なかった‥‥。

更に厄介なのは、母は私の友人と話すのが大好きな事だ。
そりゃ皆、友人の母親には最大限の気を遣ってくれて、これ以上なく優しくしてくれるので気持ちいいに決まっている。
そして前回の記事の通り、気持ちよくなった母は娘をその友人の前で貶めて鼻の穴を膨らませるのだ。
無自覚に。

無償接待の強要は、完全に嫌われるクソ老害オヤジムーブそのもので、性別は関係ない事を改めて認識した。

私には母の血と教えがこびりついている。
気をつけよう。
同じ轍を絶対に踏んではならない。


母、ジャイアンになる
母のものは母の物。娘の物は母の物。

今回の長い長い滞在中の間、母の友人のお孫さん用に、我々の娘の服をお下がりに出来ないか、母から打診があった。
詳細は更に長くなるので省くが、母とすったもんだの押し問答をした挙句、それなりに質の良い、すぐ使えるように厳選した冬服を、大きな袋に2袋分、それなりの量をお下がりとして提供した。

子持ちの人なら分かると思うが、子供服を人に上げられるようにするのはそれなりの手間だ。
収納からサイズアウトした服を大量に引っ張り出し、一枚一枚サイズを調べ、シミがないかチェックし、選抜をし、必要なら洗濯をし、綺麗に畳んで相手に渡す準備をしなければならない。

勿論それをするのは私だ。母は何もしない。
年末年始の貴重な休みを費やして、私はお下がり用の服を整えた。

母は私が全て準備した大きな袋を持って、お下がりを渡すべく友人との会食にウキウキと出掛けて行った。

そんな風に手間暇かけてお下がりに出したが、私に対するお礼はほぼなく、事後報告もなかった。
母にどうだったの?先方の反応はどう?と私から聞いたら、やっと我が家の娘が着ていた、ワンシーズンしか着せられずまだまだ状態の良い可愛い無印パジャマを着た先方のお孫さんの写真をスマホで提示された。
先方も喜んでいたよ、ありがとねとその場で軽く母からお礼を言われただけだった。

そして後日、母から更に夏服もほしいとおねだりされた。
それに対して私は難色を示した。
何故なら冬服を上げた時点でそれに対するお礼が先方から私になく、別に金銭的な見返りは求めていないが、流石に非常識な人なのではと警戒感が出たのだ。

そんな人にまた手間をかけて準備するのは嫌だ、やる意義も義理もないと母に伝えた。
すると、母は当然のように言った。

先方にお礼はいいからって私から伝えたからよ!
だから娘ちゃんへのお礼はなかったのよ!


ドン引いた。
何で、その判断を母がするのか????
母が買ってくれた服(西松屋の安いやつ)もあるけど、我々がお金払って買ったり、夫の両親が買ってくれた服(ちゃんとしたブランド品)や、娘の服もお下がりはあるが相応のお礼した服である。

お礼の要不要の判断をなぜ母がするのか?

母がええかっこしたいだけに、我々夫婦の金銭的な負担と手間をなぜ無視するのか?

完全なるジャイアニズム。
娘のものは母のもの。
母のものは母のもの。

母のバックに剛田武が歌っている。
因みに母も音痴だ。
ここはジャイアンリサイタル。
逃れる術はどこにある。


母と娘の境界線

前述した同じく母がしんどい友人と話していると、娘にとって負担感が重い母は共通点が多い。
以下に書き出してみる。

・娘に対する依存心が強い
・娘の人生や友人と繋がりを持ちたがる
・自らのパートナーと機能不全になっているもしくはいない
・娘が苦労していると嬉しそうにする
・娘の負の気持ちに鈍感
・外面が良い

等である。
要因と結果についても色々考えたが、問題の根幹は
「母は娘との自我の境界がない、もしくは薄すぎる事」
ではないだろうか?

母は娘をある種、自分の(しかも従属的な)一部と捉えていると仮定すると、諸々の態度への説明が上手くできる。

母の無意識の思考プロセスを以下に推察する。

娘は私(母)の理解者であり、私自身の分身でもある。
だから言わなくても娘は分かるし

(娘は幼少期から母の思考をトレースするよう仕向けられてきた)、
じぶんごととして誰よりも親身になってほしいし
(娘からしたら親子と言えども別人格であり、他人だ)、
娘の今の恵まれた生活は、母である私の努力の成果であるので、その利益を享受するのは当然の事だ。
(一部は否定しないが、娘は自分の人生をずっと選択し、努力してきた)

こう考えると母の言動も理解はできる。
そして、娘である私が取るべき行動も朧げながら見えてきた。

娘の私が出来る事は母との間の境界線を、こちらから明確に引く事だ。

べっとりと張りついた、母の娘への同一化をひっ剥がすのは容易ではないが、やる価値はありそうだ。


終わりに

通院の関係で来月には早くも母の来訪が決まっている。
しかも、来月は喜寿のお祝いをしろ(正確に言うと、所謂祝ってくれてもいいのよ?の匂わせだが、十分意図は伝わっているので、これはほぼ強制である)と言われている。

考えるだけで憂鬱だったが、境界線を引く良いチャンスなのかもしれない。
どうすれば良いか作戦を練らねばならない。

結果は次があれば書こうと思う。
楽しみにしてくれる人がいれば嬉しい。

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