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「不動産ババ抜き」の時代(再掲)

初出 2022年9月9日

不動産から負動産へ

先週日曜日の日経新聞朝刊一面は「空き家問題」。2023年には住宅の総数が世帯数を1000万戸も上回るのだそうだ。それに伴って既に約849万戸ある空き家の問題が一段と拡大しかねないと警鐘を鳴らしている。

見出しおよび文中にある「住宅リストラ」というワードがざっくりしていてよくわからないのだけど、前後の文脈から考えるにおそらく、空き家の解体や解体後の土地の転用といったことを意味しているように思われる。

 空き家問題については新築作りすぎとか相続でもめるとか解体するインセンティブがないとかいろいろな理由が指摘されているが、最大の、というか根本的な理由は「経済的価値を失った不動産」が増えてきたということに尽きるのではないだろうか。

 新しい住宅を供給し続けてもそれと並行して古い住宅が除却されていくのなら、住宅の総数は変わらないので家は空き家もそれほどは増えないはずだ。しかし実際には除却されるべき古い家がそのまま残され、中古住宅流通市場でも値がつかない(=経済的価値を失った)不動産として滞留していく。最近はそういう、資産価値に乏しく売るにも売れないような不動産のことを「負動産」と呼ぶようだ。価値を生まない不動産は持っているだけで固定資産税や維持管理費がかかるのでまさに「負(マイナス)」の資産」である。

そもそも土地の所有権は放棄できるのか?

そもそも住宅は耐用年数が長いから、総世帯数を超えてなお住宅を作り続ければそれが余るのは当然だ。しかし、同じく耐用年数の長い自動車や家電製品などの耐久消費財ではこういう問題は起きない。なぜなら、当たり前の話だが、自動車や冷蔵庫は、経済的価値がなくなったら最終的には解体するなりスクラップにするなりして、除却というか処分というか、とにもかくにもその存在自体を世の中から抹消してしまうことができるからだ。もちろんその時点でそれらのモノに対する所有権も同時に消滅する。

 しかし不動産はそうはいかない。もちろん、建物は解体して除却できる。しかし、土地はどうだろうか。土地はほかの財と違って除却も滅失も廃棄もできない。当然移動させることもできない。というか、その不滅性というか永続性こそが土地という財の最大の特質なのだ。では、そんな特質を持つ土地をどうやったら手放すことができるのだろうか。いや、そもそも土地の所有権は放棄できるのだろうか。

 実は日本の法律では土地所有権の放棄について明確な規定はないらしく、現実問題としてはほぼ無理らしい。学説・判例いろいろあるみたいだけどとりあえずは「ほぼ無理」という理解でいいんじゃないかと思う。

 買い手がつかないような(=経済的価値のない)土地であっても、もう要らないからといって手放すことは事実上ほぼできないらしい。つまり要らなくても持ち続けなくてはならないということだ。そうなるともう、経済的価値を失った土地というのは「ババ抜き」のババみたいなもんである。

 そういえば、はるか昔、まだ土地神話(土地は必ず値上がりする)が信じられていた時代には「住宅すごろく」という言葉があったのだが、人口減少社会では「住宅ババ抜き」へとまさにゲームチェンジしてしまったということか。

 しかし、昨今の空き家や所有者不明不動産の増加とかを考えると、さすがになにか手を打たんといかんだろうということで、政府は昨年「相続土地国庫帰属制度」なるものを創設した(来年4月から運用開始予定)。

 これは、土地の所有権を取得した相続人が、一定の要件を満たした場合に、土地を手放して国庫に帰属させることを可能とする制度だ。対象は相続土地に限られるし、相続人が共有の場合は全員の同意が必要で、さらには10年分の管理費相当額をあらかじめ納付するなど、ハードルはそうとう厳しいものとなっていて、はたしてどの程度実効性があるのかは未知数だ。しかし、とにもかくにも要件をクリアすれば土地の所有権を放棄できるようになったということは、これは相当に画期的だなことだし、なにより時代を象徴してるなあと感心する次第。

 なお、この土地の所有権放棄問題、外国はどうなっているのだろうかを知りたい方は下記の文献が参考になると思われるのでご紹介しておく。米国のランドバンク制度にも言及されている。

石田光曠(2020)「世界の制度との比較から所有者不明土地問題の本質と 対策を考える ―特に引き取り手のない不動産の受取制度と相続開始後の管理及び登記 制度を中心に―」土地総合研究 2020年秋号

不動産ババ抜き時代の到来

 人口減少社会においては住宅やその土地に対する需要の総量が減っていくわけだから、全ての不動産が昔と同じように資産価値を維持し続けられるわけではない。経済のサービス化が進むことによって農地(第一次産業)や工場用地(第二次産業)の需要も減少する。かつては経済学の教科書に「土地、労働、資本が三大生産要素」と記述されていたが、知識社会においては生産要素としての土地の役割は低下しつつあるということだ。こうした流れが今後も進む限り、それだけ「ババ」化する不動産が増えていくということになる。

 しかもこの先、団塊の世代が天寿を全うする時期にさしかかる2040年にかけて、死亡数のさらなる増加が予想されているので(2040年で1,679千人と2020年比で22%増)、その子世代が相続を通じて「ババ」をつかむ(つかまされる?)機会もまたそれだけ増えていくということだ。

 

 さすがにこうなってくると、いつまでも「ババ」を個人に押しつけっぱなしで国は知らん顔、というわけにもいかないのではないか。都市計画の面から見ても、空き家・空き地の増加はそのまま「都市のスポンジ化」につながっていく。国土交通省も「都市のスポンジ化」対策に取り組み始めているようだが、スポンジの孔を埋める方策だけでなく、スポンジの孔が開かないようにする方策とセットでなければそれこそイタチごっこ、いやモグラたたきだ。国や自治体など公的セクターは、海外の事例も参照しながら、なんらかのかたちで個人の持つ「ババ」を引き取ることにもう少し積極的に関与すべきではないだろうか。

我が国でも山形県鶴岡市の「つるおかランド・バンク」ように、行政が民間事業者や地域住民と連携して空き家・空き地の有効活用に取り組む事例も出始めた。今後の展開に期待したい。


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