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■「わからんでいい」というモノ

「詩集」を読んで (17) 不定期刊

◇零余子回報 森本孝徳 思潮社 2015年10月刊

月刊詩誌「現代詩手帖」の新人作品投稿の選者は6月号に代わる。
毎年5月号で、年間最優秀新人詩人「現代詩手帖賞」を選び、翌月から新たな選者2人が担当するという流れ。
この手帖誌を読むようになったのがおととし暮れからだから、まだ2年にも満たない。昨年3月から投稿し始め、まったくカスリもしないというのは何度も書いてきた。
その、新たな選者の詩集を読んでやろう、と図書館にあったのが当該作である。
読んで…いや、読めないのである。
最果タヒの詩が、どれだけやさしいのか、と言いたくなるくらい。
この森本の詩は、読まれること、意味を取ること、理解されることを拒否している。
読めない字が多い。最果あたりは、文単位では理解できても、行が変わるとワケがわからないというのがある。
この森本――、文節ごとにわからない。
存在しない言葉も多用しているんじゃないか、と思うほどだ。

第66回(2016年)H氏賞受賞、第7回 (15年度)鮎川信夫賞候補、第21回(16年)中也賞候補…と「業界」では評価された詩集のようだが…。
現代詩の訳の分からなさも極まれり、といった感がぎっしり(詩集そのものはペラペラ)だ。

発達障害のある人が書いた詩か、と思ってしまいたいほどだが、おそらくそういう障害がある人はもっとまともな「文章」を書こうとするはず。
森本は、そんなものから、大きく外すことを意図してやっているのである。

情景描写も心象描写もしていない。ただの意味のない文字が並んでいる――としか僕には受け止められないのだった。

こんな詩を書く人が選者なら、こりゃ現代詩手帖に選外佳作になる可能性もさらにない――と思い、ため息をついた。
詩集のタイトルは「むかごかいほう」。

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