人間消失
紫乃 羽衣
この小説を手に取ってくださった方へ
この物語は、私が友人から受け取った原稿を、そのままに載せているものである。しかし、私とて小説家の端くれであるという自覚とプライドがあるので、このようなことをするのには良心が警告の赤い灯を回してくれていた。その友人が言うには「これは、自分が載せるのではいけないんだ。意味がない」ということらしい。
久しぶりにその友人を誘って酒を飲むことにした。狙いは言うまでもない。それに加えて、最終確認と念押しをするためである。金が絡むと人間関係は悪化するのが、お決まりのパターンとなる。面倒ごとは御免被る。
友人の飲み始めは、昔と変わらず可愛いサワーからであった。少しずつ強い酒にすると酔わないという友人独自の理論である。強かに酔い始めた時に本題を切り出した。これを書いた理由、本当に構わないのか、権利はどうするのか云々。一番重要な権利については、全て私にくれると言うのである。もらえるものは貰っておこうという関西人のDNAが働いたのと、友人の熱量におされた結果、そこまで言うのであればと気取ったことを伝え、この作品を発表するに至った。
二〇二四 作者 記
***
件名:小説出演の依頼です。
本文:作家H様
初めまして。私は、趣味で小説を書いている恩名燦と申します。急にメールでご連絡して申し訳ありません。先生のホームページにあったご連絡用メールアドレスからご連絡させていただきました。私は、現在小説を書こうとしているのですが、その小説の中で、H先生にご出演していただきたく依頼をさせていただきます。お忙しいところ恐縮ですが、お返事いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
私(つまり紛れもなく、この文章を書いている作家H)の元へ、一件のメールが届いた。塩焼きの鮭を温め始めてまもなくだったので、腹が立ったことを覚えている。それに、中身を読んでも何を言っているのかわからなかったし、あまりにも不躾であるようにも思われた。たしかに、私のホームページには、仕事依頼を受け付けるという旨の内容と、件名には依頼する仕事の概要を書くように掲載している。それにしたって、この小説「出演依頼」というのは、あまりにも突飛すぎる。「執筆依頼」ならば、まだわかる。エッセイを中心に書き続け、世間ではありがたいことに随筆家とという光栄な肩書きで読んでもらえるようになったので、それなりの自負がある。奇妙なのは、この「小説出演」という仕事である。何が言いたいかがわからない。真っ先に思いついたのは、小説で名前を出すことへの許可。これを小説家だから少し気取ったように「出演」と形容したのかと思った。ありきたりな表現を過剰に羅列するだけの自己陶酔がすぎる形容の一種に見えなくもない。次に考えたのは、私をモデルとした小説を書くことへの許可を、「出演」と形容したということである。しかし、この訳のわからなさがスマートフォンの画面に目を釘付けにする。少し冷えた鮭を食べながら、どうしたものかと考えた結果、食後の豆茶とともに、この要求を飲むことにした。
とはいっても、いざ書こうと思っていても、なかなかアイデアはやってこなかった。だから、少し縁があって取材に行かなければならなかった時のことを書こうかと思う。他の仕事で頼まれていったものだったが、企画担当者と出版社の上層部で齟齬が生じたらしい。相当に揉めたと後になって愚痴を言っていた。その担当者が言うには、「会議で一度通したものを、後になって今時はコンプライアンスがー、とか言ってんじゃねえよ!!!!って感じですよね(原文ママ)」ということらしい。
2月某日にその人を訪ねた。
その方は、幻覚やら虚言の兆候が現れるようになって精神病院に入院されている方だった。元より、夢想することが好きだったので、そこまで重く受け止めていなかった。実際、その特性を活かして彼は界隈では有名なインディーズの作家をやっていた。作品を読んでみたが、どれもこれもファンタジーや人類には早過ぎるような未来の物語が大半を占めていた。それなりに読み応えがあり、なるほどこれはと思えるものもあった。他の出版社の編集の方に紹介してもいいと思えるくらいではあった。
ただ、問題はその先にあった。彼には、他の人にはない症状が現れていた。埃及語を喋るようになったらしい。正確には、埃及語しか話せなくなっているということであった。彼の友人、家族、恋人に至るまで全ての人に聞いて回ったが、埃及語を喋ることができる知り合いはいないと言うことだ。また、渡航記録にしても埃及はもとより、この国から一歩も外に出たことがないことも確認した。
彼がそのような現状であるから、彼とのやりとりは、埃及語と日本語で行われたのであるが、それをそのまま書いてしまうと非常に読みにくい文章になってしまうので、全て日本語で書く。
***
「やあ、こんにちは」
部屋に入ると、私を見るなり爽やかに挨拶をしてくれた。私も、はじめまして、と軽やかに返した。部屋自体は、思っていたよりも綺麗だった。白がベースの少し淡いクリーム系の色。真っ白よりも圧迫感が少なく落ち着いて過ごせそうな印象であった。部屋の奥には少しだけ開くようになっている窓があり、明るい部屋だった。彼は、ベッドのリクライニングを立てて軽く体を起こした状態で座っていた。
「こちらは、作家のHさんです。私は通訳の小池です。よろしくお願いします。」
小池さんが手を伸ばすと、彼もその手を握り返した。
「ご丁寧に、どうも。私も名乗った方がいいですか?」
私が顔を横にふると、彼は満足げに頷いた。
「それにしても、いいお部屋ですね。明るくて綺麗です」
「そうなんですよ。意外ではなかったですか?」
「ええ、全く。本当にその通りです」
「Hさんも近代文学を読まれるので、わかると思うのですが、あれらの時代の作品に、このような役割の部屋が出てくると、作品全体の雰囲気というか、主人公の雰囲気というか…。まあ、そういうのに引っ張られてしまって、どうもこういう部屋が暗く感じてしまうじゃないですか」
「いや、全く」
「でも、本来は暗くあるべきじゃないんですよ。ほら、冬になるにつれて鬱になる人が増えるというじゃないですか。日照時間の問題で。だったら、部屋は自然光で明るくして、眩しいと感じるようであれば、カーテンなどで調整すればいいんじゃないかと」
「確かにそうですね」
「ああ、失礼。急に喋り過ぎてしまいました」
「いえいえ、結構ですよ。あなたのお話を聞きに伺ったのですから」
「これ以上話すと余計な話ばかりして日が暮れてしまっても話し続けてしまいますから。本題に入りましょう」と一時間くらい幼少期の話が続いた後に気を遣ってくれた。
「それでは、本題ですが、あなたは突然に埃及語を話されるようになったのだとか。どのようなタイミングで埃及語を話されるようになったのでしょうか」
彼は、「そうですね」と言いながら、水平より15度ほど高く視線を上に向け、八秒くらいの間をおいた後、顔の角度はそのままに視線を左斜め下へとずらし、3秒ほどの沈黙を重ね、左手で頭をかきながら、「あー、やっぱり、そうですね」と漏らした。そして、はあっ、と大きく息を捨てたのちに、口を閉じて鼻から息を吸い、ふむ、と半分ほど逃して眉間にシワを寄せ、目を細めながら口を開き始めた。
「いや、それが本当にわからないのですよ。ある日、目が覚めたら急にとしか言いようがありません。正確には、目が覚めた瞬間は全くわかりませんでした。朝起きて、いつもの天井を見て、寝転んだままグッと伸びをする。朝日に特有の白い光が心地よかったのを覚えています。時計を見ると六時四十五分の少し前で、心地よさとは裏腹に遅刻の二文字が頭をよぎりました。時間というやつは、誰の許可もなく勝手に進む。そのくせに遅刻したら怒られるのは私です。まったく、世界には不条理なことがあったものです」
私が苦笑いをすると、彼は、あ、失礼と言いながら本題へ戻っていった。
「あの日は、そのせいで朝ごはんを作る間もなかったので、とりあえず外に出られるだけの準備をして、大学へと向かいました。大学の中にあるコンビニで、パンを買おうとレジで会計を済ませようとした時です。急いで出てきたからか、財布を家に忘れてしまっていました。すでに、商品のバーコードの読み取りが終わり、馴染みの店員さんが笑顔のまま待ってくれています。しかし、ないものはないので、どうすることもできません。私が焦っていると、店員さんが『どうされましたか』と訊ねてきてくれました。財布を家に忘れてきてしまって、と告げると、店員さんの顔が笑った形のまま少し曇ったのがわかりました。そして、『すみません、なんですか?』と聞き返してきたので、再度同じことを告げると『冷やかしですか?』と言われました。私には、なんの事だかさっぱりわからず、かといって普段から仲良くしていた店員さんなので、聞き取れなかっただけかと思い、もう一度「そんなことはない、財布を忘れただけだ」と告げました。この三度目の言葉で違和感に気づきました。私自身の発した声は聞き馴染みのある音をしていませんでした。自分でもどうなっているのかわからずに、混乱してしまいました。ただ、思ったように音にならない。どうしようも無くなってしまった私は、Sorryと一言だけ言ったつもりで、逃げるようにその場を後にしました。
そうして、教室についてからスマートフォンの録音機能を使って自分の声を聞いて、さらに驚きました。これは、明らかにおかしいものでした。普通なら起こり得ないものでした。自分が想像した音が出ていませんでした。録音した自分の声は変に聞こえると言いますが、そんなものではありません。そもそも、日本語ですらなかったのですから。気がついたら、私はその音声を消して、スマートフォンを急いで隠すようにポケットの中にしまっていました。
授業が始まるチャイムが鳴ってからの記憶が、ほとんどありません。ただ、いつもよりも勉強に集中していたことだけは覚えています。貪るようにテキストを読み、教授の話しに聞き入りました。教授が、いつもよりもおしゃべりになっていたように感じたことは、ぼんやりと私の身体に染み込んでいます。講義が終わってから、私は一目散に家に帰りました」
私が、ただ聞かされた超自然の怪異は、あまりにも途方もなく、手に負えるものではなかった。妖怪のように何かしらの説明のための何かであるとかいうことはできなかった。目の前にいる彼が、冗談を言っているように思えなかった。とりあえず、今の話を続けてもらうしかなかった。
「なるほど。これでは突然としか言いようがないですね」
「本当にそうですよ」
「ただ先ほどのお話だと、異言語を喋るようになったかもしれないというだけで埃及語であるとはわかりませんよね。どうやって、それが埃及語だとわかったのですか。例えば、今時だとAIで認識できたりするので、それでしょうか」
「いいえ。私の友人の知り合いに語学に詳しい人がいて、その人が教えてくれたのです。家に帰ってから、友人二人と私の三人がいるグループチャットにボイスメッセージを送りつけました。どちらでもいいから早く気づいて、何が起きているのかを私に教えて欲しかったのです。絶対不審に思って何かしらを調べてくれるに違いないと思って。いや、AIなんて、あてになりませんからね。第一、AIを使って埃及語だと言われてもね、私自身が判断できないのに、どうやって信用しろと言うのですか」
「そうですね。そのご友人は、信頼のおける方だということですか」
「ええ、少なくともAIなんかよりは信頼できますよ。なんといったって、私は彼らと信念のもとに小説を書いてきたのですから」
「小説を書かれているのですか。どうりで近代小説の話が出た時に、説得力があったわけです」
私は、これが例のやつかと察した。
「我々は、三人で小説を書いていました。まだ、売れるには時間がかかるかもしれませんが、それでも、少しずつ作品を作っていきました」
「そのあたり詳しくお話聞かせてもらえますか」
彼は、夕暮れの先を見通すように外を眺めながら、ええ、と答えた。
「私はね、この話をするときは、いつもここからと決めているのです。そう、桃太郎しかり、かぐや姫しかり。ああ、そう。源氏物語もそう。昔々、あるところ、に、です。小説だって同じ話なら、いつ読んだって同じ出だしです」
私は、お願いします、と言いながらも、何か開けてはならないものを覗こうとしている気がしてならなかった。
***
私の故郷は、山に囲まれた田舎でして、とはいえ都市機能が無いわけでもないので、そこでしばらく大学院に入って研究をしておりました。一度は東京まで出たことはあるのですが、どうもあのビル群は息苦しくて仕方がなかったのです。実家はそれなりに裕福でした。昔からの名家というやつで、名前は知れていて土地も広く持っているので、米を作ったり、さまざまな野菜を作ったりしておりました。一応、これでも有名なブランドになっている歴史をもつ家です。
そういうわけで、両親は私に好きなことをさせてくれていました。この時代に文学で院生になるなど正気の沙汰ではありません。しかし、私は実家を頼みにして、そちらの方の道へと進むことにしました。
研究のテーマは、作品としては源氏物語ですが、より踏み込んだことを言うと、その語り手の性質と物語に与える影響でした。このテーマを発表した時には、近代以降の文学理論を持ち込むのは、どうのこうのというやかましい時代遅れな教授がいましたけれども、別にかまいやしませんでした。そりゃ、テクストが変わるかもしれない以上、そこを確定させるのが研究のステップとしての第一段階ですが、それを言ってしまったら何だってできてしまいますよ。ここまで流布したテクストがあって、お話しを一貫できているのであれば、誰が作っていようと、「源氏物語」として括ってしまって、その箱で物語の研究を進めなければいけないと思うのです。新しいものが出てきたら、シン・源氏物語みたいにすればいい。第一、それまでの物語研究がしっかりとしていたのであれば、新しく出てくる数瞬の物語にも筋が通っているはずですから。
類似作品を探してさまざまに考えるようにしました。結局は、何かしらのルール、公式を他の所から考えて、テーマにしている作品に当てはめるというのが私のレポートを書くときのパターンでした。つまり、アイデアが欲しかったわけです。ただのひらめきに頼るという、研究者の風上にも置けないダメなやつです。
修士論文を書かなければいけない時期に差し掛かり、それまで以上に本を読みました。正確に言えば、今まで読んだことがあるものも再度読み始めました。芥川龍之介の「河童」に始まり、中島敦の「山月記」もあります。夢野久作もありましたね。それから、いわゆるライトノベルというジャンルも読みました。他にも、海外の作品で言うとアガサ・クリスティの「アクロイド殺し」に、そうそう、芥川では「藪の中」も忘れてはいけませんね。ともかく、そのあたりの本を繰り返し繰り返し読んで、語り手と物語の関わりや、その語りが与える性質を探っていたわけです。そこには、私では考えつかないような、面白い発想が山のようにありました。そして、それと同時に、私も書いてみなければわからないのではないかと思うことが増えてきたのです。これが、私自身への言い訳であることも知っています。書かなければいけないのは、修士論文であって小説ではありません。しかし、もし、このロジックが正しければ、という好奇心が私を少しずつ「小説」へと駆り立てました。私はやらなければいけない方向とは別に研究熱心だったのかもしれません。自身の小さな仮説を追求しては書かずにはいられなかったのですから。
初めての作品は、三〇〇〇字にも満たない程に短く、拙いものでした。しかし、これを誰かに読んでもらいたいと思いました。これを誰かに読んでもらって、感想が聞きたい。素晴らしいと言ってほしい。表現やディテールはまだ不完全かもしれないけれども、今までに積み重ねられてきたロジックから作り出された、新しい表現を、その物語の解釈可能性を、その広がりを、見せつけたかったのです。出来上がった瞬間に、拙なさはある作品だと思っていました。しかし、それと同時に自ら作り出した作品が、文学の新たな一歩であると思えるとは想像にもしていませんでした。
問題は、この大事で複雑な作品が一般の人にわかってもらえるとは到底思えなかったことでした。この素晴らしさを見つけられそうな人間を記憶より探りましたが、思い当たるのは学部時代から仲良くしていた春見くらいでした。思い返せば、彼は大学の時分より小説を書く男でした。昨今の大学は、どこもそうなのかは分かりませんが、どうにも真に文学部生というものが存在していないように思われるのです。その点で言えば、春見はとても優秀な文学部生でした。何より、折に触れて送られてくる彼の小説は、読むに柔らかく、見えざる主題に芯の強さと人間の普遍を感じられ、心地よさと納得がいくものばかりでした。彼ならば、世間に知られていない、あるいは理解されないであろう偉大な功績を見つけてくれると確信を持ちました。
思いついた物語を書きたいという欲に駆られてから数時間経ち、日付が変わってしまってから、その適任者にワードファイルを送りつけました。送りつけてからというもの落ち着きませんでした。まるでラブレターを送った時のようです。私は、二分も経たないうちに、彼とのトーク画面を開いていました。早く既読の文字がつかないかと我慢することができませんでした。自分の送ったメッセージを意味もなく何度も読み返していました。勢いのままに送ってしまったメッセージは長文になっていて、少し申し訳なさが滲み出てきていました。
五分もしないうちに、今日中に来るのは無理だろうと諦めて、背の低いベットに腰をかけ、パソコンに文字を打ち込み続けて固くなった体を思い切り伸ばしました。そして、そのままの姿勢で後ろに倒れ込み、大きく息を吸い込み、天井に向かってゆっくり吐き出しました。気を落ち着かせようと、枕元にあったスマートフォンに手を伸ばして、ドビュッシーの「月の光」を流しながら目を瞑りました。これでもかというほどに繊細な三度のハーモニーが、ほとぼりを宥めてくれるようでした。雨が屋根を叩くカタカタとした音も、サワサワとした音も、開けた窓から入ってくる少し冷たい空気でさえ、音楽の一部に感じられました。弦が叩かれてから、次の弦が叩かれるまでの間が私までも流れの一部のように、ゆっくり浮遊していくかのような感覚を覚えました。
「ピョロロロロロロ」
と大声で空気も読めずに通知音が鳴りました。春見はいつも空気が読めませんでした。
「このくらいの長さなら、すぐ読めそうだから感想書いて送るよ」
言い回しに引っかかるところがいくつかあったのですが、それでもようやく読まれることがわかり安堵するのと同時に腹の虫が働き始めました。
この時、夕飯を食べることも忘れて小説を書いていたことに気がついたのです。
私は近くのコンビニエンスストアへと向かいました。両岸が桜並木になっている川を越えるとすぐのところに、この辺りで唯一、二十四時間営業のコンビニがあります。とはいえ、深夜になると置いてある商品の種類は少なくなってしまっています。店内の残りのものに目を通したところで、おとなしく辛いカップラーメンとカフェオレを買うことを決めました。会計を済ませようとスマートフォンを出したところで、春見から通知が来ていることに気がつきました。
「悪い」「打つの面倒だから電話してもいいか」とメッセージが来ていました。急いで会計を終わらせて、コンビニを出る前に、通話ボタンを押していました。
「ああ、春見。夜中にごめんよ」
「いや、いいんだよ、君が小説を書くようになるなんて思ってもみなかったからね。それに短かったからすぐに読めたし」
「あ、ちょっと待ってくれ」
店を出て、傘をさそうとした時に私が計算していたよりも腕の数が少なかったことに気がつきました。レジ袋と傘とスマートフォンをどの順番で持てばいいかわからなくなり、落とす覚悟で耳と肩で挟む旧時代式電話保持法を使い、傘を広げて、袋を傘の曲がった手持ち部分にぶら下げスマートフォンを手で持ち直しました。
「お待たせ」
「ああ、もういいのかい」
私は、もういいんだと言いながら歩き始めました。
「それじゃあ、感想なのだけれどね。まず一番はかなり実験的だと感じたんだ。それは、今から話していくところにも通じているのだけれど、というよりも、そのせいでこの話がしづらいのだけれど」スマートフォンから聞こえる声に、私は少し胸が躍りました。「話しにくい」という言葉が私の胸に突き刺さったのです。
「これがなぜ話しにくいかといえば、この小説には人称が存在していないんだ。地の文にあたるところに、”僕”も”私”も存在していない。彼も彼女も、峻もいない。つまり、人物名さえ出てきていない。だから、この小説は誰が語っているかがわからないんだ」
春見は、順当に私の意図を汲み取ってくれるように話してくれました。ただ、あいつはそういうところがあるやつだとも知ってはいるのですが、実際にこの状況になってしまうと、喜びの方が勝るものです。気がついたら、私は黒く塗られた桜並木と川の流れに向かい合うように橋の上で止まっていました。あの時の私は、口ではなるほどと言ってはいましたが、きっと声は揺らいでいたことでしょう。
「しかし、メタ的なこと言えば、これで一本書き上げるのも大変だったと見える。この途中で登場した女性に語らせていくのは正解だったな。この人のセリフ内では、人称を消していないから話しを書きやすそうだ。そして、この視覚的な使い方はなんとも言えないな。少し狡いような気もしてしまうが、まあ、好みだろう」私は、少し傘を強く握って、真上にある電灯に照らされた雨粒たちを見ながら、そうかと返しました。
「ただ、この人のセリフの肝はそこじゃない。物語の8割がこの一つのかぎかっこの中に収まっているということだ。そう。これは、聞いている側に焦点を当てながらも、その実、実際に多くの体験を語り、物語の中心になっているのは、途中から出てきたこの女性の方なんだよな。どう考えたって。つまり主人公は誰なのかが難しい。もちろん一番外側にいるのは、誰と言えばいいかわからない『誰か』であるのは間違いないのだが、多く語っているのは女性の方。さあ、どうしたものか。そんなところだな。どうだ、初めて自分の書いた作品に感想を言われて」
私は、このふわふわとした感じをなんと言葉にすればいいか悩みましたが、水たまりに映った自分の口角が思ったよりも上がっていたことに少し驚き「ちょっとだけウザいな」と返すと、春見はそんなもんだ、と笑っていました。私は、送る前に胸中にあったことを伝えていきました。今思えば烏滸がましさのあるようなものばかりでしたが、それでも春見は嫌な顔をせず答えてくれていたように思います。春見という男は、そういう人間なのです。
私は、それからも、書き上げるたびに春見に送りつけていました。彼の感想は私を満足させるものばかりでした。二作目から連作として書いていたものの完結作を送ったあたりで、春見から文芸サークルに入らないかと誘われました。話をよくよく聞くと、純文学を主に取り扱うアマチュア小説家の集まりでした。
元々、同じ文学部の国文学科に所属していた仲間内で始めたらしいのですが、そのうちの一人が時間の都合がつかなくなったと辞めてしまったらしいのです。ただ、二人で回すにはあまりにも重すぎて中途半端な活動になりかねない。そのために、私を誘ったということらしいのです。彼が言うには、「何も欠員補充のためじゃない。君が前読ませてくれている小説のように実験的な、意欲的な作品を描ける作家がいてほしんだ。周りの刺激にもなるし、やはりそういう作品が一番面白い。しかも、あの日送って来た小説が君の初めて書いた作品というじゃないか。才能の塊だよ」と白々しさにおいては天下一品の熱い演説によって、私は彼らの文芸サークルに入ることが決まりました。そして、私は瀧澤という男に出会ったのです。
***
瀧澤は、堅物でした。本人が言うには、寺の息子であったから、ある程度は世間とずれてしまっているのを自覚しているとのことでした。さらには、なんとも言えない頑固さも持ち合わせていました。なにせ、医者になれという学費の出資者からの依頼を断ってでも、文学と哲学に邁進しようとしたのです。側から見れば不実な行動でも、彼の中では一つ筋が通っているのです。それが切れてしまうということが、何より彼を困らせるものでした。
最初は何をどうすれば軽薄を人型に固めたような春見と、この瀧澤が意気投合したのかがわかりませんでしたが、それはすぐに解決しました。結局、二人は文学や哲学の話になれば、そこに対しては真面目でした。つまり、趣味が合って話が合えば仲良くなれるという単純なものでした。
そして、この男は小説を原稿用紙に手書きしていました。私が入ってから半年ほどの活動の間にも、お互いの作品を読み論じ合うことが多く行われました。そこで瀧澤が新作小説を送ってくる時にも、原稿用紙に手書きしたものをわざわざ写真で撮って送ってくるのです。それを読むのには少々骨が折れました。何も手書きが悪いと言うわけではありませんが、効率には欠けるものであるように思いました。それにしても、一人一台は電子機器を持っているような時代に、手書きで文章を書くのは、かなり根気のいる作業のように思います。そういうところでも、瀧澤の頑固さというか、こだわりの強さのようなものが見えていました。
ここから先は
『行街』バックナンバー
行街で発表された小説です。
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