なにもしたくない日の話
泊木 空
何処か、何かで頑張っていると、なにもしたくない日がやって来る。
そういう日、働いているときは無理やり身体をいつものように動かして、
食欲もないのにご飯を食べ、怠いのに歯を磨き、寝巻きを脱ぎたくないのに脱いでスーツを着て、あくびを何度もしながら、靴を履く。
今日はそういう日。
まじないみたいに繰り返し、今日はそういう日、と口ずさみながら仕事場に向かう。
仕事中に不機嫌なのは、ご愛嬌。
働いているうちに、嫌な気分のまま仕事を終えるか、あるいはなにもしたくない気分を明るく塗り替えることができる場合もある。
でも、忘れてはいけない。
塗り替えた壁の後ろには、そのままになった「なにもしたくない」気分が隠れていることを。
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仕事のない、あるいはやることのないときに、なにもしたくない日がやって来る場合。
憂さ晴らしが必要かとあれやこれやと思い巡らせても、ほんとうは、なんにもしたくないとき。
胸の中のバッテリーがショートしていて、しばらくほっとくしかないようなとき。
こういうとき、無理やり体を動かして外出したり、何か自分の好きなことをしようとしてしまうものだけれど、それでちゃんとすっきり回復したためしがない。
ただ、なにもしたくない気分を、別の日に持ち越しただけ。
だから、逆転の発想が必要だ。
なにもしないことに、なにかすることと同じくらいの価値を、いかに見出だせるか。
布団から出ないで、ご飯も食べず、携帯電話も極力見ない、仕事のことも好きなことも努めて考えようとはしない、ただ、頭に浮かぶことをとりとめもなく垂れ流して脳内に放映するだけ。
嫌なことや悲しいことを考えてしまってもスルーする。
そういう時間を過ごすこと。
「そんなの合理的じゃないし、無駄な時間を過ごすのは勿体ない!」
と、考えるあなた。ノンノンノン。
それじゃあ、いつもと同じです。
「やるべきこと」は、頭が必要だと考えて、いのちを働かせることなんだ。
なにもしないのは、こんどはいのちに行動を委ねてやること。
なにもしないのって、ずっと頭に働かされていたいのちを、休ませてやることなのさ。
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本気で「なにもしない」をやってみると、これが案外、こころを回復させてくれたりする。
とりとめもないことを考えていたら、ふと、こころのバッテリーがショートした理由に気づくこともある。
大丈夫。
明るみに向かおうと思う気持ちこそ、ほんとうのいのちの姿だから。
もし暗いほうへと向かいたい気持ちなら、いましていることをいのちのために思い切って中断させて、じっくり休むか、人の手を必要とした方がいい。
なにもしないことに時間を費やすのも、
なにかをしなければと思いながら生きるのと同じくらい、また人生。
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