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ウクライナ極右民族主義者と組織 要約


OUN (Organization of Ukrainian Nationalistsウクライナ民族主義者組織)


シンボル
  • 活動期間 : 1929年-1950年代

  • 活動目的 : 反独・反ソ・反ポーランド・反チェコスロバキア・のウクライナ独立

  • 後継 : UPA(ウクライナ蜂起軍)

  • OUNはメルニク派のOUN-M(OUN-Melnyk)[穏健派]と、ステファン•バンデーラ派のOUN-B(OUN-Bandera)[過激派]に分裂しバンデーラはOUN-Bの指導者になる。

  • OUN-Bはユダヤ人虐殺事件(リヴィウポグロム/下記参照)を引き起こした。

  •  バンデラが執筆した独立宣言文にはウクライナがアドルフ・ヒトラーの下で、国家社会主義 大ゲルマン帝国と緊密に協力する事が明記されている。

  • OUN-Bの宣伝工作を担当したステファン・レンカブスキーはユダヤ人の物理的破壊を提唱。

  • OUN-Bでバンデーラの副官だったヤロスラフ•ステツコは、ユダヤ人とウクライナ人の同化を否定、ユダヤ人絶滅のナチスの手法をウクライナに持ち込むべきだと主張。

  • OUNも当初は親独のウクライナ国家を建設してドイツと同盟を結び、ソ連と戦うことを期待していたが、生存圏の拡大と、ウクライナ人を含むスラブ系民族の奴隷化と絶滅を目指すナチス・ドイツは、ウクライナ人にソ連と同様の過酷な政策を実施した。そのため、各地ではドイツへの抵抗運動が始まり、ウクライナは「反ソ連・反ドイツ」となった。

  • 親欧米派 ユーシチェンコ元大統領の後妻であるカテリーナ・チュマシェンコはシカゴで生まれたが、OUN-Bの青年メンバーであり、1980年代にはOUN-Bのワシントンオフィスの長を務めている。

●リヴィウポグロムとは

  •  ポーランド(現在のウクライナ)の都市リヴィヴで発生した、主にユダヤ系住民に対する、集団的迫害(殺戮・略奪・破壊・差別 = ポログム)のこと。

  • 期間 : 1941年6月30日〜7月2日、1941年7月25日〜29日

  • 関与 : ドイツ人、ウクライナ人ナショナリスト、ポーランド(現在のウクライナ)人。※自主的な関与とされる。

  • OUNが短期政権を樹立した際、一斉に民族浄化を訴えるポスターを配布。民兵団を作り、集団的迫害(ポグロム)を主導、ユダヤ人の処刑を行った。また、市民は、集団で強盗、性的暴行、暴行、殺人に及んだとされる。※ 同時期に同ポーランド国内で起きた、イェドヴァブネ事件での、ユダヤ人虐殺は、非ユダヤ系のポーランド人住人によるもの。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ウクライナ民族主義者組織

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/リヴィウポグロム


UPA(Ukrainian Insurgent Army / ウクライナ蜂起軍)

軍旗
  • 活動期間 : 1942年〜1954年

  • 活動目的 : ウクライナ独立、反ソ連、反ユダヤ、反ドイツ、反ポーランド

  • 活動地域 :ウクライナ

  • 前身 : OUN (ウクライナ民族主義者組織)

  • 敵対勢力 : ナチス軍、ソ連軍、ポーランド軍、ポーランド人民軍、赤軍パルチザン(ソ連が、指揮した共産主義ゲリラ部隊)

  • ウクライナにかつて存在した反体制武装組織。

  • 独ソ戦争の最中 1942年に結成され、おもに西ウクライナにおいて、ソ連軍とドイツ軍双方に対するパルチザンとレジスタンス活動を行った。

  • 1943年からUPAはヴォルィーニとガリツィアに住むポーランド人に対する民族浄化を開始。ポーランド人村落を次々と襲撃しては虐殺・略奪を繰り返し、1945年にソ連軍が周辺を制圧するまでの間に約5万人から10万人のポーランド人が殺害された。

  • この虐殺は戦後にポーランド政府がヴィスワ作戦を実行する理由ともなった。

  • 第二次世界大戦前のヴォルィーニとガリツィアを含む西ウクライナ地域は、現地に住むポーランド人の存在からポーランド領となっていたが、UPAは戦後にポーランド国家が復活した場合同様にポーランドの領土となることを警戒していたため、虐殺は行なった。

  • UPAは、ロシアやポーランドから、「ナチス協力者」、「戦争犯罪組織」とされている。これは、ポーランド人民族浄化と、ホロコーストへの関与に起因する。

  • UPAにはウクライナ補助警察時代にアインザッツグルッペン(Einsatzgruppen)の一員としてユダヤ人虐殺に加担した者が多数参加していた。

  • アインザッツグルッペンとは、ドイツの保安警察は(SiPo) と保安局(SD) がドイツ国防軍の前線の後方で「敵性分子」(特にユダヤ人)を銃殺するために組織した部隊。

  • 反露派のポロシェンコ政権で、ウクライナ政府の公式史観は大きく転換し、UPAもウクライナ国家独立のために戦った英雄として名誉回復されている。ウクライナの祝日「祖国防衛者の日」は、2014年からウクライナ蜂起軍の創設日である10月14日に移動した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ウクライナ蜂起軍


スヴァボダ(全ウクライナ連合「自由」)

シンボル
  • 親欧米・反ロシア政党。社会民族党。ウクライナ政界における極右政党、ネオナチ(反ユダヤ主義)政党と定義される。ステファン•バンデーラのO.U.N-Bの流れを汲んでいる。

  • 設立 : 1992年

  • 設立者 : アンドレイ•パルビィと、オレーフ•チャフニボーク。

  • 現総裁 : はオレーフ•チャフニボーク。

  • 拠点 : キエフ。ガリツィア地方を基盤としている。

  • 旧名 国家社会主義党であり、OUN-Bの赤と黒の旗を掲げて行進したり、スローガンである「ウクライナ人のためのウクライナ」はバンデラのOUN-Bのスローガン。

  • カナダやアメリカなど北米を中心としたウクライナ人難民からも指示を受けている。

●2012年の基本政策の大綱(紛争に関するもののみ抜粋)

  • ウクライナの核兵器を再製造し、NATOおよび核保有国と協力をする

  •  国内にあるロシア軍の基地を撤退させる。

  •  国内において公場でホロドモールの存在を否定する者を、法律で罰する。

  • ソ連時代の秘密警察などの文書を残さず公開する。

  • OUN(ウクライナ民族主義者組織)、UPA(ウクライナ蜂起軍)を国民英雄として国のレベルで承認する。

  • ソ連時代を、ロシアによるウクライナ占領時代として法律で認める。

  • 国連はじめ、国際社会に対し、20世紀に起きたウクライナ人に対するジェノサイドを訴える。

  • ウクライナ人を侮辱するソ連系シンボルを徹底的に排除する。

  • 共産党および共産系政治的団体を禁止する。

  • ロシアにソ連時代のウクライナの財産を返却するよう求める。

  • ウクライナの国益を追求し、ロシア連合もEUにも加盟しない。

  • ロシアとの政治共同体や組織などから離脱し、ロシアとビザ制度を導入する

●政権中枢を担うスヴァボダ政党メンバー
「スヴァボダ」、「右派セクター」など、これらの極右政党は、議会内 反対派議席の約3分の1に過ぎない。しかし、政権の中で主要ポストを獲得している。極右勢力の力が高まってきたことを意味している。

ヤツェニュク暫定政権
オレクサンドル・シチュ(副首相)
イホル•シュヴァイコ(農業大臣)
アンドリー•マフニュク(環境大臣)
イホール•デニューフ(国防大臣)
オレフ•マフニツキー(事・司法総長)
アンドレイ•パルビィ(ウクライナ国家安全保障•国防会議議長)※ウクライナ社会民族党

ポロシェンコ政権
オレクサンドル・シチュ(副首相)

アンドリ・パルビー(国家安全国防委員会事務局長)

ドミトロ・ヤロシュ (国家安全保障次官)※右派セクター。

ドミトロ・ブラトフ(青年スポーツ大臣)

テツヤナ・チェルノヴォ(反腐敗委員会議長。ジャーナリスト)

アンドリ・モフヌーク(環境大臣)

ヨール・シュヴァイカ(農業大臣)

オレフ・マフニツキ(暫定検事総長)

●クリミア併合の原因
プーチンのクリミア併合の決定は新政権の主体がネオナチであることに主因があった。ネオナチの民族主義的な主張や行動、特に民族浄化を意図する彼らのスローガンがプーチンの大きな懸念となり、ソチオリンピックからモスクワへ帰還したプーチンは、短時間でクリミア併合を決定した。新政権のメンバーがネオナチではなく、通常の政治メンバーであったなら、彼の決定は別のものになった可能性が高い。

●議会でのトラブル
2013年 地域党議員がウクライナ議会でロシア語で演説していた(ウクライナ語が話せないウクライナ人も多い)ところ、スヴァボダの議員たちが「ウクライナ語を話せ」と一斉に野次り、その後チャフニーボーク党首が壇上で「ウクライナに栄光あれ」と叫び、一斉にスヴァボダ議員たちと与党の議員たちが殴り合いの大乱闘となった。ウクライナではロシアとの関係、そして、ウクライナ人としてのアイデンティティの問題は、過去のソ連時代のホロドモールなどの要因も相まって、非常にデリケートである。

●テレビ局襲撃事件
2014年クリミア自治共和国をロシア連邦に編入することを宣言した、プーチン大統領の演説をウクライナ国営テレビが放映したことに激高したスヴァボダの議員たちが、国営テレビ局の本部を襲撃、テレビ局CEOを暴行の上、強制的に辞表を書かせた。これに対しウクライナ暫定政権のアルセニー•ヤツェニュク首相はこの議員らを非難した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/全ウクライナ連合「自由」


右派セクター

シンボル
  • 設立 : 2013年11月

  • ウクライナの民族主義者らで構成される極右政治団体•政党•準軍事組織。ロシアへの強硬な対向姿勢で知られる。ステスァン•バンデーラのO.U.N の流れを汲んでいる。

  • 創設 : ドミトリー•ヤロシ

  • 現在の代表 : アンドレイ・タラセンコ。

  • 党員•党友数 : 10,000人

  • トライデントのリーダー、ドミトリー・ヤロシが中心となり、極右民族主義団体、トリズブ•トライデント、ウクライナ民族会議、ウクライナの愛国者、ウクライナ国民会議、ホワイトハンマーが合併し創設した。

  • 北米を中心とした世界各国のウクライナ系移民からの支援も受けている。

トリズブ•トライデント

シンボル
  • ウクライナ極右民族主義者による準軍事組織。

  • 設立 : 1993年

  • 目標 : ウクライナ統一独立国家創設。

  • リーダー : ドミトリー・ヤロシュ(2005年以降)

  • 敵 : 帝国主義と排外主義、ファシズムと共産主義、コスモポリタニズム、疑似ナショナリズム、全体主義と無政府主義、ウクライナ人の汗と血に寄生しようとするあらゆる悪。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Tryzub_(organization)

ステスァン•バンデーラ

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ステスァン•バンデーラ
  • 1909年生〜1959没

  • 反ユダヤ•反共産主義者。ウクライナ民族主義運動のリーダーであり、その生涯をウクライナ独立に捧げた。

  • バンデーラ率いる、OUN-Bはポーランド(現在のウクライナ)の都市リヴィヴで、ユダヤ系住民に対する、集団的迫害(殺戮・略奪・破壊・差別)虐殺事件を引き起こした。

  • 1929年OUNに入党。

  • 1933年に幹事長となり、ポーランド政府が西ウクライナで行った同化政策と、ウクライナ人の弾圧への対抗を唱えた。

  • 1935年 ポーランドの警察により、ピエラツキ内務大臣暗殺事件に関与した容疑で逮捕され終身刑となる。

  • ソ連下のウクライナ人民共和国で、反ソ活動・ウクライナ独立運動の主導的立場だった。

  • 1939年ポーランド第二共和国が滅亡すると、ドイツ軍に解放され、OUNのリーダーとなり、独ソ戦争直前はドイツ側を支持した。

  • ユダヤ人に対する虐殺、ソ連から解放したウクライナをドイツ領にしようとする反共産主義行為をしたことで、ソ連は公式史観として「ファシスト」「ソ連の最悪の敵」として扱い、ソ連時代のウクライナの歴史教育でもこのように教えていた。

  • 1941年ウクライナの独立を宣言。この宣言には、ウクライナがアドルフ・ヒトラーの下で国家社会主義大ゲルマン帝国と緊密に協力する事が明記されている。

  • 独立後、反ソ言動が罪に問われなくなってから、バンデーラは英雄視されるようになった。

  • 親欧米派のユシチェンコ元大統領は2010年バンデーラに「ウクライナの英雄」称号を授与したが、国内外のユダヤ系から反発を受け、ヤコーヌブィチ大統領が無効にした。

  • ポロシェンコ政権下、バンデーラやウクライナ民族主義者組織、ウクライナ蜂起軍についても「ウクライナ独立のために戦っていた英雄たち」として讃えられるようになり、ウクライナの法律でも同様に定められた。

  • 2022年ウクライナの20の地域でバンデーラの生誕113周年を祝う56の関連大型行事が開催され、参加者は計3,500人開催された。

  • MI6の歴史について書かれたステファン・ドリルの著作によれば、大戦後1948年4月にステパン・バンデラは英国の諜報機関であるMI6に採用された。その後彼はソ連邦内における破壊活動に携わり、1959年にKGBにより西ドイツで暗殺されている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ステパーン・バンデーラ

オレーフ•チェフニボーク

オレーフ•チェフニボーク
  • 1968年生まれ(53歳)

  • 1991年「スヴァボダ」を結成し、現総裁 。

  • ロシアをウクライナの最大の脅威と見なしている。

  • ウクライナが再び核兵器を保有するべきと考えている。 彼はこれが「ウクライナに対するロシアの仮想戦争」を抑止すると考えている。

  • 親NATO。ソフトな欧州懐疑主義。

  • クリミアから自治権および、セヴァストポリから特別な地位を奪いたいと考えている。

  • ウクライナのパスポートに「民族」セクションを導入し、ロシアとのビザ制度を開始したいと考えている。

  • ウクライナ人が公務員にウクライナ語試験合格を必須にしたいと考えている。

ドミトリー•ヤロシ

ドミトリー•ヤロシ
  • 1971年生(50歳)

  • 1994年「トリズブ•トライデント」設立

  • 野党ウダールの国会議員補佐

  • ウクライナの政治家・活動家。

  • 右派セクターの創設者で元リーダー。

  • ウクライナ国防省により、軍参謀総長の顧問に任命される。

  • ウクライナ騒乱(マイダン革命)時に活躍。

  • 1994年にトリズブ•トライデントに参加。2005年以来リーダーを務める。

  • 2014年ウクライナ騒乱(マイダン革命)時に、トリズブ•トライデントを中核とした極右組織連合である右派セクターを結成しリーダーとなる。

  • 2014年に行われた総選挙により国会議員に当選。

  • 2015年ウクライナ軍参議長の顧問に就任

  • 2015年末に新組織設立への準備のために右派セクターを脱退

https://www.afpbb.com/articles/-/3044722?act=all


ミコラ•レベド

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ミコラ•レベド
  • 1990年没

  • 大戦後CIAに雇われ、ニューヨークに移住してソ連邦内の破壊活動に携わったのちに、1990年にニューヨークで死去。

  • 1943年にはベルリンにいたステファン•バンデーラの指導の下で行われた、民族浄化、大量殺戮のキャンペーン(7万人のポーランド人とユダヤ人を殺害された)の現場責任者。OUN-Bの秘密警察組織のトップ。

  • 虐殺への関与については米国内でも何度か問題にされかけたが、CIAの庇護のもとに訴追されることはなく人生を全うした。

  • 1941年のOUN-Bの大会で「戦時の闘争活動」を採択し、その中で「モスクワっ子(ロシア人を指す)、ポーランド人、ユダヤ人は我々に敵対的であり、闘争の中で抹殺されるべきである」と言った。

  • CIAにとって最も重要なUPAの連絡員。

  • CIAは、彼のことを「よく知られたサディストでありドイツ人の協力者」と認識していた。

  • 1949年にCIAは彼の合衆国移住の保証人となりその戦争犯罪(虐殺)をもみ消した。

  • 移住に際して彼はアメリカに資金を提供を受け、OUN-Bから分派したOUN-Zを率いた。レベドは、米国とUPAの戦士たちとの橋渡し役となった。


  • 1953年以降、CIAに資金提供の亡命者の出版社プロローグProlog の経営に関わった。

  • Prolog社は、ウクライナのファシストをOUNとUPAはナチスと共産主義の両方に敵対して民主主義のために戦った共産主義と戦う自由の戦士として描き、彼らの戦争犯罪への参加を否定または消し去るための書籍を出版した。


アンドリー•メルニク

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アンドリー•メルニク
  • 現ドイツのウクライナ大使 2014〜

  • OUN分派リーダー

  • 国は核抑止力再構成に目を向けることができる。それができなかったなら、NATOのような強力な同盟に参加することによって安全を保証すると発言。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/List_of_ambassadors_of_Ukraine_to_Germany

ドミトロ•ドンツォフ(Dmytro Dontsov)

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ドミトロ•ドンツォフ
  • 1973年没

  • ウクライナ極右全体主義教義の父

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Dmytro_Dontsov


ロマン.シュケヴィチ

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ロマン.シュケヴィチ
  • 1950年没

  • ナチスの協力者でUPA(ウクライナ蜂起軍)の指導者。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Roman_Shukhevych


ネオナチに関して

  • 2010年1月に親欧米派のユーシチェンコ元大統領は、任期最後の決定として、ステファン•バンデーラを「ウクライナの英雄」に指名した。

  • 2011年に親露派のヤヌコーヴィチ元大統領は、ステファン•バンデーラの「ウクライナの英雄」の称号を剥奪した。

  • 東ウクライナなどの親ロ勢力に対する攻撃にあたっているのは「ネオナチ」のメンバーである。

  • 2011年オデッサの労働会館における虐殺について、アメリカで放映された現場の映像では、当日オデッサで行われたサッカーの試合のフーリガンを装った政権派が、親ログループを労働会館に閉じ込めた後、会館に放火し、逃れてくる親ロ派(何人かは上の階から飛び降りた)を銃で撃ち殺す場面が映されていた。各地で起こった衝突については、ドイツのメルケル首相がワシントンを訪問する前日に衝突を起こして、経済制裁について米国政府の主張を欧州に飲ませようとしたというのが通説になっている。

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