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旅レポート#003:コラージュという現実 〜それは決して非現実ではない〜

あくまでもイメージとイメージが偶然に融合し、それを手伝うという態度で作品を作ることがシュルレアリスム的であると知ることができました
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自分一人だけではどうしても読めない、、、という本でも、一緒に楽しく解読できるので、そういった苦い経験をした方にも是非お薦めしたいです
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私が興味のあるワードや物事を起点に、言葉屋さんがさまざまな本や動画、作品集までも紹介してくださりました。その中には一見、タイトルだけではわからない、予想外のことや、自分が知りたいことが的確に記されているものばかりでした。

今回のご感想より

みなさん、こんにちは。街の言葉屋です。
新たな読書体験をご案内する「旅する人文知」。今回はその3回目の事例報告をお届けします。

みなさん、「現実的」とはどのような態度/人を指す言葉としてお考えでしょうか?「物事をより客観的な見方で観察し、考える人」といったところでしょうか。もう少しわかりやすくいうと、学校や職場で成績優秀で品行方正。そんなところでしょうか。そして「非現実」というと、むしろその逆のイメージを持つのではないでしょうか。成績が振るわず、奇行とまではいかずとも行動・言動が少しズレている…私自身も心あたりがあるような、ないような。

さてさて、こんな一般的なイメージ、実は全くの逆なんですね!
ぶっとんでるように見えること/人こそが「現実的」なのです。
そんな確信に満ちた非常識を得られた、今回の旅路でありました。

一体どんな旅だったのか。その模様を、どうぞご覧ください。


【今回のお客さま】

 Tさん / 東京都 / 学生

【コース選択】

「共に旅する人文知」3つのコース

 ◎ 星空コース:聴取・選書・読解・相読
   井戸コース:聴取・読解・相読
   地図コース:聴取・選書

【回数・実施形態】

・ヒアリング1回
・70分セッション×3
・全てオンライン実施

【お値段】

モニター期間につき、お客様の付け値(感謝🙏書籍費に充てます)

【今回のオーダー】

高校の卒業時に、コラージュ作品を制作した。
大学に入ったいま、より深めたい。

【今回のキーワード】

絵画・コラージュ・シュルレアリスム・現実と非現実・第一次世界大戦・認識

【選書内容】


今回巡ったテクストたち

①  岡上淑子・藤野一友『岡上淑子・藤野一友の世界』(河出書房新社, 2022年)
②  M・エルンスト『百頭女』(河出書房新社, 1996年)
③  巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(筑摩書房, 2002年)
 + 副読本:塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』(筑摩書房, 2003年)

【ふりかえり】

● コラージュを追う

シュルレアリスム、というと多くの人の頭に浮かぶのはダリやキリコの奇想天外な絵でしょうか。

サルバドール・ダリ『記憶の固執』(1931年)
引用:https://www.artpedia.asia/dali-the-persistence-of-memory/


はてさて、ではこれらの作品は、画家たちの想像(あるいは妄想)によるもので、全くの非現実的なものなのでしょうか。否、答えはその真逆で、文字通り穴が開くほど現実を見つめ、思いもよらない現実の姿を捉えたのが彼らなのでした。この意味で彼らは決して「主観的」ではなく、徹底的に「客観的」だったのです。こうした気づきを得られたのが、今回の旅でした。

今回のお客さま・Tさんご自身が、もとより人文知的な領域に関心が深く、なかなか骨のある文章を相手にする知的冒険となりました。というのもTさん、高校卒業時に真木悠介『存在の祭りへ』を恩師とともに読み、そこで考えたことを言葉で発表するのみならず、なんとコラージュ作品にした(記事末尾に掲載)とのことでした。真木悠介(またの名を見田宗介)さんといえば、その界隈でのご高名はもちろんのこと、その文章が大学入試の評論文でも多く用いられる著名な研究者、人文学者です。

さて、選書はどうしたものかと思っていたところ、Tさんの口からぽろっと「岡上さんというコラージュ作家の作品を、ツイッター(現エックス)でちらっと見かけて、気になっているんですよね…」という言葉が。

● 1冊目:岡上淑子・藤野一友『岡上淑子・藤野一友の世界』(河出書房新社, 2022年)

岡上淑子・藤野一友『岡上淑子・藤野一友の世界』


色々な選書内容を想定しつつ、偶然本屋で見かけた岡上淑子(オカノウエ トシコ 1928-)さんの画集を広げて見てみれば、そこには大変魅力的なコラージュ作品の数々が。加えて少しばかりの、けれども十分読み応えのある解説も掲載されており、こちらの画集を今回の1冊目とすることを決めました。

画集を開くとそこにあるのは、ファッション誌からの抜粋と思しき女性たちのパーツというパーツが、あちこちに配置されたコラージュ作品たち。夜の街路に、工場のなかに、家々の屋根が連なる街並みに、だだっ広い高原に、あるいは凄惨な戦闘があった戦場に。その女性のパーツたちはしばしば巨大に見えるように配置され、楽団員や戦闘機、ナイフ、トマト、馬などと、現実では到底ありえない組み合わせで共存するさまは、いかにも「幻想的」であり「非現実」です。


そして、画集のエッセイ&解説部分をみると、岡上さんがマックス・エルンスト(1891-1976)に深く影響を受けたという書き付けが。これが、今回の選書のひとつの決定打となりました。


● M・エルンスト『百頭女』(河出書房新社, 1996年)、  巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(筑摩書房, 2002年)

岡上作品のルーツを辿り、2・3冊目の選書が決まりました。

ひとつがシュルレアリスムのなかでも有名な芸術家であるマックス・エルンスト、そのコラージュ作品として著名な『百頭女』。もうひとつがシュルレアリスムについて比較的易しく書かれた巌谷國士著『シュールレアリスムとは何か』です。

M・エルンスト『百頭女』。コラージュに短い文章が添えられた作品が連続する。話の繋がりも不明瞭で、物語らしい物語は発見し難い。読者の想像力でいかようにも変化しうる一冊。
末尾の豪華な執筆陣による解説も充実。作品を鑑賞すると共に、こちらも大いに参考にしました。
巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』
シュルレアリスムについて比較的易しい語り口で書かれている

19世紀の銅版画を利用したというエルンストのコラージュ作品『百頭女』を鑑賞しつつ、今回の旅でとりわけ読み込んだのが、 巌谷國士の著作の第1章、この本のタイトルともなっている「シュールレアリスムとは何か」でした。

ここで巌谷は、このように印象的な言葉を述べています。

”主観的な幻想を描くのがシュルレアリスムだという定義は明らかな間違いで(・・・)むしろ、人間におとずれる客観的なものたち、つまりオブジェたちが生起し表現されるのがシュルレアリスムですから。いいかえれば、主観に基づいて幻想を展開するのではなく、むしろ、客観が人間におとずれる瞬間をとらえるのが、シュルレアリスムの文学や芸術のありかただということになるでしょう”

巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』p.54、強調筆者


これを言葉屋なりに敷衍ふえんしていえば「現実そのものは我々人間が思っているよりも遥かに豊かで、奇想天外なのだ」ということです。

人間は、特に近代以降、自分たちの都合のよいように世界/現実を改変してきました。自分たち人間ばかりが楽になるように、生きやすいようにと、現実を自分達の思うような「現実」に飾り立ててきました。いつしか人間は、世界/現実のあるがままの姿を見ることはずっと難しくなり、自分たちの視点からみえる限られた「現実」しか見えなくなっていきました。そう、今日、その流れの遥か突端で生きる私たち現代人にも、やはり限られた「現実」しか見えてないかもしれないのです。


● 非現実的なのは誰か?シュルレアリストか?いいえ、それは私たち。

今回は、もうちょっとだけ難しい話を。どうぞお付き合いください。

様々な美術的事件があった20世紀のなかでも一際目立つ3つの前衛芸術運動は、1910年代〜20年代に集中しています。すなわち、1910年ごろにイタリアで「未来派」が、1916年にスイス・チューリヒで「ダダ」が、そして1924年ごろにパリで「シュルレアリスム」が本格化したのです。重要なのは、これらが第一次世界大戦(1914年~1918年)の前後であるということ。

「『ヨーロッパへのインパクトは第二次大戦よりも第一次大戦の方が大きかった』とフランス人はよく言います」と私に教えてくれたのは仏文研究者たる恩師の一人(といっても、仏語基礎クラスで仲良くしてくれた担任の先生というだけ。贅沢…)でしたが、そうなのです。第一次世界大戦こそが、人々に、芸術家に、大きな不安や危機感を与えた出来事なのでした。

科学技術が発達した結果、戦争もまたハイテク化。一次大戦では戦車や毒ガスが初めて登場し、敵兵の「駆逐」が飛躍的に「効率化」されました。文字通り人が「廃棄」されていく凄惨極まる状況は、その規模もあいまって、大きな衝撃を人々に与えたに違いありません。

もとい、シュルレアリスムの話を。既述のエルンストはもちろん、クレー、ダリ、ミロ、キリコ、そしてピカソ。日本でも名の知れた彼らシュルレアリスムに関わった芸術家たちも、きっと第一次大戦から大きな衝撃を受けたことでしょう。結果、西洋文明をおしすすめてきた「理性」への疑いを、さらに強めました。

語弊を恐れずいうと、彼らの作品が私たちに与えてくれるのは「君たち現代人は、限られた現実の見方しかできないようにあらかじめセットアップされてしまっているんだぞ!わかってる?うん!?!?」というパンチ強めの警句です。彼ら芸術家たちの絵が変ですか?非現実的??頭がおかしい???妄想ぶっとびすぎ????いえいえ、もしあなたがそうお思いならば、それはもうすっかりあなたが「現実」しか見えていないということです。もはや世界が見えていないかもしれないのです。

人がデコりにデコってきた「現実」なんかよりも、あるがままの現実/世界は遥かに豊かなはずです。無限ともいえる在り方にあふれているはずです。それを自分たちに都合の良いように切り取り、編集/加工しているのが私たち人間です。この意味で、我々一般ピープルの方が遥かに「非現実的」かつ「空想的」で、彼らアーティストこそが「現実的」ではありませんか?超がつくほどの現実主義。超がつくほどのリアリスト。そう、これこそが「シュルレアリスム/シュルレアリスト」の意です。「現実はこうですらありえるんだ!目ぇ覚せや!」というメッセージをバッチバチに送り届けてくれる、変態的に(褒めてます)現実的な芸術家たちなのです。

さらに、こう言ってしまいましょう。彼らシュルレアリストの眼は、テクノロジーのそれよりも、遥かに客観的である、と。


● 私たちもまた「超現実主義的」たること

彼らシュルレアリストをはじめとする芸術家のメッセージも虚しく、以後、人間の現実を編集加工する勢いはさらに増したといってもいいかもしれません。それが良いのか悪いのか、ここでは置いておきましょう。けれども、少なくとも「現実」しか見えないことは大変貧しいことでしょう。そうではなくて、世界/現実に対してしっかりと開かれた眼をもつこと。その価値と重要性への気づきこそが、岸田國士やエルンスト、そして岡上淑子らの作品や文章から得られた学びではないでしょうか。

最後にもう一度、岡上淑子さんの作品を見てみましょう。そして、Tさんの作品も。


Tさんのコラージュ作品


夢みがちな夢想者の作品に見えますか?現実逃避を重ね、妄想の世界に閉じこもる者の作品に見えますか?否。これは彼/彼女が、強烈なまでに現実を見つめている、その証左です。徹底したその現実主義と逃げない姿勢に、私も、私たちも、見習うべき点は多いのではないでしょうか。目を逸らすな、見つめろ、穴があくほど、眼を凝らせ・・・。彼、Tさんと共に旅をして、そのように思った言葉屋でした。

まだまだお伝えしたいことは尽きませんが、皆さま、さらに気になれば、ぜひ今回選書した書物をお手にとってみてください。そして、わたくし言葉屋へ、これと類似した内容での「共に旅する人文知」のご依頼も、お待ちしております。もちろん、全く別内容のご依頼も。

今回も大変充実した冒険となりました。最後にTさんからのご感想を載せる形でレポートを綴じたいと思います。本当に、ありがとうございました。

【Tさんのご感想】

● 印象に残った文章・言葉

「創造するんじゃなくて、創造されるのである。創造される何かに立ちあうのが画家なんだ。」

『シュルレアリスムとは何か』p.63

シュルレアリスムに基づく作品の作成の態度が、ここで一つの指標としてかかれていると考えた。主観的にイメージしたものを、素材からイメージを選んでコラージュ作品をつくるという行為が一般的であるという考えが変化した。あくまでもイメージとイメージが偶然に融合し、それを手伝うという態度で作品を作ることがシュルレアリスム的であると知ることができた

「『百頭女』は、読者のあらゆる視線に耐えるべく差し出されている。小説としてこれを読解するのも、コラージュとしていったん解釈を拒みつつこれを解釈するのも、ここではまったく読者の自由である。」

『百頭女』所収 巌谷国士「顔のない書物」より


『百頭女』のように、題名やコラージュを含めて小説としても、コラージュの作品集としても解釈できるような表現方法もあることを知ることができてよかった。このように複数の解釈を鑑賞者にもたらす作品の作り方の一つとして勉強になった。


日々の生活/学業/仕事に活かせそうな気づき

コラージュ作成において、コラージュの中にも様々な表現の仕方があることを学ぶことができた。デペイズマンの効果を重視し、作品を見る人に、その意味の差異による驚きを与える表現方法、コンセプチュアルアートのように、作品を通してその作品を作ろうとした背景やテーマに触れてもらうような表現方法、主観的な思考を持ち込まず、イメージとイメージが融合していく場に立ち会い、自由にコラージュをしていく方法、自分が主観的にイメージした世界を、異なる多様な素材で再現していく方法など。これらの表現方法はどれか一つを極めることも楽しいと思う。また同時に、自分がその作品を作りたいと考えるきっかけや、伝えたいテーマ、表現したいことに応じて、上記の表現方法をミックスすることでも、納得のいく作品を作ることへと近づくことができそう。

● その他

もっと詳しく知りたいけど、どういう本にそれが書いてあるのだろう、と悩んでいました。しかし、私が興味のあるワードや物事を起点に、言葉屋さんがさまざまな本や動画、作品集までも紹介してくださりました。その中には一見、タイトルだけではわからない、予想外のことや、自分が知りたいことが的確に記されているものばかりでした。自分だけではどうしても手が届かない本の奥深くを、知るきっかけを届けてくれるようでした。

また私が難解だなと感じる文章やその文脈を丁寧に解説してくださりました。自分一人だけではどうしても読めない、、、という本でも、一緒に楽しく解読できるので、そういった苦い経験をした方にも是非お薦めしたいです。




ここまでお読みくださり有難うございました。皆さんも「共に旅する人文知」、ご一緒してみませんか?気になる方はどうぞお気軽に連絡ください。現在モニター期間中、いまなら付け値でお受けします。ご連絡、お待ちしております。

E-MAIL:poet@machinokotobaya.com
もしくはnoteのダイレクトメッセージまで。


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