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「土の人」と「風の人」~関係性の先にある未来を~

「土の人」、「風の人」という言葉がある。

「土の人」は、その土地に根付いて暮らし、受け継いでいく人。
「風の人」は、風のように各地を巡り、土地に新しい風を吹かせたり、つながりを生み出す人。

そんな意味を持っている。

「地域活性」や「移住」の分野では、よく知られている言葉だ。


「自分は”風の人”なのだろうか?”土の人”なのだろうか?」

金谷に来る前から知っている、「風の人」、「土の人」という言葉。金谷に来てからは、その意味をさらによく考えるようになった。

「自分は”風の人”なのだろうか?”土の人”だろうか?」

そんな問いだ。

自分の感覚としては、「どっちも、しっくりこない」というところ。

「自分は、土地に根付いてる?」
「自分は、新しい風を吹かせている?」

どちらの性質を自分に当てはめようとしても、やっぱり、しっくりこないのだ。

2016年の2月から3月。
約2か月にかけて、日本中のあちこちや、海外に出かける旅をしていた。

旅から戻り、新しい生活が始まった4月。

正社員としての仕事も始まり、他にも、あらゆる新しいことが、一挙に走り始めた季節の変わり目。

とても目まぐるしい日々のスタートだった。
そして、同時に、”風の人”と”土の人”の意味を深く考えさせられることとなった。

”ゆっち”という人

現在、自由大学で、「コミュニティ・リレーション学」という授業の運営サポーターをしている。

その講義の中で、”ゆっち”こと横井祐香(佐々木祐香)さんに、ゲストとして参加してもらっている。講義のテーマは、ズバリ「”風の人”と”土の人”」。


実は、ゆっちは以前、金谷に住んでいて。
2014年の当時、ゆっちを訪ねるため、金谷に遊びに行った。

そのときの記憶・思い出が、後に自分が金谷に移住するのに大きな決め手となった。

講義を作るにあたって、ゆっちのブログを読ませてもらった。

参照:ゆちこのブログ

ブログを眺めながら、「自分はゆっちの感性が好きだな」と痛感させられた。

いや。

正確に言うと、ゆっちの感性が、実は自分の感性にとても近いということに気付いたのだ。キャラは、全然違うんだけどね(笑)

-暮らしは、あるものを大切にする。ないものは自分たちで作る。
-九州暮らしの1年間で変化したのは、「暮らしを作っていく」という感覚なのかもしれないな。
-今日改めて思ったのは、大好きな人に大好きと伝えたいし、大好きな人に全力を尽くしたい。
-私は大好きな人達と一緒に生きていきたい。出来ることを増やして、チカラになれる人になりたい。
-私としてしか生きられないけれど、そうやって生きていこうと思った!
-自分の大切なことを大切にする、ということは、自分の大切にしたい人を大切にする自分である、ということだなあと思った。

たくさん引用してしまった。
記憶に留めておきたいほど、この言葉たちが、好きだなあと思う。


始まりは4年前

ゆっちと出逢ったのは、約4年前の2013年の7月のこと。

当時、「僕らの家」という、大人向けアウトドアプログラムを企画運営をしている会社があって。

その「僕らの家」の”日向山キャンプ”というプログラムに参加したときに、彼女と出逢った。

その頃、ゆっちは、「僕らの家」のスタッフだった。

だから、今回こうして一緒に場を作り、共に時間を過ごすことができたのは、本当に嬉しかった。

数年経って、一緒に仕事が出来ること。
自分が好きだと思う感性を持つ人と一緒に仕事をすること。

このことが、自分にとっては、とても嬉しいのだ。

そして、”日向キャンプ”で出逢ったのは、ゆっちだけではない。


「コミュニティ・リレーション学」の授業を一緒に作っている、よししげ。
同じ金谷のまちで一緒に暮らしている、けんけん。

この2人に出逢ったのも、”日向山キャンプ”だった。

けんけんは、”日向山キャンプ”の半年後、約2年に渡る世界一周の旅に出かけることになる。

出逢ってから3年後。
まさか、同じまちに一緒に暮らすことになるとは思っていなかった。


去年、金谷の友人との別れを憂い、落ち込んでいた頃。

けんけんが伝えてくれた話があった。

自分が旅をしていたときも、やっぱり幾つも別れがあった。
でも、思いがけず再会することがあって、そのときは本当に嬉しかった。旅をしていれば、再会することも、きっとある。

とてもいい表情で、そんな内容の話をしてくれた。
その話が、当時の自分にとっては(そして今も)、救われる話であった。

人生はよく旅に例えられるけど…
2年も旅をしていた、けんけんから伝えられるからこそ、言葉の重みが違った。

ありがとう、けんけん。

参照:KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY~ケンジ世界放浪の記録~


再会にあふれた、金谷のイベント

5月の末には、金谷の内輪向けのイベントを開催した。

『大人なリサイタルナイト~金谷と私の物語~』というタイトルのイベント。
「金谷に関わる人の ”個性”と”表現”を集結させる」という趣旨で、金谷の移住者2人と共催させてもらった。

このイベントを通じて、今は金谷を離れてしまった何人かが、久しぶりに金谷に集結することとなった。

「再会って、やっぱりいいもんだ…」

彼らの嬉しそうな顔を見て、そう思った。

そういえば、イベント終了後の二次会で、友人たちがこんな話をしているのに出くわすことになる。

「金谷の”人”が好きなのか?”土地”が好きなのか?」

一方は、”人”が好きだと言い、”土地”が好きだと言う。
そんな話を聞きながら、「自分はどっちなんだろう?」と考えていた。

数日経って出てきた自分の答え。
それは、「自分は、”関係性”を大切にしたい」というものだった。

自分にとっては、”人”とか、”土地”とかとは、また少し違うようだ。


話は少し遡るが、「コミュニティ・リレーション学」は、”関係性”を扱う授業だ。

「関係性という土を耕せば、実る結果も自然と変わる」
このフレーズが、通称コミュリレの授業のテーマ。

”結果”という果実をすぐに収穫しようとするのではなく。
”関係性”という土壌をじっくりと耕すこと。
 
”関係性”が良好な状態であれば、その”関係性”から生まれ出るものは、自ずと良いものとなる。そういうことを指している。

-ダサいものは、作りたくないんです。
-だって、アウトプットがダサいということは、関係性がダサいってことだから。


コミュリレの授業の最終回である、第5回。
一緒に授業づくりをしている、よししげの言葉だ。

この言葉が、今も自分の胸に突き刺さっている。

後日、よししげのブログをまじまじと見させてもらったら、同じことが書いてあった。これが、彼の信念の1つなのだろう。

関係性はひとつの作品だと思っていて、その時だけよいパフォーマンスを出そうなんて絶対に無理で、それまでの関係性が、目の前に現れているものの質や深さを決めている。(1人で作業する時も、自分自身との関係性が表に現れる。)
-だから、つくりあげるものには妥協出来ない。だってアウトプットがダサいってことは、関係性自体がダサいってことになるから。それは生き方自体の話につながる。
-おれら最高だなー、と一点の曇りなく、言い合える関係でいたい。打ち上げの酒が泣けるほど美味いと、そんなふうでいたい。

ブログの言葉では、こんな風に書かれていた。

先ほど、「彼の信念の1つ」と書いたが。これは、同じく、自分にとっても信念だ。

コミュリレの授業のミーティングの最中、よししげが言ってくれたことがあった。「オレの場づくりを一番知っているのは、よっちゃんだ」

…とてもとても嬉しかった。

近しい感性の友と、互いの道を歩みながら、ときに交り合う。
それが、自分にとって、何よりも喜びだ。


先日、友人が金谷に遊びに来てくれて。

「よっちゃんが、金谷で一番好きなところを案内して欲しい」
そんなリクエストをもらった。

金谷で一番好きなところ…
すぐに思いついたのが、ゲストハウス「しへえどん」だった。

しへえどんで、忘れられない、たくさんの時間を過ごした。
この場所で、たくさんの大切な関係性が生まれ、育まれた。


諸事情で、2017年の6月末で閉店することになった、しへえどん。

閉店は残念なことだけど、オーナーのしんじくんが次のステップに進むのには、きっと必要なことなのだと思う。

今後、しへえどんがどうなるかは分からないけど。
しへえどんで生まれた関係性を、大切にしていきたい。

◆関係性の先にある未来を信じたい

「自分は”風の人”なのだろうか?”土の人”なのだろうか?」
その答えは、いまだによく分からない。

ただ、「”風の人”でも、”土の人”でなくてもいい」
そう思う。

大切にしたいのは、やはり関係性。
関係性によって導かれた場所、まちで暮らしていきたい。

それに、金谷を離れることがあっても、大切にしていれば、また訪れたり、関わることがあるかもしれない。

そして、それは”友人”であっても同じこと。
大切な友と、離れたり別れることがあっても。

大切にしていれば、また出逢うこともある。
両想いであれば、また同じ時間を過ごし、一緒に何かをやることだって、きっとできる。

たとえ、それが2年後、3年後になったとしても。

関係性の先に、そんな未来を信じたい。


※この記事は、ブログ「まちのある風景」で作成した記事をリライトしたものです。

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