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息子の朝のルーティンから学んだこと

息子はちょっと変わっている。

こだわりがあるようで、それも私にはない発想で、自分の好きなことにまっすぐだ。

そもそも人に対して「変わってんな」と思う時は、同様に相手からも「変わってんな」と思われて然るべきものと思っているので、他人が何をしようが全く気にならない。

が、それは他人の話であって、自分から出てきた人間が自分と全く反対の性質を持っていることに関してはめちゃくちゃ気になる。何それ君すごいオリジナルじゃんどうなってんの案件である。

お腹の子が男の子だと知った時も「今、私の中にちんちん、アル」と語彙力を削がれるほどの衝撃を受けたし、母の大好きなシャインマスカットは残すし、妊娠中も育児中も「あ、この人は私から出てきたけども、私とは別の人間なんだよな」と思うことの連続だ。

こと息子の靴下と帽子好きに関しては母とも父とも違う感覚を持っているのでとても面白い。


まず、朝起きたら靴下を探して私の元へ持ってきては履かせてくれと指示する。もっと言うとまだサイズが大きくておろしていない新しい靴を持ってきては履かせろとゴネる。それが叶わなければ、私のスリッパを履いて歩き回る。靴下好きの赤ちゃんなんているのかと思ったけど、ここまでくればどう考えても彼の嗜好だ。

ファーストシューズに足を通した日は、なんじゃコレえええええと大泣きしていたのが懐かしい。

そして靴下を履いて満足すると、次は玄関にかけてある帽子の前まで行って今日かぶる帽子を選んでいる。

息子「ボッチェ!ボッチェ!ドュッ!ドュッ!」
  (帽子、帽子!取って、取って!)
母 「これ?」
息子「nnnnnnnnnn」
母 「(違うのね)これ?」
息子「うへeeeeeeeい」

マストである靴下とその日の気分で選んだ帽子を身につけてルンルンと向かう先は姿鏡。
毎朝鏡に向かって「かっこウー!」と自画自賛している。この自己肯定感が高い感じは、最初こそとんでもねえナルシストを生んでしまったかと思ったけど彼の素敵な部分だよなと感じる今日この頃。
というか命がけで産んだ子供が姿鏡に映る自分を見て喜んでいる様子ははっきり言ってめちゃくちゃ可愛いしめちゃくちゃ嬉しいしめちゃくちゃ愛おしい。

今日のオレに満足した息子はその後、帽子をいい位置にかぶり直したりしながらソファーで大好きなおさるのジョージを鑑賞。なんとも素敵な朝の過ごし方である。


「変わってんな」なんて思った自分が変わってんだわと気づいた。

息子にとって自分の好きを朝から実行しまくった結果が、あの高らかな「かっこウー!」なんだわ。最高だわ。

いつまでも自分のこと「かっこウー!」と言える人でいてほしいなと母は思う。もしかしたらこの先、これがこうだから、あれがああだからとか思い始めたりもするんだろうけど、まっすぐありのままの自分を見る目にハッとさせられる。
こんなの、誰かの親にならなければ気付けなかった感情だろう。


息子は十月十日私の中にいたし、ふんだんにDNAが盛り込まれているけど、やっぱり私とは違う人間だ。私は家でも靴下と帽子はできるだけ着用したくないし、自分のことを満面の笑みで「かっこウー!」と言わない。

赤ちゃんで純粋だからそう言うんだ、とは思わない。彼だからそう思っているんだって思っている。

初めての育児でついつい周りの育児を参考にしがちだし、息子を「赤ちゃん」フィルターを通して見ていてどうしても個の部分に注視できていない部分が多かった。

生きてきた年数も、育ってきた環境も、性別も(今後同性になる可能性だってある)、好きなものも、感じ方も当たり前に違う。今更ながら気づいてしまった、腹にズッシリくるくらい。

好きなことを共有するのもいいけど、自分との違いを発見するのも家族の醍醐味だと言える。

息子の朝のルーティンから彼がオリジナルで生きていることが分かったし、大袈裟かもしれないけど生きる姿勢を学んだし、こうやって人との違いを発見して楽しんでいけたら毎日最高に楽しいなと感じた。

この気持ち、忘れずに子育てしていきたい(マミーブレインがんばれ)



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