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秘湯と気功でつづる七十二候|黄鶯睍睆 (うぐいすなく) 2/9~2/13頃

山里ではウグイスが鳴き始める頃。
「睍睆」とは鳴き声の良いという意味だそうで、気象庁では、この別名「春告鳥」と呼ばれるウグイスのさえずりを初めて聞いた日を「ウグイスの初鳴日」として、梅や桜の開花とともに観測しているそうです。

ホーホー、
ケキョ、ケキョ。


春の始めに鳴く
ウグイスは
まだ上手く鳴けません。

ケキョ、ケキョ。

下手くそぉーー(笑)
と思いながら

ホー、ホケキョ♪

と私が口笛を吹くと
(口笛、得意です)
ウグイスが焦って
鳴き返してくるのです。

ホー、ケキョ、ケキョ。

楽しいーーー!

でも、この無心に真似をするって
実はとてもすごいことなんですよね。

なかなか人間、
無心に真似をすることができません。
きっと大脳皮質が邪魔をするのでしょうね。

これでいいのか?
こうした方がいいんじゃないか?
いや、やっぱりこっちか?

一見、
ぼーっと気功をしているように見えても
実は、頭の中で
いろんなことを考えている、
大脳皮質が休まっていない人が
多いのです。

だから
考えたらダメなんだって!

気功の先生はこうおっしゃっていました。

「気功は、バカにならないとダメだね。
 これ、何の意味があるの? 
 と思ったら出来ないね。
 
 わからないけど、やる。
 
 だから、気功をやっている人、
 バカだね。
 だって、パツッ、パツッ、パツッって
 何やっているの? って感じでしょう。

 でもやり続ける。

 そうしてやり続けていると
 ある時、パツンとその道に入るんだよね」

私が大学で気功を習った時、
私はバカになっていました。

二十四時間、気功体。
ご飯を食べていても
道を歩いていても
寝ていても
ずっと気功体。

生まれた時から病弱で
お医者様からも
何度も死を宣告され、
西洋医学、
東洋医学、
鍼灸、按摩、漢方、
ありとあらゆる治療をしてきて、
もう残されたものは
気功しかない。

そんな状態で出会った気功です。

もう気功しかない。

でも、
生まれてからずーっと
治療につぐ、治療をしてきた
プロフェッショナルな病人の私は
盲目的に、
何かを信じるようなことはしません。

もちろん、気功に対しても
どこかで疑っている。

だって、
何度も死ぬような苦しい治療を、
これってもしかしたら
治療ミスじゃない?
という経験もしてきましたから。
そう簡単には信じませんよ。

でも最初に
体験で気功教室に行った時、
杖を突かないと歩けない状態だったのに
帰り、杖を忘れて帰ってきちゃったのです。

本当に。
よくある三流マンガの
ネタみたいな話ですけど。

ここだ!
すぐに学びたい!
すぐにでも大学に入学したい!

そう思ったのですが、
実際はすぐに大学に
入学できたわけではなく、
まずは、先生が別の場所で教えていた
教室に通うことになりました。

いわゆる様子見です。

私が、ではなく
先生が、です(笑)。

「まず、こちらの教室に通ってみて
 それでもやっぱり学びたいと思ったら、
 改めて入学を検討したらどうか?」
そう先生に言われたのです。

それから、
毎週、新潟から東京まで
通いました。

なぜか息子が都合よく
授業の日に東京で仕事が入って
それなら、と往復乗せてもらいながら
通い続けたのです。

半年間も。

今思えば、息子は私のためだけに
往復してくれていたのでしょうね。
でもそんなことにすら
気付かないほど
追い詰められ、必死でした。

だからバカになれたのだと思います。
ただ、ひたすら
先生の真似をして、真似をして
学校でも、家でも
ずっと気功をしていました。

仏教で
五体投地ってあるじゃないですか。

厳しい修行となると
何千回と五体投地をすると
聞いたことがあります。

あれと同じだと思っています。
気功も
何百回もやっていると
身体の感覚がなくなってきて
何も考えられなくなる。

空になるのです。

ただ、ここで大事なことは
ただがむしゃらにやればいいって
ことではないってことです。

とにかく
最初は、正確に
先生の真似をすること。

特に気功は
手の角度など
正確にやらないと
気の流れがわかるようにならないのです。

それはちょっとした角度などなのですが
ちょっと角度を変えるだけで
バーッと気が流れてくるのです。

私が習った時は、
そういうことを言葉ではなく
「気」で教えてくださいました。

今思っても、
本当にあり得ないぐらい
ラッキーですね。

最初は上手く鳴けなかったウグイスも

ホー、ホケキョ♪

と見事に鳴くようになります。

上達したねぇ。

そう思いながら
山道を散歩するのが、本当に楽しい。

もう、春ですね。

秘湯と気功に感謝を込めて。