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秘湯と気功でつづる七十二候|蟄虫坏戸 (むしかくれてとをふさぐ)9/28-10/2頃

これからくる冬に備えて、虫たちが戸をふさぐように、寒さを覚えた虫たちが地中に姿を隠す頃となりました。虫たちはこれから約半年間、土の中や木の根元、枯れ葉の中に身を隠して、暖かな春を待ちます。そして来年の春、啓蟄 (けいちつ) の頃になると再び姿を現します。

このブログの最初が
啓蟄、
蟄虫啓戸 (すごもりのむしとをひらく)でした。

雪虫の幼虫を
雪の合間から見つけた喜び。

雪国だからこそ
春への喜びが
より一層、溢れるのだろうなぁと思います。

あれから半年。
また長い冬がやってきます。
すごもり、ですね。

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さて今日は
「気功を目的にしてはいけない」
ということについてつづりたいと思います。

この言葉が、
ふっと降りてきたので。

「気功を目的にしてはいけない」

最初、先生にそう言われた時
意味がよくわかりませんでした。

だって、
先生のようなすっごい気功師になりたい。
って思っていましたから。

診断したり
治療したり
人の気持ちが見えたり
先のことが見えたり…。

すごいじゃないですか。

見えないものが見える。
そしてそれらに踊らされるのではなく
コントロールしている。

見えないものが見えたり
聞こえないものが聞こえたり。
訳の分からない世界に生きていた私にとって
先生は憧れです。

絶対に先生のようなすっごい気功師になりたい!

もうお目目キラキラ。

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でも
それは気功ではなく、宗教なのですね。
教えてくださる尊師がいて、
その教えを学んでいく。
その尊師に心酔していく。

宗教が悪いわけじゃありません。

私もお経を唱えますし
よくお寺にご相談にも行きます。

でも気功ではないのです。

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本物の気功師の方は
みなさん謙虚です。

私の知人で
長年リュウマチで苦しんでいた方が
ある時、先生に診断していただいたのです。

すると、
あれだけ痛くて
歩くのさえ困難だったのに
その帰りには普通に歩いて帰れたのです。

もう誰よりも驚いていたのは本人です。
そもそも
気功なんて胡散臭い
と思っていた方ですから。

でも先生は、歩けるようになった彼に
「僕は何もしていません。
 治したのは、あなたの力です」
とおっしゃったのです。

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実は私も彼の治療したことがあるのです。
その時、痛みが取れたと聞いて
顔には出してはいませんが
(いや、出ていたかも)
内心、
「やったね!」
と思っていたのです。

後日、彼に聞いたところ…。
先生の場合
その後3か月ぐらい痛みが治まっていたけど
私の場合は
家に帰ったら、すぐに痛みが出てきたそうです。
これは
先生は次元が高い、気の粒子も細かいため
身体の奥の奥まで
気を浸透させることができるけど
私は、まだまだ次元が低く、気の粒子が粗いため
表層にしか気が届かない
ということではないかと思っています。

でもそれはそれとして
先生は
「自分は何もしていない。
全てはあなたの力だ」と言われる。
しかも心から。

一方で、私は
やったね!
ですからねぇ。

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気功師は
なぜこれほどまでに謙虚なのでしょう。

私がお会いした
すごい先生方は皆さん謙虚です。

でもその答えのヒントが
気功を目的にしてはいけない
にあるように思うのです。

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気功は目的にしてはいけない。
気功はあくまでも手段。


命を強くするため、
健康で楽しく生きるための手段。

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気功を学んでいくと
やはりどこかで
先生のようなすっごい力、超能力を得たい!
と思ってしまいます。
それは正直な気持ちだと思います。

でも
そう思っているうちは
それを求めているうちは
そういう力を得ることはできません。

そういうことに執着せず
ただひたすらやり続ける。
ただ、ただ、ひたすらやり続ける。

そうすると
ある時、ふっと
天から降ってくるのです。

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ある時、
多分、50過ぎぐらいでしょうか。
先生のところに
「僕は先生のような気功師になりたいんです」
と、会社まで辞めてきたという男性がきました。

先生は何もおっしゃいませんでしたが、
横で聞いていた私が、つい
「先生みたいになんて
 なれるわけ、ないじゃない」
って、小さな声で(多分)
言っちゃったのです。

もう、烈火のごとく怒りましたね。

でも最初、私も
「私、先生みたな気功師になりたいんです」
って先生に言ったのです。

その時、先生は
「君が気功師になりたいというなら
 もう君は気功師だよ」
とおっしゃったのです。

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そう。
結局、どっちでもいいんです。
どっちでもいい。

そんなの関係ない。

秘湯と気功に感謝を込めて。