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菖蒲華(あやめはなさく)|七十二候

あやめの花が咲き始める頃。端午の節供に用いる菖蒲(しょうぶ)ではなく、花菖蒲のことです。「いずれあやめか杜若」これは、どちらも優れていて優劣がつかず、選択に迷うことのたとえです。

「いづれあやめか杜若」
と言われるように、
確かにアヤメ、カキツバタ、ハナショウブ。
見分けるのが難しいですよね。

駒の湯の周りにいつの頃からか
アヤメが自生しはじめました。
今年も咲いています。

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さて。
冒頭の句は、平安時代の武士・源政が、
怪鳥を退治した手柄により褒美として
「あやめ」という女性を賜ることになった時、
上皇は後宮の美女がずらっと並べ、
その中から本当の「あやめ」を選べと言ったのに対し、

「五月雨に沢辺の真薦(まこも)水超えて
いづれあやめと引きぞわづらふ」

(梅雨で沢の水嵩が増し、
 真薦(まこも)もあやめも水没してしまった。
 どれがあやめの葉か引き抜くのに悩んでしまう)

と詠んだという和歌をふまえているのだそうです。

ぜぃ、ぜぃ。
少し引用が長かったですね。

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実は駒の湯温泉で、ぷかっと頭だけ浮かせて、
前回お伝えした温泉の気功をしながら、
あやめ → 水没 → 水 → 温泉・・・
と、ぶつぶつ、このあやめの候を考えていたのです。

このぷかっと温泉から頭だけ出して浮いている姿は、
まるで、源頼政が水没していて選べないといった
あやめと同じじゃないか、とか。
(はい。私が「あやめ」女官です)

やっぱり私は腰のところが捻じれているから
気の流れが左右で違うなぁとか。

女性の場合は
右足に亀(陽)、左足に蛇(陰)を
イメージしながら
左右の陰陽バランスを整えるとよいと習ったなぁとか。
(男性は、左足に亀(陽)、右足に蛇(陰)です)

でもなんで亀と蛇なのだろう。
そういえば、亀も蛇も両生類で
水中と大地の間、
陰と陽の間を行ったり来たりしているなぁとか。

取り留めも無く考えていた時、
突然、
「そうか、陰と陽で考えればいいんだ!」
って どっかーんと落ちてきたのです!!

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東洋医学の根本の考え方は
病気になる前、未病の状態を良くするです。
そこが東洋医学の魅力なのですが、
だからこそ私は、
「私は病気になってしまったのだから仕方ない」
と思ってしまっていたのです。

だって未病じゃありませんから。

私は子どもの頃から
ありとあらゆる病気をしてきて
今もその病気と共に生きています。
腰も捻じれていますし
他にもいくつか大きな病を抱えています。

それでも温泉と気功のおかげさまで
今も明るくなんとか過ごしていられます。
でもそれは、
「右足が冷たくなる。
 気の流れが悪くなるのは、
 腰が捻じれているから仕方がない」

「頭が割れるほど痛いのも、
 そういう病を抱えているから仕方ない」

つまり病気だけど、
温泉と気功のおかげで何とか生きていける。
有難い。
そう思っていたのです。

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でもそうではない。
全ては単純に陰と陽で考えれば良いんだって
心から思えたのです。

そもそも、この病名自体も他人が付けたものです。
他人に付けられた病名に従って、
その病気になるのではなく、
自分の病名なんだから自分で名付けろって
思ったのです。

例えば、
「私は脊柱管狭窄症だから、
 腰が痛いし、右足が氷のように冷えるんだ」
ではなく、
「腰のところが詰まっていて、
 右(陽)の気の流れが悪くなっている。
 ならば、どんどん気を流そう。
 どんどん流して、陰陽バランスを整えよう」
そう考え方の根本が変わったのです。

おかげさまで、ものすごく気が楽になりました。
今まで
仕方ない。諦めるしかない。
諦めながらも仲良く生きていくしかない。
そう思っていたものが、
なぁんだ。全ては陰陽バランスじゃないか。
ならば、どんどん滞っているところは流せばいい。
そう思えるようになっただけで
気がとっても楽になったのです。

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だからって、この私の病気は治るのか。
それはわかりません。
でも、同じ生きるなら、
楽な方がよいではありませんか。

平安時代の上皇の意地悪が、
令和の時代の私を救ってくれるとは。

秘湯と気功に感謝を込めて。