見出し画像

気さくなアメリカ人♪

"お国柄"というものがあります。よく言われるお国柄のひとつに、日本人は「真面目で勤勉」、アメリカ人は「大らかで気さく」というのがありますが、あながち外れていないなぁ、と思うアメリカ生活。例えば、アメリカでオリンピックを見ていると、日本人選手によく使われる言葉は「Precision(精密さ)」とか「Technique(技術)」。アメリカで暮らす一日本人として、誰に頼まれたわけでもないのに、「日本人として、いい仕事をしなければ…」なんて思ってしまうこと自体、日本人の真面目さなのかもしれません。

日本人の真面目さ、勤勉さは、もちろん誇りに思うところですが、私はアメリカ人の気さくさ、おおらかさも好きです。日本ではありえないな、とか、日本人にも、少しでいいからこの要素があるといいのにな、なんて感じることもしばしば。いくつか体験談を紹介します。

まず、典型的なのが、お店のレジの店員さん。お店にもよりますが、概して、とってもフレンドリー。私の購入物を一通り見渡して「キーライムパイを作るんでしょ?」とか、曳きたてのコーヒー豆のにおいをかいで「このコーヒーはフレンチローストじゃない?ね、当たりでしょ!」などは、日常茶飯事。その他にも「これ、カボチャね。どうやって調理するの?」などなど、まるでお友達(笑)。彼らにしてみれば、お客さんとのそんな会話は、仕事の一部に過ぎないのでしょうが、決して義務としてではなく、楽しんでいる感があるところが微笑ましく、素敵です。

スーパー体験談が続きます。私は身長157㎝で、日本でも決して背が高い部類には入りませんが、ここアメリカでは日本にいるよりも、小柄な印象が強くなります。でも、そこまで小さくはない、、、のです!ある日、スーパーで買い物をしながら、商品棚を見上げていたら、中年の奥様が「どれか取ってほしいものはある?届かないんでしょ?」と。あー、ありがとうございます。でも、そこまでは小さくないと思うのですが…(笑)。カートに乗ってお買い物をしているお客さんに、声をかける親切さですね。カートに乗っている方が、すごく気軽に「ちょっと、それ取ってくれる?」などとお願いしている姿もいいものです。

同じような出来事は、道端でも起こります。私道で車の修理をしていた旦那さんが、部品を買いにお店に買い物に行っている間に、車の脇で留守番をしていると、必ずと言っていいほど、複数の人が声をかけてくれます。「大丈夫?」「どこかまで乗せていってあげようか?」という風に。一度なんて、道の向かい側のアパートに住む、車好きのお兄さんが、工具を持って助けに来てくれたこともありました。

さて、スーパーに戻ります。身長低めでも、そこまでは低くないと自負している私ですが、ある日、商品棚の一番上のシャンプーに手が届かないことがありました。商品が、ほんの少し後ろにさがっていたのです。これでもか、というほど手を伸ばしても、本当にあと1センチ足りない。おしいだけに悔しくて、周りを見渡すと、小柄なおじいさんがただひとり。小さ目ではあるけれど、この場合、私より1センチ背が高ければいいのだから、と声をかけました。おじいさんは、少し驚いた様子で「私にとってほしいっていうのかい?無理無理。届かないよ」と。アメリカ人の冗談かな、と思い、笑顔でもう一押し。すると、おじいさん、「無理だと思うよ」などと言いながらも、目当てのシャンプーめがけて手を伸ばしました。が、伸ばした手の高さは、ほぼ肩の高さで、そして、プルプルと震えているではありませんか!もうやだぁ、おじいさん、なんのコント?なんて笑いかけましたが、ふと、あ、このおじいちゃん、ふざけているわけではないんだ、と気づいた次第です。おじいちゃんの腕をとって引っ張らなくて、本当によかった。年を取ると、いろいろと体にも制限がでてくるのですね。大変失礼しました。それでも、その親切なおじいちゃんは、私に買い物カゴの中身を全部出して、カゴをひっくり返して、その上に私が乗ればいい、と新たな提案をしてくれました。小さく見えるようですが、そんなことをしてカゴを壊しでもしたら、結構恥ずかしいので、それはしませんでしたが、なかなか面白いやりとりでした。元気にしているかな、あの時のおじいちゃん。

「あの人は〇〇人だから▢▢▢▢」なんていう発言は、一歩間違えれば人種差別の域に入り、気を付けなければいけませんが、私はそれでもやっぱり“お国柄”ってあると思うのです。違いを理解し、受入れ、それを生かし合うことで、身の回りの小さな世の中も、地球という惑星に広がる大きな世の中も、もう少しうまく回っていくのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?