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アメリカのテレビ番組に思う「アメリカ人、こわ~い」(笑)

NetflixとかHuluのストリーミングサービスを利用して,、アメリカのテレビ番組を見るとき、私は英語字幕を付けるようにしています。その目的は、聞き取れない部分を補うためと、確認のため。日本語だったら、周りが多少うるさかろうと、音声が悪かろうと無意識に理解できるものですが、英語になると、音声が小さい、または悪い、話者のスピードが早い、スラングが多い、なまりが強い、などのちょっとしたことが、理解の妨げになります。アメリカでの生活を始める前から、この英語音声と英語字幕の設定は、私のお気に入りでした。楽しみながらの英語上達法♪ そして、私の場合、気になる言い回しや単語は、念のため、旦那さんに確認をするようにしています。「これって通じる?」「こう言い方ってするの?」というふうに。ものによっては、「するけど、使わない方がいいよ」と言われることもあります。若い子たちの言葉すぎる、とか、逆にもう古くて誰もそんな風に言わない、とか、その理由はいろいろ。感覚的なものも入ってきますので、私にとっては、この確認作業が結構大事。そうでないと、新しく入手した言葉をやみくもに使いかねませんので。生きた言葉を学ぶっておもしろいものです。

さて、テレビを見ながら学べることは、英語だけではありません。ベーカーという職業柄もありますが、私はCooking番組とBaking番組が大好きです。といっても、作り方を紹介するものや、食レポ的なものではなく、十数名の参加者が毎週課題のモノを作って、その出来栄えに応じて1名ずつ落とされていく、いわゆるリアリティ番組のタイプ。普段はお目にかからない、高級食材や珍しい食材の名前なども、これで随分と覚えましたね。アメリカの地域に根差した料理もしかり。Bakingに関しては、これとこれのペアがトレンド、今人気のデザインはこんな感じ、なんて言う具合にです。

そして、そんなCookin & Bakingリアリティー番組を通じて、勉強できる非常に興味部会もののひとつが、アメリカ人性。いわゆる、台本がない番組なので、アメリカ人がこんな場面で、こんな風に振る舞う…という一例を、垣間見ることができるのです。アメリカでの生活を始めて、まだ1年か2年がたったころに見たシーンは衝撃的でした。アマチュア料理人十数名が参加する料理番組。その日は、生き残っている参加者が2グループに分かれて競う、チームチャレンジでした。任命されたチームキャプテンを中心にメニューを考え、個々の参加者が、あなたはメインの肉担当、あなたは付け合わせの野菜担当、あなたはソース担当、あなたは盛り付け、といった風に役割分担がされます。結果として、負けたチームから1名が、その週の落第者となりますので、まずはチームが勝利することが先決となります。ジャッジが試食を終え、勝敗を決めるためのゴニョゴニョ話をしているさなか、事件が勃発しました。

参加女性A:「Your cauliflower sauce is GROSS!  (あなたのカリフラワーソース、オェッだわ!)」

女性B:「What?  Did you just say my cauliflower sauce is GROSS?  (は?あなた今、私のカリフラワーソースがオェッだって言った?」

まさに一触即発。他の参加者も事の険悪さに気づき、それとなく次の事態に備えるムード。アメリカ生活の日が浅かった私には、とにかく衝撃的。勝敗がかかった大事な場面、勝ちたい気持ちはもちろん分かります。そして、ジャッジの反応からも、カリフラワーソースに問題があったことも事実のよう。イライラする気持ちも分かりますが、そのストレートな怒りのぶつけ方と、同じ熱量で応戦する相手の姿に、とにかく私はびっくり。アメリカ人、こわ~い(笑)。

またある日、同じスタイルで毎週1名が落とされていくケーキ職人番組を見ていたときのことでした。事件は、番組の後半、その週の敗者がジャッジから言い渡されたときに勃発。なんと、負けを言い渡された女性参加者が、ジャッジに物申したのです。あなたは、間違った判断をしている。あなたは私を残すべき、でないと後で後悔する、と。私の口はアングリ。ちなみに、その日の彼女の出来栄えからしても、私はジャッジの判断は妥当だったと思います。しかし、本当の驚きは、その後にやってきました。異議申し立てられたジャッジが、結果的に彼女の意気込みを買い、判定を覆したのです。しかも、そのエネルギーが見たかったんだ!と称賛しかねない様子。その彼女の代わりに、彼女よりいい仕事をした他の誰かが落とされることになるのにですよ。もう、私の顔も硬直します。百歩譲って、強気な彼女が異議申し立てたとこまでは理解したとしても、その勢いをかって、判定をいとも簡単に覆してしまうって… アメリカ人、こわ~い(笑)。

でもですね、このシーンを見た頃、私はサクラメントへの引っ越しに伴う、いわば就職活動中でして。パン屋経験1年半という不十分さ、当然、それに伴う自信のなさもあり、いまいち面接で苦戦している頃だったのです。この衝撃のシーンを見たことで、ここまで自信を持って、あるいは自信があるかのように振る舞っていいんだ、これがアメリカンスタイルなんだっ!と勝手に鼓舞されたのも事実。気持ちを前面に出すことって、時として重要なんですね。相手が汲み取ってくれることに期待するのではなく、言いたいことは、はっきりと自分の言葉で伝える、気持ちはおのずとついてくる、といった感じでしょうか。

アメリカというと「アメリカ人は自己主張が強い」「YesかNoかがはっきり」「すぐに謝らない」などということがよく言われますが、実際に私が感じることは、また少し違っていたりします。例えば、職場で困ったちゃんがいるとします。誰がどう見てもの困ったちゃん。本人がいない場での会話を聞く限り、誰もが思っていることが同じなのは明らかで、要するに、かなりイライラしているのです。ならば、本人に対して直接指摘をしたり、アドバイスをしたりするのかと思ったら、これがまた、イライラするくらい何もしなかったりするのです。意外にも、“いい人”姿勢を続けようとするアメリカ人が多いことに、私はびっくり。アメリカ人って、もっと言いたいことを言っちゃったりするんじゃないのぉ?って感じです。むしろ、周りからは、おとなしくていい人で通っているであろう私の方が、時としてプツンと堪忍袋の緒が切れる場面があり、その結果、はっきりと怒っていることを伝えることになることも。感情的な言葉では怒りませんが、普段がおとなしいだけに、それなりに効き目はあるみたいです(笑)。

要するに、それこそお国柄というか傾向のようなものはあれ、あくまでも個人として、感じ方も違えば、対応の仕方も違うということです。ここ数年アメリカで問題となっている人種差別問題ですが、ある日、関連する事件が起きて、お店の休憩室のテレビで速報が流れていました。それを見て、何気なくコメントをした人に対して、その場にたまたま居合わせた別の人が「私はそうは思わない」と言ったかと思うと、自分の思うところを述べて、さらっと休憩室を後にしました。かなりセンシティブな問題に対して、相手の発言を責めるのではなく、でも、自分の意見はこういうものだ、と言うことだけはしっかりと表明する姿。かっこよかったなぁ。アメリカ人、ステキ~。

人の種類も様々、話される言葉も様々、それぞれが育ってきた環境や文化も様々、人の考え方も様々。そんないろいろな種類の人間が共存しているアメリカだからこそ、身近なところでも、差別なるものが起こり得る、というのも現実でしょう。でも、その中において、多くの人は、お互いに違いがあるということを理解し、差別につながることを極力避けようとしながら生きている。自分の言いたいことは言う、自己主張するところはしつつも、個々の違いに、ある意味、ピリピリするほど気遣いながら生活しているのもまた、アメリカの実際の姿のように感じるのです。


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