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田螺

(平成三年五月)

 あやめ池の北側はかなり広い遊園地になっている。わたしが子供のころの話であるから相当前になるが、この遊園地の東の隅に円形劇場ができた。そのころにしては斬新なデザインだというのでかなり話題になった。 完全なドーム型ではなく、半分が球で半分は片流れの屋根になっていたが、中はそれまでの劇場と大差はなく、管理が行き届かない証拠のように開館してまもなくトイレのアンモニア臭が通路を歩いて来ては椅子にかけ、観客といっしょにレビューのお嬢さんの高くあがるすらりとした足を眺めていた。
 園内には動物園、プール、乗物などの設備があり、シーズンには家族連れが来てはあちこちのごみ箱だけでなく通路にも木の繁みにもごみを撒き散らかして、それによって近鉄のふところ具合をよくしては掃除の係りの人の口をふさぐ仕掛けになっていたようである。
 実際、関西の大手の私鉄労連がストに入っても近鉄だけはすぐ交渉が妥結してストライキはいつも回避されていた。ほかに交通の手段のないわたしたちは、学校のときから会社勤めにわたって数年間、「電車が動かないから」という面目の立つ理由で休めたことがないお客第一に考えた佐伯さんという人は、たいした人であったらしい。 お客だけでなく、自分の下で働いている人の希望をできるだけごたごたしないで聞き容れてあげようという姿勢があったとしか思えない。しかし、そんなことはどうでもいい。どうでもいいと は失礼だが、怒るような佐伯さんではないはずである。 
 今朝の「折々のうた」に田螺の句が出ているのを見て、あやめ池遊園地のことを思い出したまでである。
 沸々と 田螺に国の 静まらず
            松本 たかし

 遊園地の一角にあり、シーズン中の毎日ではないが、日曜日とか祝祭日にはバンド演奏、歌謡ショー、漫才、踊りのショーが行われた。あまり有名ではない人たちが出演していたが、その中にデビューしたばかりの美樹克彦や全然売れないころの小坂一也とワゴン・マスターズなどもいた。最も回数多く出演していたのは、ミス・ハワイ、 暁伸という派手な漫才コンビであったと覚えている。
 わたしたちは、歩いて十分ほどのところに住んでいた。高い入場料を払うのがばかばかしく、また、実際にそれほどのゆとりがなかったからでもあるが、いつも人気のない繁みを探しだしては鉄条網に服を引っかけないようにして園内にもぐり込んだ。 一度現場を押さえられてお目玉を食らったことがある。そういう不届き者を取り締まる監視員がいたのである。何を隠そうわたしたちはロハ(※)入園の常習犯であった。
 ショーのある日だけ狙って入り込むのである。 ほかのアトラクションは一度見てしまうとすぐ飽きてしまったので、変化のあるショーだけが目的である。その待ち時間の間に繰り返し繰り返しかけられたレコードが、ほかでもない「タニシ、 タンコロリン」という歌であった。

たにし たんころりん
なぜ 戸を閉めた
ともだち ないのか
遊んでやろか

 たったこれだけの歌である。ワンコーラスだけのこの歌を何回も何回もかけては時間をつないだ。多分30分前くらいからかけ始めて、ショーが始まりますよという合図にしていたに違いない。
 先の田螺の国の句もそうであるが、タンコロリンのほうも、人に忘れられたような存在の田螺が憐れである。もし沸沸と沸き立つような小さな命に作者が目をとめなければ、田螺は「固い、固い」と文句を言われながら酢味噌や油味噌にされて人に食されるくらいのものでしかない。あまりの固さにあごがくたびれてついに箸を置く。ちょうど何度目かのタンコロリンを聞いて、唯一のおやつであったチューインガムを、くたびれ果てたあごのためについに捨てたように・・・。

(※)ロハとは「只」という漢字を縦読みしたもの。「タダ・無料」のこと


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