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五年ぶりの上空

 (平成四年六月

 土曜日に富士山の山頂に軽飛行機が墜落し、搭乗者三人が死んだ。区切りがないかわりに、空には常に生死の境い目という目があり、ひとつ間違うと命にかかわる。それでもなお空に浮かんでいる時間をほかの人よりよけいにほしいという人間だけが「物好き」と笑われながらも鳥に憧れる。

 久しぶりの休日の午後、ボロになった座いすをなんとか見た目だけでもゴマカそうとカバーを縫い終わったところで、これまでの休日の過ごしかたにはなはだ不満を抱いていたわたしは、もっと自分の行きたいところへ行くことにしようと思った。
 ひととおり家の中の掃除やかたづけが終わるととくに何をすることもないので、いつも寝っころがってラジオを聞いている。少しうとうとしたかなと思って目をあげるともうあたりに宵のたたずまいが感じられて「ああ、これで休みが終わってしまうのか」と口おしい気がするのをずっと繰り返している。これは明らかに自分のせいである。
 さしあたって行きたいところというと、去年の今ごろどうしても探し出すことのできなかったメロン畑の中の飛行場である。先日ひょっこりお店にたずねて来たもとのクラブのボスM氏の話を思い出して、まずまずのすべり出しを見せている新クラブのようすを見に行くのも悪くないと思った。
 M氏は、コーヒーを飲みながらお話を聞かせてもらおうとわたしが提案したお店がお休みだったために、ぐるぐる車で走っている間中、最近の各方面の情報を提供してくれた。 彼の本業である保険業務の活動状況、フライング・クラブのすぐそばにある養鶏場の「話のわからない人物」像、フランスから購入した二機目のミストラル等々。 以前には住金の傘下にあったトップ・スカイのお歴々の話で笑いこけた。M氏の話は適当にものまねもはいって愉快なものである。

 去年とは違う道を行ってみたがどうもそれらしい場所には行き当たらない。小さいお店があったのでここで聞いてみようと思ってはいっていくと、座敷で寝っころがっていたお婆さんがあわてて起きあがったが、ただの道案内が自分の役目とわかるとそれまで笑顔だったのを急によしにして「知りませんね、そんなもの」といった。
 そこからふたまたの箇所まで引き返して別の道に行くと、道路の脇に軽トラックを止めている夫婦者らしい農家の人にあった。降りてたずねると、五百メー トル程先に見える黄色の建物を指さして、あれがそうだと教えてくれた。言われたとおりの道に車を入れて、ようやく一台が通れる農道を建物を目指して行った。車輪の跡はあるが、道路の真ん中は五十センチ以上に伸びた雑草がずっと続いている。車のお腹がむずがゆくなるようなとげのある穂先の草の上を、わたしもかゆい思いで行くと、突然のようにきれいなグリー ンの広い空間が目に飛びこむ。
 ゴルフ場のグリーンほどの密度とまで言わなくも、かなり手入れの届いた芝生が広がっている。黄色い建物と見えたのはビニールのシートを枠にかぶせた格納庫であった。
 トップ・スカイのネームを縫い取りしたオーバー・オールを着た 二、三人の男の人が止めた車のそばにいるが、M氏の姿は見えない。聞くとちょっと出かけているということであった。すぐにもどって来るはずだからと言われるまでもなく、わたしは今日はひそかな期待をして来たのである ら、M氏の顔を見ないで帰ることはできない。
 密かな期待とはミストラルに乗せてもらうことである。裏手のほうに止めてある車のプレ ートを見ると、品川、千葉、習志野、横浜などで、みんなかなり遠くから来ていることがわかる。しかも高級車ばかりである。
 格納庫の前には話に聞いていたミストラルが止めてあった。白い複葉の機体である。足もとも横も、さらに上も、人間がそこに座って操縦する部分は完全に保護されていて、前にある計器類も自動車のもののような感じを受ける。 以前にわたしが訓練を受けたときに乗ったウィード・ホッパーは空飛ぶオートバイというのがぴったりのものであるが、ミストラルは空飛ぶ自動車になる。M氏の奥さんの手作りらしいクッションが置いてあって、その日の日付けでフライトの記録を書いたバインダーがシートに乗っている。
 若い女の人が空から帰ってきた。いるんだ、 やっぱり女の子が!と思った。ほぼソロ・フライトができる段階までいっているようであった。わたしはとたんに自分の最後の訓練に乗ってくれた神谷氏のことを思い出した。
 ほどなくM氏がもどって来て、メンバーの人たちにわたしを紹介してくれた。わたしのもっている認定証(これこそ正真正銘のペー パー・ライセンスであるが)を見せると、みんな口々にこれのほうがずっとカッコいいという。
 ご近所の農家の人らしい若い女の人がお茶のさしいれだと言ってお菓子や鴨のたまごのゆでたのをもってきてくれた。話の前後関係やその行動で、彼女はこの飛行場のための土地の持ち主の娘さんらしいことがわかった。ほどなくそのお父さんという人も地下たび姿で現れる。ことばからしてもともとこの土地の人ではなく、もっと北のほうの生れらしいことが察せられる。
 M氏がなんでもないように、ごく当りまえのようにミストラルに乗ってみますか、と言ってくれた。 やったあ、待ってました、である。
 一応「乗せていただけるんですか?」と遠慮するふりはしたがもちろんもうからだは機体に寄っている。真横からの風の速度が十メートルあっても離着陸が可能だというミストラルは、グリーンと黒のツートーンカラーのアヴェンジャーよりもさらに性能がいい。そして格納庫の奥のほうに解体して保管されているY氏のウィード・ホッパー機よりは数上のものである。
 人間がもう一度あの感覚を自分のものにしたいと思うその基本にあるものは「めまい」であるということを言った人がいる。 真実であるかどうかはわからないが、なんとなく理解できるような気がする。M氏が握っている操縦管をぐっと手前に引くと機がぐんぐん上昇する。 そのときにわたしが感じる感覚は間違いなくめまいである。すくなくともあの瞬間にはわたしの体内にはアドレナリンではなく、エンドロフィンが充満している。
 五年ぶりの上空はやや曇りがちのお天気など問題にはならないすばらしい眺めであった。さまざまな角度をもって整然と並んでいるメロン畑は、ついこの間までわたしが懸命にきれいに仕上げようと努力したパッチワークのようである。
 海上に出るとM氏がエイの泳いでいるのが見えるはずだとヘッドホンを通じて教えてくれる。 わたしにも一尾が見えた。ときにはイルカも海岸のすぐ近くまで来ることがあるという。
 時間を計っていなかったが、フライトの時間は長いような短いような捕えようのないもので、それはしばらくぶりに飛んだから平常の心をどこかへ、多分地上に置き忘れてきてしまったからであろう。
 ミストラルから離れてから初めて自分が自分にもどった心地がした。

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