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トラヴァースの経験

(平成五年二月)

『トラヴァース』
壁を横切ること。 縦走を指す場合もある。
(TBSブリタニカ出版、 ラインホルト・メスナー自伝より)

 壁を横切るといっても、建物の壁ではない。 岩壁のことである。メスナーは登山家で、年はわたしよりひとつ若い。この人の書いた本を配水場のA氏から借りて読んだ。 A氏は自分でも山に登るくらいであるからメスナーには興味があったと見えて、高いなあと思いながらもこの本を買ったという。
 この本を読んでいて、指一本分の棚にさえ足を乗せて岩の割れ目にこぶしを入れ、自分の頭の上に覆いかぶさるような石をも乗り越えて行くというクライミングのようすに、どこかでわたしもこれに似たような経験をしているという感じになった。夢の中でであろうか。映画でみたのだろうか。それとももっと別の本で同じようなことを書かれているのを読んだのだろうか。いや、そうではない。これは実体験を踏まえた者にしかつかめない感覚である。どこで味わったろう。

 おなかのあたりに岩がつっかえている。足は目いっぱいに開かないと次に足を乗せられるところへは届かない。手もやはり同じである。どうぞここをつかんで下さいというような取手がついているわけではない。凸凹していておまけに濡れている。何によって濡れているのか。波だ。海の波だ。背中にしぶきがかかる。手がかりを探しながら足を乗せるところを探りながら少しずつ進む。それほど上まで登らなくても岩の狭い棚はすぐ向こうに見える草の生えているところまで途切れながらありそうだし、わたし一人ではない。わたしの前をだれかが行く。少し年かさのその人のあとを遅れないように行かないとわたしは家には帰れない。伝い歩いた距離はせいぜい十メートルくらいであったろうか。
 濡れた岩を時には引きつける力でつかみ、時には押すようにして離さず、からだを密着させ、また時には着ているものとの摩擦をなくするためにほんの少し岩から離して、というようなことをわたしが誰からも教わらないで一瞬のうちに体得したのは、まさにただ家に帰りたいという本能から来ているものであったと今になって感じる。
 わたしが五才から六才のころに住んでいたアクシという離れ島は鳥羽港から数キロのところにある。ほとんどが山地であるが鳥羽に向きあった入江には何戸かの家があり、そこが船の修理などにあてられていた場所であることをやめたあとの話である。家の戸を開け外に出ると錆びだらけになった船の機関部品が山積みになっている。岩壁まで十メート ルかそこらしかない。 湾曲していて真ん中の部分が離れている、ちょうどおとなの腕くらいの太さの錆びついた部品が最も目についた。何もない時代のことであるからそういうものをおもちゃにして遊んだ。 そういう錆びついた船の機関部分が海中にあるとそこにあわびなどが棲みつき、必要以上の鉄分を摂ることによって巨大な貝に成長する。 それを喜べて中毒症状をおこした人がいたという。鉄のほかに使われていた銅の錆びによるものらしかった。
 「遠くへ行くと人さらいにさらわれる」とよく母が戒めにその台詞を言った。それだからそれほど遠くへは遊びに行かなかったと思うが、わたしより少し年かさの男の子たちとたまには遠出することもあった。わたしが「長崎物語」を歌って聞かせて「まあ、上手」 と驚かせたおばさんの家の、まだその向こうまで行くには相当の時間がかかる。ひとりでは行ったことのないところでも連れがいればついて行く。潮が満ちると浜が通れなくなることも忘れて。
 来るときにはアオサのついた岩の間を縫いながら浜を駆けて来たが、日が暮れかかるころに帰ろうとすると浜はすっかり波の下に姿を消している。丈の高い岩は波の上に頭を出しているがそれだけを伝っては行けない。自然に岩壁に寄り沿って行くようになる。もっと潮が満ちて来るとその濡れた岩壁でさえもすっかり波に隠れてしまったであろうが、満ち始めてからそれほどたっていなかったから十メートルも壁づたいに行けば陸地に降りることができた。
 一度か二度はこういう経験をしたがどうして今の今まで、メスナーのこの本を読むまでこのことを忘れていたのかと考えてみた。それはわたしがお転婆であったからということになろう。遠出をしたときに体験したそのトラヴァースも、わたしにとっては日常の冒険の一環でしかなく、遊びの一部分であったということになる。 アクシの家のすぐ後ろにあった山の道などないようなところを登って行くことと少しも変わらなかった。
 わたしが恐れていたのは命の危険よりもむしろ母の戒めを破ったときの制裁のほうではなかったろうか。なぜなら、母は厳しい人で、たとえばまだ学校に上がらないうちにわたしに文字を教えるために家の中にそれたった一枚であった障子に墨で五十音を書き、四角のビスケットくらいの積木の表には絵、裏にはその絵の頭の文字を書いたものをあてがって、障子に書かれたと同じ位置にその積木を置くことから教え始めたが、わたしができないと甲高い声を出して叱った。「違う!」わたしは泣きべそをかきながら「こうか? こうか?」と何度も食べられないビスケットの位置を変えた。その記憶の鮮烈さはトラヴァースの時の恐怖などものの数ではなかったのである。

 この本の中に映画「アイガー・サンクショ ン」のことがちらと出てくる。 テレビで一度見たことがある。C・イーストウッドの主演の映画である。岩登りのすごさを見せるこの映画を見た記憶があるが、そのときでもわたしは自分の六才の時の経験は思い出さなかった。今考えると当然ながらアイガー北壁陸地の真っただ中にある壁で、海に面していないということが記憶を呼びさます力をもたなかったことにつながっていると思う。
 しかしながらメスナーの書いたこの本、A氏に言わせれば 「文章はあまりうまくないね」というその文面から、わたしは感覚的、実質的記憶の中に埋もれた岩をつかむことができたのである。
 思い立ってもう一度「アイガー・サンクション」を見てみたいと近くのビデオ・ショップへ行った。店員に調べてもらったが、その店には置いていなかった。ほかにそういう種類の映画のビデオはないかどうか聞いてみた。すると彼はたしかそういうのがあったと思ったと好意的に答えてくれた。そのうちのひとつが「K2・愛と友情のザイル」というものであった。わたしはす ぐにそれを借りることにした。
 A氏にこのビデオの話をしようと思って配水場への曲り角を曲がると、まさに今車をに向けて出ようとしているA氏にあった。
 「ほんとうはこういうことはいけないんだけど」と言って、わたしは先にA氏にこのビデオを見せてあげることにした。 本やビデオはそれを楽しむ人が多ければ無限にその価値を広げることができる。A氏はメスナーのこの本を「高い」と思って買ったが、わたしという別の読み手を得て、本はすでに その価値を倍にしている。そして、この本を読んだことでわたしの眠っていた記憶が呼び覚まされ、この一文を書くきっかけを作ったということでは、人数や金額のことなど論外の、もっと大きな働きをしている。

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