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有線放送

(平成五年五月)

 もう十年も前になるが、お店に高校生のアルバイトの男の子のいたころ、彼らの希望も半分ありで、有線放送を聞いていたことがある。好きなジャンルの音楽が聞けて、飽きれば12あるチャンネルの中から好みのものに合わせればいい。また電話すると希望した曲をかけてくれるようになっていて、いかにも便利で需要に合った供給の方法である。しかし、そう思ったのはほんの初めだけで、この有線放送からとんでもないトラブルが発生した。
 高校生のお兄ちゃんはその時分に流行っていた新しい音楽を聞きたいという。当時店を手伝ってくれていた義姉は演歌だという。お互いに相手の聞きたいものを端から馬鹿にしているというありさまで、親子くらいの年令差のあるお互いの好みの合うはずもない。チャンネルの奪い合いから本気の喧嘩になってしまった。今考えてもおとなげない争いであった。わたしはどちらにも味方はしなかったが、義姉はほかにも面白くないことがあったのに、このことが引き金となって、それっきりお店の手伝いはやめてしまった。この事件のことがあってから有線放送の受信は断り、今では機械だけが柱に残っている。
 今日、その有線放送の営業がふたりやってきた。持っていたパンフレットを見せて「ぜひ!」という。それによると、かつては12しかなかったチャンネルが今では40チャンネルもあり、いろいろな需要に応じることができるという。見開き2ページのその内容を見てびっくりした。
 大きく7つの部門に分けられていて、歌謡曲、民謡、ポピュラーからクラシック、BGM、 カラオケ、ラジオ、各国音楽、語学、 講座、子供向け、文化、娯楽、大自然、リースチャンネル、テレビという区分けになっている。その7つの部分がそれぞれ40に分けられていてごく具体的な音楽(あるいは音そのもの)のジャンル分けがもっと細かくなっている。 それぞれに特徴のないものはなく、いちばんわたしを驚かせたのは「文化、娯楽、大自然」というものの中の「アリバイ」と名づけられた三つの音の供給である。「パチンコ、麻雀」、「路上の電話ボックス」、「喫茶店、スナック」 と、三つの場所の状況を、聞く者の頭にすぐに思い浮かばせるようなういう音を提供するチャンネルがあるというのである。これらに「アリバイ」という題がついているからには、良い利用のしかたがあるとはとても思えない。これらの場所以外のところにいるのに、いかにも喧騒なそういう場所から電話しているのだと相手に思わせるためという手の込んだ芝居になる。そう、まさに電話によるきみのみに有効なアリバイ工作である。これはもう中島みゆきの世界である。
 このほかにへえ、と思わせるものには子供向けの中の「心音」というのがある。これは子供といってもごく小さい乳児向であろう。 同じ区分けの中の「精神音楽」には願望実現、精神集中、潜在能力開発、精神安定、心労緩和があり、いずれもはやりのアルファ・ミュージックなものが想像される。この精神音楽の一部として「催眠」という分けかたがしてあり、そこには音楽による催眠のほかに、「哲学講座」と「羊の数」というのがある。ヒトをバカにしているような、あるいはそのまったく反対に、バカにしていないような不可解なものである。
 これの番外に「ボケ防止、 リハビリ」というのがあるから、まじめに考えているのならば、このチャンネルを利用するかも知れない年齢層はこれから確実に増えていくことを見込んだ、まことに当を得たものであるというべきであろう。
 このほかにペット用音楽というものまであるから、こんなものを聞かされる犬や猫はとんだ迷惑であろうと思われる。
 セールスの人の話では、さらに植物の音楽もあり、生育に役立つという証明がなされたかどうかは確かではないが、ひとつのブームのように、ビニールハウスの中に有線が流れているところも少なくないという。
 この文章を書いているときに問屋さんのひとりが注文を取りに来た。Sさんである。Sさんは わたしが有線放送のパンフレットを見ながらワープロに向かっているのを見て「それは有線放送のですか」という。「そう、よくわ かること」と答えて彼にパンフレットを見せた。前の日に有線放送のセールスの人から聞いたことなどを話し、さらに「このアリバイっていうのにびっくりしたの」というと、意外なことにSさんは事情などとっくに御存知とばかりにこの「アリバイ」の利用のしかたについて詳しく説明してくれた。
 彼の話では、彼ら外回りしている人達はほとんどポケット・ベルを持ち歩いている。どこにいようと会社から呼び出され、気の休まるときがなかろうと思われる。ポケ・ベルなどなかった時代に比べれば彼らのプライバシーは、はるかに侵害されているに違いない。何がプライバシーかということになるが、社外で仕事をする人にとってはある程度の「息抜き」は半ば公然と認められているはずである。
 Sさんの話に私が多少脚色して書くと、たとえばXはただいま不倫中とする。どこかいかがわしい場所で真最中というときにかたわらに脱いである背広の中でピーピーとくぐもった音がする。彼は部屋に備えつけられた有線のチャンネルを「路上の電話ボックス」というのに合わせてから、部屋の電話から会社にかける。そのときに彼がベロを出すかどうかは知らないが、だれかほかに人がいて、そのそばでウソをつくという不正行為をする場合には、テレ隠しのためにベロの一枚や二 枚は出しそうである。現に、彼はいくつかの舌をすでに持っているのであるから。「いや、今外からかけてるんですが…」と いかにもそれらしい声で言う。これが「プライバシー」の正体だとするとあまりに情ないことになりそうである。
 Sさんの話では、もっと手の混んだことに、○○駅のアナウンス、 XX駅のアナウンスというのが幾通りもあるというのである。「じゃ、必ずしも犯罪を想定した 『アリバイ』ということじゃないのね」とわたしがSさんに言うと「犯罪という場合もあるかも知れませんね」と、四人組で犯罪を犯す場合の「麻雀店」からの電話による工作の例などを話してくれる。また、Sさんはこれらの音はもともとエンドレスになったテープが売られていたのだと話した。それを有線放送で流すようになったとは知らなかったとは言っていたが、先にテープがあったのは考えてみれば当然で、市場での売れゆきの良さに目をつけ、有線放送がこれを扱うようになったまでの話である。いずれにしても消費者のニーズがあればこそ成り立つ商売なのである。こういう「状況」を必要とするなんて、なんとも地に落ちた道徳というべきであろうか。せめて不倫を決め込むのなら、こんなアクどい芝居などしないで、もっと早く露顕するようにいさぎよいほうが罪の意識も軽くすむと思うがどうだろうか。不倫をしながら「いさぎよい」というのも変な理屈であるが、要するにヘタな工作などしないほうがかわいげがあるということである。こういう音を使う人の心理は、おそらく「相手にたいする思いやりから」と当人は言うかも知れない。しかし、それはいかにも尤もらしいいいわけで、初めからだますつもりでいるのを二重にも三重にもしてさらに罪のかさあげをしているに過ぎない。とにかく、良いことのためにこれらの音が利用されるということはまずなさそうである。わたしは、現代の日本の平和と堕落を思わないではいられない心境になった。

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