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正五角形を追って

 いやしくも人が一旦口にしたことには責任を負わなくてはならない。まして文字に残たものであるならなおさらのことである。「ドナルドダックとフィボナッチ」の中でわたしは正五角形はコンパスと定規さえあれば誰にでも云々…と書いている。
 少なくとも書いた時点ではちゃんと描けると思っていたのである。ところが…である。 念のため、と思って紙とコンパス、定規を用意して先ず円を描き半径をそのままに円周を分割していってできたのは正六角形であった。 そういえばそうである。なぜこんなカンチガイをしてしまったのであろう。
要するにわたしがアホなのである。たしかに中学のときに習っているはずであるが、人間の記憶などというものはアテにはならない。アホだと認めるだけで解決するのならいいがそういうことでは断じてない。何としても自分で正五角形が描けるようにならなくてはウソであると考えたわたしは、わたしにこの一文を書かせるきっかけになった「間脳幻想」 のなかに掲載されている「ブレアの展開図」 をマスターすれば五角形どころか正十二角形まで描けるはずだと考えた。
 縮小されてかなりわかりにくくなっているその図を穴のあくほどもみつめて、どうやらベースになる小さい三つの円からこの物語がはじまっているらしいことがわかった。
 ちょうどその日に夫の友達がひとり来て、その夜はうちに泊まることになっていたが、お店にいるときから「ようし、今夜は何とかあのブレアの野郎をやっつけてやる!」と心に決めていたので、誘われた食事も断ってひとりでゆっくりとグラフ用紙に向かった。そこまでいくのに自分の食事はといえば、冷蔵庫のなかにあるすぐ食べられそうなものをふたつみっつテーブルに置いて、展開図のあるページを開けた本を横目でみながらロクに噛むこともせず、食事の見本としては最も悪いもののひとつを実施してあとかたづけもせずにコンパスを手にしたものである。
 ベースになる三つの円からまず正三角形を描き、それをもとに正方形を描く、この展開図によると底辺の一辺は八角形になろうが十角形になろうがすべての図形が共有する一辺である。そしてどの図形にもそれに外接する円が描かれている。 問題はその外接円の中心をどこにとるか、である。
 何回も試みても正方形より先に進まない。この描きかたには一定のルールがあるはずだ、という見当はつくのだが、ここに描かれている図形の中で五角形は三角形以外で唯一その角の数が奇数のものなので、それが行詰まりの原因になっている。
 さいわい出掛けた人達の帰りは遅く、おろしたグラフ用紙のノートをあらかた一冊使い終わってもまだご帰還に及ばず、十二時を過ぎるころには初めのブレアにたいするファイトもあくびとともに薄れていき、誰か数学に強そうな人に聞くことにしようと決めて、わたしは先に寝てしまった。
 次の日、まず自分でできるだけは調べてみようと思ったので市の図書館へ行ってみた。数学の参考書は二階にあると教えてもらって幾何学の本を取りだしてページを繰ってみると…あった!これだ!すぐにノートにうつしてその場で実践してみた。中学のときに教わった方法である、とようやく記憶がもどっては来たが、これ以外にももっとほかの方法があるはずだし、どこかにブレアの展開図はないかと手当り次第に本をみたが残念ながらない。とにかくこれでわたしの一文には責任をもつことはできた。しかしこれでOKをだせるほどわたしの好奇心はおとなしいものではなく、何としても別の描き方、ブレアの展開図のことを知りたくて、そう思いはじめるともう誰が何といっても止められない例の悪い癖が頭をもたげてきて、図書館になければ学校の先生しかないか、という結論に至った。その次の日、ここからは最も近くにあるF中学校に電話をかけて「数学の先生をおねがいします」というと「御父兄の方ですか」と質問された。そうではないといって用件のあらましを伝えると電話の相手の、おそらくは教頭先生は「あいにく、今日は先生方の集まりがありまして…高校の先生の方がいいんじゃないかと思いますが…」とたまたまぶつかった教師会を喜んでいるようであった。「じゃ 明日はいかがでしょう」とわたしがいうと、「いや、明日も集まりがありまして…」どうやら知らないといえないらしい。と思ったのでお礼をいって次の候補Ⅰ高校へ電話かけてみた。すぐに数学の先生に替わってくれて、食事中であったらしいが、M先生というその数学の教師はわたしの質問になんとか答えてくれそうな気配で、まだ口の中にあるたべものといっしょに「では二時ごろそちらにお伺いします」というわたしのほとんど強引な申し出を飲みこんでくれたのである。
 わたしは自分の昼休みの時間を少し削って、小雨のなかをⅠ高校へ向かった。Ⅰ高校は市では進学校であり、わたしの娘一人半がお世話になっていて、しかもあまり大きな顔をして学校へ行ける状況ではなかったが、それは それ、これはこれと割りきることにした。 応接室で待つことややしばし。やがて白衣のままのM先生が見えてわたしの用意した紙にさっそく説明とともにコンパスを動かすか、と思いきや。いや、電話をもらったときはちょうど昼だったのですが、五時間目の授業のあいだずっと考えていて、生徒たちには『おめえらこの問題やってろ』と適当にやらせておいてその間になんとかしようと、いや自分も記憶がおぼろなもんですから...」
 さすがに進学校の数学教師、三角函数で解く方法を紙に書きはじめたのににはわたしも参った。 それでも「間脳幻想」でペンタグラムをふたつに割ってピタゴラスの定理がそのまま使えることは承知していたので、先生の説明もすんなり理解できた。説明のすえ先生が作図したのは、きのうわたしが図書館の本でみたと同じ方法で、わたしはさらにブレアの展開図のことを聞いてみた。
「ああ、そういうのみたことありますね。でも今の高校では幾何学という分野はないんですよ。」これはわたしには大変意外な話であった。
「じゃ、 中学ではどうでしょうか。」
「いや、今はこういうのは教えないでしょうね。なぜかというと、入試には必要ないからです。学校では入試に必要なものだけを重点的に教えるのです。」
「まあ、そんな…」バカなこと、といおうとして我慢した。 先生のせいではない。
「じゃどこで幾何学を勉強できるのですか」というと、
「まあ、大学のごく限られた専門的なジャンルをとった人くらいでしょう」という。
M先生はわたしとほぼ同じくらいの年令であったが、正多角形の作図法を中学校で教わっているのはわたしたちの時代が最後あたりで、幾何学そのものがだんだん忘れられていってしまったのだ、とも言った。
「はあ、そうですか、こんなにおもしろいのねぇ。」
ブレアの方はだれか若いもんに調べさせますから、といわれてわたしもおいとますることにした。
 中学校の先生がグッド・タイミングを喜んだのにはこういうわけがあったのか、と納得した。つまり幾何学を習って教師になった、という人がF中学にはいなかったということである。
 そのあといつものT工場へ配達に行き、工務課のAさんの姿を認めて、わたしはふと彼は知っているかしらと思った。思ったときは聞くときである。 Aさんはとまどっていたが、「あ、設計室 あそこなら誰か知ってる」 という。きっとわたしの話の途中でランプがついたにちがいない。「いてはる?」と関西弁で聞いてしまうのはAさんがむこうの出だからである。「うん、おるよ」と、彼も「いるよ」とは言わない。
 設計室にも関西出の人が何人かいるはずである。 わたしはずっと関西弁で とおすことにした。「誰か正五角形の作図のしかた知ってる人、いてはる?いてはったら手ぇあげて。」 いきなりそういって入っていっても誰もたいして驚かない。そういっているのがわたしだとわかったからである。みんなそれぞれ自分の設計台にむかっていたが、わたしのそのことばを聞くとすぐロッカーの中の参考書を調べてみるように、と設計室の責任者Nさんが指示をだしてくれた。それほどヒマな会社ではないはずであるが、三人くらいがかかりきりでみてくれて、記事をみつけるとすぐその場で作図してみせてくれる。しかしそれはたった今M先生に聞いた方法で、わたしはすでに昨日理解したものである。
「これと違うヤツ。なんとか調べてぇな」というと、ひとり。
「なんでそんなに五角形にこだわるのや?」
「うん 、うちなあ、知りたいとおもたらとことん調べんと気ぃすまへんねん」
「ああ、悪い病気や、そら、死なんと治らん」
「せや、あほやよってに」 敢えて否定はしない。
まったく彼の言うとおりである。 そのうち別の作図法がみつかって親切にもすぐにコピーをとってわたしにくれる。なんのかんのするうちに小一時間たってしまって、わたしは突然思いだした。そうだ、まだ配達の品物をダムウェーターに乗せたままだった。
「えらいこっちゃ、牛乳、腐ってしまうがな、うち忘れてたわ」
「あほやなあ」
「かんにんね、お仕事中に邪魔して。おおきに、ありがとう」 といって急いで食堂へ品物をおろしに行った。

T工場でもらったコピー

 残るはブレアさんだけである。しかし、穴のあくほどみつめた甲斐あって、五角形が作図できれば、その中心を求めて外円を描くこともできる。六、八、十、十二角形は本の小さい図面からでも何とかわかりそうである。
 その週の日曜日、小雨もようの日でそれでなくともお客さんの少ない店はすっかり忘れられてしまっているようである。 わたしは大きな紙を用意して、もういくつ描いたかわからない小さい円から描き始めた。そしてついに正十二角形まで、多少の誤差はあるものの描きとおしてみることができた。ヤッタァ!である。
 高校の先生にこのことを報告し、できあがった展開図を設計室に届けて要領を簡単に説明しながら三時のおやつを少しばかりもって行って、この一件はすべて落着した。

(平成元年六月)


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