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ボッシュからブリューゲルまで

 ボッシュとよくいっしょに絵の本にでてくる画家にブリューゲルがいる。ネーデルラント地方の農民の生活やことわざを絵に表していて、彼の絵もまた違った意味で私を飽きさせない。
 私が特に好きなのは「イカロスの墜落のある風景」というもので、この構図は西洋の絵にはあまり例のない、少なくともこの時代にはほとんどないような大胆なものである。
 俯瞰図というのは、日本ではごく古くから一般的であるが、ヨーロッパでこういう図法が取入れられるのは、日本の浮世絵がむこうに知られるようになってからであるといわれている。
 海を見下す丘で一人の農夫が馬にひかせたすきで畑を耕している。海の方へおりる途中に羊飼いが空を見上げていて、そのそばにいる犬はまわりに遊んでいる羊の番をしている。 海の手前の方の帆船のすぐ前で、今墜ちたばかりのイカロスが、その足だけを見せている。まだ空中に舞っているのは、ダイダロスがイカロスのために作ってあげた翼かも知れない。
 私がこの絵の構図に特に興味をもつのは、私がまだこれを意識のもとに知る前に、これと非常によく似た俯瞰図法によるひとつの絵のような夢をみたからである。
 私は海を見下す場所にいて、視界の中央に一本の木がある。海に立っている波は、ちょうどゴッホの描いた糸杉のように、そのひとつひとつが渦を巻いてる。なによりも忘れられないのは、鮮やかなターキッシュブルーのその波の色である。少し前に進むと、断崖絶壁ではなく、海の方へ降りられる細い道がある。行き止りには木立ちが見え、木の間から小さい建物があるらしいのがわかる。 どうやらそれはお社のようである。人影はまったくなく、私は波のあまりに強烈な色彩に圧倒されて、そこに立ちつくす。
 夢から覚めても今しがた見た鮮やかな青が私の網膜から消えず、それから三十年も経った今でも色見本帳から的確に「これ」と指をさせる位はっきり覚えている。
 夢から十五年程後、自分の働いたお金で自分のために絵の本を買えるようになって、集英社版の美術全集を、一ヶ月に一度のペースで手にいれた。何回めかの配本でボッシュとブリューゲルの番がきた。そこでこの「イカロスの墜落のある風景」を初めて、意識をもって見た。
 私の驚きは並大抵ではなかった。こんなことがあるのか、と思った。
 それはなにか特別の、誰かの配慮ででもあるような感じで、それからさらに延びる線の上には、いつか必ず私がその場所に立つ時が来る、という強い予感がある。
 まだその時は来ていないが、そういう希望を捨てず、ずっと望み続ければそれが現実になる気がする。
けだし人の抱く夢とはそういうものであると思う。

(昭和六十三年十二月)


ピーテル・ブリューゲル イカロスの墜落のある風景

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