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きつね何回も嫁入りする日

(平成二年九月)

 台風19号は大型で近年にない勢力の強さだという。それが停滞している秋雨前線を刺激して大気の状態が不安定となり、つい今しがたまで晴れていたかと思うとにわかに曇ってきて、たちまち叩きつけるようにひどい降りになってしまうということが朝のうちだけでも二、三回あった。
 太陽はひっこむひまもなく、あれよあれよという間に雨つぶが落ちてしまうので大雨なのに陽はかんかんと照っているという見馴れない風景が展開する。「きつねの嫁入り」ということばと同時になにか不吉感じもしないではない。きつねも時代の波に乗り遅れまいと結婚早々に離婚し、再婚、再々婚と目まぐるしい。
 宴も終わり、という感じのころに以前からラジオでその情報を得ていた「世界の夕マゴ博覧会」に行ってきた。
 この町でこういう催し物が開かれるのは極めて珍しいことである。お天気はやや申し分があるが、時間的な条件は申し分なくいいので行くことに決めた。それにきょうはわたしの誕生日でもある。物のプレゼントは期待できそうにないから、せめて時間をプレゼントしてもらおうと多少あつかましく、自分からひったくるようにいただいてしまった。
 この博覧会の最大の呼び物は二百年前に絶滅した世界最大の鳥”エピオルニス”の卵である。
 澁澤龍彦の「ビブリオテカ・幻想博物誌」 の中の「ドードー」の項に次のような文がある。

かつてマダガスカル島には、『千一夜物語』 に出てくるロック鳥の伝説 (マルコ・ポーロ の『旅行記』には「象を爪で軽々と持ち上げる」とある)の起源ではないかと考えられる、頭高五メートルに及ぶ巨大な鳥(エピオル ニス・マキシムス)という鳥が棲息していたし、またニュージーランドには、やはり駝鳥によく似て巨大な、頭高三メートル以上の恐鳥(モア)という鳥が生きていた。いずれも飛翔力のない鳥で、そのためかどうか、二百年ないし三百年前に絶滅してしまったと伝えられる。

 わたしとしては、子供のころに何度も読んだ「船乗りシンドバッド」の中のロック鳥がダイヤモンドの谷からダイヤの粒をたくさんくっつけた肉の塊りをその鋭い爪でつかんで飛び上がる光景を、まるで目の前に実際に見るかのような思いでわくわくしながら空想したことを思い出す。
 会場に復元されたエピオルニスは、いろいろな資料からデータを集めてできるだけ実物に近いものをと苦労されたようすで足を折って座っている姿になっていた。顔の感じは眼光するどく恐ろしいという印象を受ける。少なくとも「ドードー」のようなのんびりとしたまぬけな印象ではない。澁澤の本では、ドードーは動きが鈍いためモーリシアス島の原住民やオランダからの島への移民におもしろ半分に撲殺されて、おまけに一腹に卵一個という小さな繁殖力でたちまち絶してしまったとある。
 ラジオでこの博覧会のニュースを聞いたときに反射的にビブリオテカに載っていたはずだと思い出し、これを読んだのが二年ほどであったためかどうもエピオルニスとドードーをまぜこぜに考えてしまっていたようである。
 会場に行ってさしわたし40センチメート足らずもあるでっかい卵をみて、本物を自分の目で真近に見ることのできるありがたさを感じた。
 たいていの人は「本物を自分の目で見る」ということの貴重に気がついて いない。少なくとも「そのとき」には気がつかない場合が多い。 絵などの美術品でもそうであるし、また、外国の場所そのもの、国内においても場所そのものは実際に見ること、実際に行くことの価値はどれも同じように貴重である、とわたしは考えている。
 ひったくってもらった時間なのでいつまでも無に使うことができない。ほかの美しい大小さまざまの卵やところどころに配された「ヒクイドリ」や「サイチョウ」、「レア」などの生き物を見て早々に引きあげて来た。
 このごろは何か文字になっているものがないとすぐにわたしの脳裏から消えてしまうので、出口に設けられた売店でノーベル書房発行の、この博覧会のカタログのようなものを買った。値段を聞いて驚いた。800円!いくらカラー・グラビアでも1ページ40円は高い。そんなにすると思わないから「これを一冊ください」と言ってしまった以上いらないとも言えなくなってしまった。
 そうだよ、ノーベル書房ってあのいかがわしい本なんかにももっともらしい能書きつけて売ってる本屋だよ(とこれは少し言い過ぎか?)と思ったが文字がないとこの会場を出たとたんに今見た物全部忘れてしまいそうな気も手伝ってそれを買った。
 帰り道、車の中からごく低いところに虹がかかっているのを見た。

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