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つかず離れず

(平成四年四月)

 ほぼ一ヶ月近くも顔を見せなかったA君が、どしゃ降りの雨の中を、シルビアではなく別の赤い車で店の前を通過するのを見た。通るときにチラとこちらを見たようであるから、わたしがここにいるのを確認したらしい。
 駆け足で駐車場から来て「しばらく」と言う。
「ほんとにしばらく。どこへ行っていたの?」
と聞くと、例によって大げさな返事をする。
 「このところ次々と不幸が襲いかかって来て…」
彼はこういう言いかたが好みなのである。ボキャブラリーが豊富とは思えないような見かけによらず、深い思索の上に成り立っている彼の吐くことばは遠慮がちであるかと思 うとはっとするような寂しいことばであることがある。それらは多分にわたしと共通する思索から発しているものであるので、よけいなことばや詮索なしに直に理解できるものでもある。
 聞くところによると二週間ほど前の土曜日の深夜一時ごろ、家への帰り道、愛車シルビアと共に田んぼにダイビングしてしまったということである。 いくぶんお酒を飲んでいて、ついスピードを出し過ぎて、狭い道路であったのでハンドル操作が間にあわなかったらしい。シルビアはそれまで走っていた方向とはまるきり逆の方を向いてしまった。ドアが開かない。田んぼに埋まってしまったのである。
「それで?どうしたの?」
と驚きながらもなんとなくおかしい気がして聞くと、
「後のガラスに少しヒビがはいってたから、それを少しずつはがしとって、そこから出た」
という。
「それで?」
「電話のあるところまで歩いて、友達に電話してレッカーに来てもらった」
「よくそんな時間に来てくれたわね」
「うん、たいていいれば来るんじゃない?」
「よく怪我しなかったわねえ」
「儲けもんだと人にも言われるけど…」
 シルビアは彼の主義により常にきれいになっていたことがない。 外から見るとスポーティでいかにも軽快な感じがするが、中は彼のものと彼以外の人のものがあふれ、人間の座席はたいていふさがっている。コンサートの帰りに便乗させてもらったときにも、彼はあわてて脱ぎ捨ててあった丸い感じのするドタ靴を後ろの座席にほうりこんだものである。天井からは「レーダー探知機」と称してヒマな警察官の仕事をなお取りあげるための装置がぶらさがっていて、シートにはガムがバラまかれている。 後ろをのぞくと封筒やシャツなどの衣類がゴミに出すのを忘れたような状態でごちゃごちゃと置いてあった。わたしもこれでも女の勘定の中にまだ入れておいてもらいたいのであるが、 A君は無頓着というかはたまた無神経というべきかいっさい気を使わない。かの日にはわたしは一応おしゃれをして出かけたのである。そういう車がたとえ田んぼの中で何をしていようとも、わたしにはいっこうに差しつかえもないが、一ヶ月も顔を見せないというのは珍しいことであったから、彼に何かよくないことがあったに違いないとふんでいたのはやはり誤ったカンではなかった。幸い彼にはなんの損害もなかったようである。ただ、 遅霜注意報の出ていたころのことであったから、泥まみれになった彼はついでのことに風邪を引き受けてはいる。人っこひとり通らない深夜の道路を泥まみれになって歩いているA君を想像するだけでも、映画のワンシーンを見るようである。
 あきれるのは、こういうことがあったとは家の人にはいっさい言わないということである。彼のお母さんは、たまにわたしが用があって電話すると、「いつもお世話さまになります」と腰の低いのが目に見えるような人であるが(まだ会ったことはない)、自分の息子がどこで何をしているのかをさっぱり把握していないようすである。言ってみれば度量のひろい人である。もともと度量が大きかったのではなく、何度か自分の息子に愛想のつきるような目にあって現在の彼女があるようである。出ると鉄砲玉のごとく何時にもどるかも不明、その日のうちに帰ってくればいいとしなければ、どこへ行くとも言わずに一週間も家をあけてふらっともどって来ることの意味も薄くなるというありさまらしい。誰も知らないうちに、別棟になっている自分の部屋のふとんにもぐりこんでいるのを発見してやれやれと胸をなでおろす。三十半ばを越えたことを考えてお見合いを勧めると、相手の娘さんだけでなく世話をしてくれた仲人の人まで怒らせるようなふるまいに出る、およそ親孝行とは逆の方向を歩いているA君にはもう何をか言わんやと諦めているらしい。わたしは彼のお母さんが彼を心配するようなそういう立場にはないが、どういうわけかどことなく危なかしいような彼のことは気になり、これからどういう道を進んで行くのかをずっと、つかず離れず見続けていたいと考えている。
 わたしがいれた紅茶を飲み終えてA君はまた雨の中へ走りだした。

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