邂逅の場へ #02
日本人の記憶と日本軍「慰安婦」問題(02)
(写真:日本軍「慰安婦」問題と地域性ワークショップ、2023年10月14日、昌原大学)
だれのための物語か
日本軍「慰安婦」をめぐる物語が、被害者/生存者以外のフィルターによってイメージ化されていることを問題視する指摘は少なくない。
林志弦(イム・ジヒョン)は「犠牲となった前世代の経験と地位を次世代が世襲し、それによって現在の自分たちの民族主義に道徳的正当性とアリバイを持たせる記憶政治の理念的形態」を「犠牲者意識ナショナリズム」という概念で提示し(林 2023:12頁)、東アジアの記憶体制において、その克服を主張している。「慰安婦」制度の被害者/生存者たちは、「加害者の残酷さを立証することで真実を打ち立てねば」ならず、「その過程で被害当事者は限りなく可哀想で、悲惨な存在」として対象化されるという主張である(同 438頁)。
林志弦 『犠牲者意識ナショナリズム: 国境を超える「記憶」の戦争』(澤田克己訳)、東洋経済新報社、2023。
これに近い問題意識は、支援活動の現場からも示されている。李京禧(イ・ギョンヒ、日本軍慰安婦ハルモニと共にする馬昌鎮市民の会代表)は、日本軍「慰安婦」被害者イメージの類型化について指摘する。つまり、日本軍「慰安婦」をテーマとする青少年の作品公募展で、美術・漫画作品にあらわれたモチーフが「〈日本 vs 韓国〉という民族的対立構図から出ないまま国家主義の枠のなかで反日運動」にとどまっており、さらに、被害者イメージが「恨(ハン)の染みついた痛みをもつ純潔で悲しいハルモニ」「崇高な勇気の英雄的人権運動家のハルモニ」といった典型として表現されていることを示しているのである。李京禧は、このような「単純化され、典型化された大衆のなかの被害者像は、生存者の一生を被害のなかに閉じこめたまま、それ以外の生の姿を許さないもの」として問題提起し、運動のやり方や内容について省察を求めている(李 2022)。
李京禧「「慰安婦」運動の辺境と現場で」(発表文)。한국여성인권진흥원, 《2022 여성인권과 평화 국제 컨퍼런스》(2022.10.26.~27) 자료집, 2022.
鄭柚鎮(チョン・ユジン)は、日本軍「慰安婦」に関する言説や運動がはらむ「唯一の歴史についての信念」、とくに、日本対韓国という二分法的構図によって問題をとらえることについて批判的に言及している(鄭 2023)。また、シン・ドンギュは、支援者の聞き書きを通して「慰安婦」が記憶を語る空間に、「サバルタン(subaltern)が語りたいことと、代弁者が聞きたいことのあいだに置かれた間隙」を見いだし、代弁者の意図が「残酷な加害者と無辜の被害者を対比させ、明確にあらわす」ためであることを指摘している(シン 2023:16)。ここには被害者が、それがいかに苦痛であっても、主流社会の望む「被害者」として存在せねばならず、代弁者の望む記憶を語らざるをえない状況が存在する。
鄭柚鎮「일본군’위안부’ 문제의 지역성 연구: 논리 구도의 일방성을 중심으로」(発表文)、창원대학교 사회과학연구소 지속가능발전센터 외, 《일본군’위안부’ 문제와 지역성국제워크숍》(2023.10.14.) 자료집, 2023.
シン・ドンギュ「日本軍「慰安婦」のポストコロニアル経験:サバルタン女性と日常のなかのトラウマ」(신동규, 「일본군‘위안부’의 포스트 콜로니얼(post-colonial) 경험: 서발턴(subaltern) 여성과 일상 속의 트라우마」), 『젠더와 문화』 15-2, 2022.
民族間対立の物語
被害者の記憶に周辺社会が一定のイメージを付与する状況は、大衆的なメディアではより露骨であり、かつ一般化している。日本語で活動するあるユーチューバーは、食べ物やカルチャーの話をするコンテンツにも「反日」や「嫌韓」のコメントが寄せられることを嘆く。「反日」コメントのなかに「慰安婦問題をどう思うか」というものがあるという。「おまえは日本の「戦争犯罪」を知ってもなお、日本人と親しくし、日本の話を日本語で楽しく配信するのか」という趣旨だ。マスメディアの状況をみても、日本軍「慰安婦」問題は竹島(独島)問題や旭日旗、日本製品の不買運動等とともに、日韓両国間の敵対的テーマとして扱われることが当然のように感じられる。
こうした対決構図においては、一方に悲惨な経験を告発した韓国の被害者たちとそれを支援する韓国人が存在し、別の一方に、謝罪も補償も一切しない日本政府と、歴史の事実を歪曲しみずからの加害事実を認めない日本人がいるというふうに想像される。こうした構図で日本軍「慰安婦」問題をとらえる人はじっさいに韓国には少なくない。反対に、韓国から発信される日本軍「慰安婦」関連の問題について、日本社会では反射的に、自国に対する憎悪に満ちた「反日」的主張として受けとめることがほとんど習慣化している。その背景には、2000年代以降い台頭した日本の「嫌韓」やヘイトクライム、いわゆる「ネトウヨ」が介在しているのも事実だろう。
この二分法的構図の内部では、この問題を告発し支持する「被害者」と、歴史を歪曲し責任を否定する「加害者」の両者のみ存在するかのように想像され、例外的な存在は「良心的日本人」や「理性的韓国人」等とラベリングされる。しかし、関釜裁判をはじめとする戦後責任論や戦後補償運動のプロセスをくわしく見れば、この問題の争点が単純に、現在の国籍や民族によって分類されるものではないことがわかる。むしろ、戦後責任論や戦後補償運動は、1980年代後半から1990年代にかけて起こった、日韓社会の相互作用によって展開したものと考えるほうがより現実的だ。同時に、ふたつの社会でこの話題が「反日」/「嫌韓」に色づけされる現象もまた、ほかでもなく両国社会のあいだで進んだ相互作用の結果といわねばならない。この状況は、1990年代の「邂逅」と言うレガシーが、善と悪、被害と加害の二分法と民族対立の物語によって覆い隠され、不可視化していることを意味している。
「対立の物語」と「和解の物語」
民族対立の物語構図によって不可視化する領域は、これにとどまらない。たとえば、日本人「慰安婦」の存在は、こんにちまで韓国ではあまり知られていない(木下 2017)。アメリカで公立学校の教材に採択された『ヨーコの物語』は、韓国および在米コリアンの強い非難を受け、韓国では発売が中断されるに至っている✴︎。こうした存在は、被害・加害の属性を単純化する構図のなかで、見えない、あるいは見る必要のないものとして不可視化されている。万宝山事件(1931年)✴︎や朝鮮人BC級戦犯の存在も、集合的な被害・加害の角度からは見えにくい、死角に置かれることになる。(林 2021:332〜348頁)。
木下直子『「慰安婦」問題の言説空間:日本人「慰安婦」の不可視化と現前』、勉誠書房、2017。
Yoko Kawashima Watkins, So Far from the Bamboo Grove, William Morrow & Co., 1986(ヨーコ・カワシマ・ワトキンス『竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記』、ハート出版、2013).敗戦直後、朝鮮半島北部から引き揚げた日本人避難民の苦難を記録した自伝的作品。
1931年、中国・長春北西付近の万宝山で起こった入植中の朝鮮人とそれに反発する中国人農民との紛争。事件をきっかけに朝鮮半島で中国人への感情が悪化して排斥運動が起こり、多くの死者者が発生した。
いっぽう、民族対立の物語とは反対に、「和解と連帯の物語」を構想することにも慎重であるべきだとわたしは思う。被害者/生存者個人の生の痕跡は、両国間の対立のための道具でもなければ、和解のための象徴でもない。彼女ら自身の名誉回復と補償の要求は、あくまで彼女ら自身の権利のためのものであり、民族・国家の外交的または感情的対立/融和とは、本質的な意味において関係がない。これまで、両国間の融和が問題解決に役立つという期待は、すでに幾度かにわたって裏切られてきたのではなかったか。さらにいえば、両国の外交的融和のかげで、日本軍「慰安婦」問題は幾度も、その障害物として扱われてきたのではなかったか。両国関係の改善を願うわたしの気持ちに嘘はないが、その欲求が記憶に介入し、ロマンチックな和解の物語を構想するなら、それは対立の物語と同じ理由から危険だと言わねばならない。
2023年現在、遠からず生存当事者なしに日本軍「慰安婦」問題が語られる時代を迎えることは、否定しようのない現実だ。だからこそ、現時点で少なくとも、被害者/生存者の生の痕跡を「対立」や「和解」のような政治的または理念的目標に従属する物語から解放する必要があるのではないか。
運動家でも専門家でもない日本人にとって、日本軍「慰安婦」問題がもたらした変化とは何だったか。その変化は、同時代の日本でこの問題に遭遇したわたしを含む人びとの人生の断面にあらわれるものだろう。まず、民俗学の研究者であり、大学で日本語を講義するネイティヴ教師であるわたしの話からしよう。
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