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どうしたら人と関われるか、分かり合えるか。

今回の『第七官界彷徨』舞台化の目的を聞かれて、うまく答えられないな、と思うことが度々あった。どれも正しくて、どれも違うような。

これ(かもしれない)かな、と思うことがあったのでメモしておく。

私はこの作品や、尾崎翠を媒介にして、
作品作りや演劇を通して、
自分と他者との距離を測ろうとしている。

小野一家の人々は、やっぱりわかってもらえなかったと肩を落とす経験を、幾たびもしてきた人たちなのだろう。それでもどうしたら人と関われるか、分かり合えるか。性懲りも無く、考え続けているのだろう。

そういう意味でも私は、小野一家に"同族者の哀感"を覚える。

誰からもわかってもらえない寂しさに耐えかねて、黙っていられなくて、石礫を投げてみた。

ずっと手の中に握りしめていた、
もはや掌に馴染んで、自他未分化の状態になりつつある、翠色の石を、選んだということなのだろうと思う。そういう試みなのだろうと思う。

それ自体が私の「分身」としての、『第七官界彷徨』。

賛否両論あるだろうけど、私は何よりも、たぶん自分のために、作品を作っている。

現時点では、なんだかそんな気がしている。

他者との接点が見つかるのか、見つからないのか、賭けのような日々。



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