永い言い訳

欠点を指摘されるのは痛いことだ。欠点ゆえに起こった、色々な過去の失敗を思い出してしまう。

その痛みのさなかで、欠点を抱えたまま生きていけるのではないか、という淡い期待と、欠点を改めなければ成熟など出来ないのかもしれない、という実感を彷徨い、改善まではいかなくとも、せめて欠点を抱える人間として、自身の弱さを肯定できないだろうか、と目論む。

自分の弱さと向き合う術として、芸術があるとすれば。
それは絶望の海を泳ぎきるための細い一本の藁でもあり、掴んでしまったが最後、それはこの暗い海で生きていくという覚悟にもなってしまう。

主人公は、妻の死というきっかけで、自分の弱さに否応なく直面させられる。
妻にはすでに、自分の弱さを見透かされていた。だから、もう彼は、妻の前で格好のいい自分でいることは出来なくなっていた。それは彼のように繊細な人間にとってひどく苦痛だった。

ただし、妻が不在であるときには、欠点など最初からなかったかのように振る舞うことが出来た。彼は小説で成功を収めていたし、まだ性的魅力もあった。だから妻が死んだ時、彼は自分を肯定し尊敬し、万能な「男」にしてくれる彼女と、体を交わしていた。

妻の死に、彼は怒ることも泣くこともできない。
彼自身の弱さを象徴するような事実(不倫)があったうえで、彼が妻の死を悼んで泣くことは、彼自身の弱さを助長することになりかねない。妻が永遠の不在となってしまった今、彼はどうあがいても、自分の弱さと対峙しなくてはならない。
だから、彼は叫ぶ。「あんたの死は暴力だ」と。

彼はそのうち、自身を成功に導いた小説すら信じられなくなる。その態度は、彼の小説を愛していた編集者を激怒させる。書いてくれ、書いてくれ、あんたの一文でもう一度泣かせてくれ。俺の仕事が間違っていなかったと、もう一度思わせてくれ。その悲痛な叫びを感じ取った彼は、編集者の怒声にもはや言葉で返すことが出来ない。

彼だって充分承知している。ただ、書くためには自分の弱さと向き合わなければ、そしてそれをさらけ出さなければならない。(あんたは気づいていないだろう、いや、世間の誰もがまだ気づいていないだろう、俺が想像を超える下衆な人間だということに。)こんな気持ちでは、書けない。

子供は良い。まっすぐだ。俺がどんな人間かということを問わない。こんな俺の助けを必要としている。弱さをごまかしても、こんな満ち足りた気分になれる。しばらく、これで良いじゃないか。しかし、それも長くは続かない。酒で助長された自分の弱さが、また、幸福だった夕餉に翳りを落としてしまった。

自分の弱さを消し去ってしまいたい。なかったことにしたい。コンプレックスが強いあまり、安直な解決策しか見いだせなかった彼の姿はあまりにみっともなく、滑稽だ。嫌悪感すら抱く。

ただ、彼は書くことだけは人並み以上に出来た。書いている自分なら、愛することが出来た。

彼は書ききった。やはり彼はあのとき、芸術という藁を掴み、海で生き抜く覚悟を決めていたのだ、と思った。

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