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コロナワクチンについて私自身の考え

私は接種すべきと考えます。

接種するか否かは個人の自由であり、医師が「べき」というのはあまりに高圧的であるという意見にも、耳を貸す柔軟さはもっているつもりです。
本件に絡んで驚いたことがあります。

私が担当している患者さんやご家族のほぼは全員が、「注射はどうしますか?」というの私の問いに、躊躇なく「もちろん打ちます」と答えられたことです。多くの人が躊躇しているような噂(というか報道とか)も聞いていたので、ちょっと拍子抜けしたというか。

ただ、数名は「どうしようか迷っています」とお答えになりました。そこで、私からは「あくまで個人の自由である」と前提を置きつつ、カクカクシカジカと説明しました。ワクチンの有効性について、副反応について、コロナについてなど。

そして、もっとも強調しているところ。
あなたのワクチン接種は詰まるところ社会全体の幸福のためだと。もちろん自分を守るためだけど、あなたが感染せず、あなたが周囲にうつさないことは、社会全体の感染率低下につながる。結局は回り回ってあなた自信の幸せにつながる(感染しない)というロジックです。

大げさな解釈かもしれません。
でも、コロナの爆発的な感染拡大を目の当たりにするとそう思えてならないのです。一人ひとりができる範囲でできることをする。そうしないと、コロナは止まらないし、重症者も死亡者も増え続ける。ローカルな話をすれば、身近な地域、近親者、あなたの大切な人も守れない。結局、自分自身が不幸になる。と思うのです。

ところで反対派の意見の中で、長期的な安全性という意見があります。つまりmRNAという新しい技術について言っているのだと思います。それは私も否定できないとは考えました。特にまだまだ先があるであろう子どもたちの未来を考えれば、なおさらです。

でも人生一寸先は闇です。

今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。事故かもしれないし、病気かもしれない。自然災害かもしれないし、紛争に巻き込まれるかもしれない。もしかして殺されるかもしれない。

そこにコロナです。

将来のこと云々の前に、今日明日かかって、重症になったり死ぬかもしれない。自分は大丈夫でも、周りや大切な人にうつして大変なことになるかもしれない。だから、しつこいですが自分自身のための前に社会のためにワクチン接種をすることが、詰まるところ自分や自分が大切の人のためになるということです。

こういう考えは、合理的利他主義と同じことでしょうか。
「将来リスクを考えればワクチン接種をしないほうが良いかもしれない。接種するか否かは個人の自由なので個人におまかせします。どうぞ自分できめてくださいね」

こういってしまえば気楽です。

でも、私はそういうことはできません。あくまで一緒に考える。ただしコロナワクチンの私の結論は「接種すべき」です。接種したくないとおっしゃる方があれば、接種したくない理由を丁寧に聞きます。その上で納得感を得るようにしっかり説得する。

押し付けといえば押し付けです。

しかしこれがコロナワクチンに関する私のあり方です。
多少強引、いやかなり強引でも目の前の患者さんを絶対に守る。キレイゴト抜きに、患者さんに責任を丸投げすることなく。

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写真は数年前のインフルエンザワクチンの写真。
偉そうに話していますが注射は超苦手です。。

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