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持続可能なまちづくりとは・「商店街とSDGsの関係性を考えるVOL.3(#4)


ここまで商店街を取り巻く法整備の経緯を説明してきましたが、それでは「持続可能なまちづくり」とは、どういう意味なんでしょうか。一般には「人が住み続けられるような、環境に配慮した都市開発」と言われていますが、SDGsの11番目の目標「住み続けられるまちづくり」にも10個のターゲットが設定され、スラムの解消女性、子供、障碍者・高齢者に配慮した安全な交通システムの構築災害に強いまちをつくる他が定義されています。

さらに商店街との関係では、商店街の持つ「場所性」「地域愛」などをベースにした、コミュニティを意識することで、より良い社会環境の構築をめざすとされています。しかし、元来、商店街は、地域の文化コミュニティ安全・安心を下支えする機能を持ち合わせていました。「商店街はSDGsの原点」と私は常々話をしますが、社会や流通など時代の変化とともに、その機能も薄れ、前項でも書きましたが、大型店に対抗するため店舗の共同化や効率化を目指して補助金によるハードの整備が進められてきました。
ここでは、私が経験してきた、JR中央線勝川駅周辺のまちづくりの事例を紹介しながら考えて行きたいと思います。

街を客観的にみるには数値化で・勝川駅周辺の整備事業

JR中央線勝川駅周辺の「総合整備計画」が決定したのは昭和61年です。この勝川駅周辺総合整備計画については、別稿で書きますが、昭和53年、春日井西武(現イーアス春日井)が出店したのを始め、大型量販店の清水屋(地元)サンマルシェ(ユニー)の出店が相次ぎ、徐々に地域の商店街の衰退が始まっていきます。

当時、勝川は、半径2㎞の商圏人口が約6万人と言われていましたが、元々名古屋志向が強く、これらの大型店の影響は、さほどではなかった気がします。しかし、平成10年、約600mの距離にサティ(ダイエー・現イオン春日井)が出来ると、商店街はそこへ向かう車の渋滞で大混乱、また、食品を中心とした「勝川駅前市場」が閉店するなど大打撃を受けますが、まずは再開発事業の推進を先行すべきと考え、駅前市場の跡地を青年部有志で設立した、株式会社サンエニーズで借り受け、再開発事業が始まるまで繋ぐことになります。

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また、平成16年には「東邦学園大学(経営学部)森ゼミナール」と「勝川駅周辺まちづくり協議会」合同の調査「住民は勝川商店街をどのようにみているか」を行いました。これは商店街と「ヤマナカ(現フランテ・統計上は商店街)」以外、GMSの「サティ」や「西友」などの食品スーパーが商店街を取り囲むように出店され、周辺の住民がどこで買い物をしていているか、15品目に関して、調査をしました。結果、食品に関しては、東(サティ)側は300m、西(西友)側については200mが分岐点で数100m程度の小さなマーケットになっていたことが判明し、これでは駐車場を持たない商店街の「肉屋、魚屋、八百屋」など生鮮三品を扱う店、さらに他の品目の結果でも、当時の商店街の現在地が理解できました。

KKMニュース(表)平成17年
KKMニュース(裏)

当時は、まだ、ビックデータが存在しませんので、アンケートを行いましたが、今は、リーサスなどの地域経済分析サイト家計調査が公表されていますので、比較的簡単に調べることが出来ます。街の現状を数値化し「何となく」を排除することは本当に大切です。そういう意味ではSDGsという曖昧な目標を、どの指標で、どう数値化していくのかを考えると、商店街との関係性も見えてくるかもしれません。

「まちづくり協議会」は、エリアマネジメント組織

さて、勝川のまちづくりを語る上で、欠かせないのが、勝川駅周辺まちづくり協議会(前:勝川駅前まちづくり協議会)ですまちづくり協議会とは、地域の各種団体やボランティアで構成する自治組織ですが、この組織は、勝川駅周辺総合整備計画をスムーズに運営するため、計画が発表されると同時期に、行政の肝いりで設立され、関係団体で構成されました。いまでいうエリアマネジメント組織です。行政も勝川整備室を立ち上げ、官と民を代表する組織が出来たことになります。この、まちづくり協議会は、KKMニュースで再開発を始め事業の状況を発信するなど、様々な役割を担っていくことになります。

勝川駅周辺まちづくり協議会

この協議会は、昭和62年、駅周辺総合整備計画が出来た年に発足します。再開発、区画整理の各事業が各街区の権利者を中心に進められる事に対し、開発地周辺の商業者や住民との調整が必要なことから、勝川区、松新区、柏井区の区長、町内会長勝川地区三商店街(駅前通商店街振興組合、駅東商店街振興組合、駅西発展会)更に地元市議市役所(勝川整備室)商工会議所で組織されました。特に住民の代表に加わってもらうことは、商業者のエゴを排除する意味で大切な部分だと考えます。この協議会は、様々な役割を担っていきますが、代表する活動を二つ紹介します。

①駅から商店街に繋がるペデストリアンデッキ(以下デッキ)

このデッキは、計画当初、公安委員会から県道勝川内津線(以下県道)にある3つの信号の間隔が狭いため、中央の信号を撤去しデッキで歩行者の導線を確保する案が提案されていました。これを受けて行政は、商店街から県道に出る部分を公園にし、商店街を南下する車両は直前で右折させ勝川交番の横に出るよう計画を作りました。

しかし、商店街の機能が損なわれる点と、県道に中央分離帯が出来る案だったため商店街としては駅と分断されてしまうと大反対。その後、勝川駅に乗り入れる城北線が中央線の上り下りのホームの間に入ることになり、一旦下り線の下を潜ってホームに入ることからこの勾配を確保するため駅舎が東に移動することが判明し、結論から言うと改札口を出来るだけ西側に設置し、駅から伸びるデッキを一旦以前の位置まで振りそこから商店街へ繋ぐ現在の形で決着しました。また、計画されていた公園を中止することで、平面での駅への導線を確保信号は残ることになります。

②地域の環境を守る取り組み

区画整理、再開発事業に伴う道路計画の変更も協議しています。再開発地区の北側道路は、かつて一方通行でしたが、再開発施設をセットバックすることで、両面通行の道路に拡幅、これに伴う道路規制について、行政や公安と協議していきます。また、勝川の良好な環境を守るため、消費者金融風俗営業の店舗を排除し、さらに貸さない取り決めとして「まちづくり協定」を締結し、安全・安心で良好な住環境を維持しています。

現在は、これに地権者法人が加わり、開発が終わった今でも様々な取り組みが続けられています。他にも再開発が中々進捗しない状況に、規模を縮小する案を提案した「再生委員会」や勝川の全体をイメージする「背骨委員会」など、時々の課題を解決し、まちづくりの推進役になってきたのがこの協議会です。


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