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持続可能なまちづくりとは・「商店街とSDGsの関係性を考えるVOL.5(#6)

さて、複雑な権利関係を解消する方法のひとつとして「都市再開発事業」があります。戦後復興で高度経済成長をしていく中、都市部の人口の過密化や都市環境の悪化などを解消するため、昭和44年都市再開発法が施行され、比較的大きなエリアを再生する方法として行われてきた手法です。しかし、木下君が墓標シリーズというタイトルで紹介しているように、失敗事例も数多く存在しています。https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%80%81%E3%81%93%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A1%E5%A4%B1%E6%95%97%E4%BA%8B%E4%BE%8B-%E3%80%8C%E5%A2%93%E6%A8%99%E3%80%8D%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-Area-Innovation-Review-ebook/dp/B01HOI6AZE

それでは、何故、こういった失敗事例が出るのか、再開発事業の仕組みを理解することから考えて行きましょう。

再開発事業の仕組み

再開発事業のステークホルダーは「権利者」「保留床取得者」「地方公共団体」の三者です。それぞれの目的・役割は、上図を見ていただければわかると思いますが、権利者は、従前、従後の価値はイコールになるので、事業費は、行政(国・県・市)の補助金と新たな保留床取得金で賄うことになります。この保留床を、地権者や公共団体が出資する「まちづくり会社」などで取得し、大手量販店や地元の店舗などをテナントとして誘致したり、大手量販店やマンションデベロッパーに売却するのが一般的な仕組みです。ただ、最近の経済状況から、保留床を地方公共団体が取得するケースも出始め、公的資金の二重投入が問題になっています。

日本経済新聞より

名古屋近郊では、昭和63年豊田市駅周辺のキーテナントとして「豊田そごう」が出店し、平成12年そごう破綻後は、売り場面積を大幅に縮小し「松坂屋豊田店」と「T-FACE」という専門店街になりましたが、この松坂屋豊田店も2021年に撤退します。この開発当時、視察に行きましたが、ペデストリアンデッキの下は寒風が吹きぬけていた記憶がありますが、今はどうなっているんでしょうね。
小牧市は、平成7年「イトーヨーカ堂」を核テナントとしたラピオが開店しましたが、約10年で撤退、その後「平和堂」と市の公共施設として「えほん図書館・子育て広場・学習広場」がオープンしています。もっとも、この両市は財政基盤がしっかりしているので、大きな問題にはなっていませんが、青森市の「アウガ」や津山市(岡山県)の「アルネ・津山」は代表的な失敗例として広く知られています。

https://www.asahi.com/articles/ASR5Z766HR5YULUC018.html

https://merkmal-biz.jp/post/37393

結局、4計画とも、地域の経済を上回る、言ってみれば「身の丈に合わない無謀な計画」の結果なんでしょうが、何故、このような計画が作られ、事業として進んでいくのか? 地元の夢を食い物にしたゼネコン・再開発コンサルは、事業が終了すれば姿を消し、地元の権利者(特に先祖から相続した土地を有効活用できない無能な地権者)も我関せずで行政(税金)任せ、行政は担当者が、退職すれば過去の遺物として責任転嫁等々、この問題は、誰も責任を取らないという構図にあり、闇は深いと言わざるを得ません。令和5年から、1万haから0.5haに面積要件が緩和されハードルが下がっていますが、このような墓標が、全国に広がることがないよう、しっかりと見極めることが必要だと思います。
次回は、実際、私が体験した勝川駅周辺の再開発事業について話を進めます。


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