運で歩んできた人生と向き合う

久しぶりに書きたい欲が沸き、noteを書いてみました。

ずっと投稿し続けれる人をすごいなーと思いつつ、相変わらずマイペースで綴ります。私は文章がくどいので、すっきりとキレイな文章を書ける人が羨ましい。。

世間では、「鬼滅の刃」が大ヒットしてますね。私の推しは炭次郎です。無限列車編を見てがっつり泣きました。

主人公なのにちびっこに人気で、大人にあまり人気が無いのが気の毒ですが、私は炭次郎の綺麗な心・真っすぐで嘘がなく、ただひたすら前を向いている姿に心打たれました。(もちろん、他キャラも好きです!)

鬼滅は名言も多いですよね。↓は私の好きな名言です。

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私の人生は、この2つの繰り返しで、頑張ろうと意気込み、挫け、また意気込み、挫け。。いつからか、勝手に悟り、納得して自分の殻に閉じこもってしまうようになりました。

私は自分が嫌いだったし、自分の境遇も家族もすべて嫌いです。自分の血をすべて抜いて、誰かの血を入れてしまいたい、別人になりたいと考えていた時期がありました。(サイコパスじゃないよ)

なぜ自分ばかり辛い目に合わなければならないのか、他の人は普通に生きているのに、自分が何かしたのか、真っ当に生きているだけなのになぜ報われないのかと自分の境遇を嘆き、呪いました。(鬼滅にでてくる鬼みたいですね)

人生どん底モードの中、一人の恩人と出会いました。私はその人に何度も迷惑を掛けたし、恩返しもできないまま私は大人になってしまいました。

その人のお陰で私は、おそらく真っ当な人生を歩め、真っ当な人間になれたと思っています。運でした。私は運だけでここまで来れたのです。

私は、自分があれだけなりたくないと心に決め、反面教師にしてきた親に似てきたことに気づいた瞬間がありました。

親にどうしても似てしまう、変わろうとすると、「お前は変わった」「昔はいい子だったのに、なぜそんな人間になったのか」と責め、変化を嫌いました。

悲しいかな、毒親とはそういうものです。自分から離れないように、子供を支配しようと必死になります。親に罵詈雑言を図れたり、暴力を振るわれたり、はちゃめちゃな子供時代を過ごした私には、普通の生活はあまりにも分不相応だったのかもしれません。

でも、私は渇望しました。どうしても手に入れたかった。

どうすれば、普通の生活を手に入れれるかを考え、大学進学と同時に家を出ました。

安いルームシェアパートを借りて、4人と共同生活をはじめました。他人との同居にも耐え(ルームシェア先では理不尽ないじめに耐え)、奨学金とバイト三昧でなんとか4年間過ごすことができました。

奨学金は、運よく親戚に保証人になってもらえ、借りれました。

一番近い親戚は、お子さんが鬱になり中退してしまったことを病んでいたのか、「自慢しにきたのか。大学に進学するのがそんなに偉いのか。親そっくりの嫌な子」と散々罵倒されましたね。

運よく国立大に進学できたので、運よく最安値で学生時代を送ることができました。親に出してもらっていない、親の世話にならずに済んだ学生時代は、本当にうれしかったですね。

ただ、悲しいかな私は学生時代に、この世の無常・現実を知ってしまいました。

サークルも入らず、旅行もしないまま、毎日バイトの掛け持ちに明け暮れる日々を私が送る傍ら、同期や友達(女性の友人が多かった)は親に学費を出してもらい、親に出してもらったお金でセキュリティ万全のアパート・マンションに住み、仕送りをもらい、片手間でバイトをし、旅行に留学にサークル・合宿にと青春を謳歌していました。

「大学卒業したら、あとは知らない、自分で何とかしろ」って言われて辛い!と愚痴を聞くたび、胸が締め付けられる苦しさがありました。

ああ、そっか、私が必死に頑張って手に入れたものを、元々持っていた、または何の苦労もせずに手に入れれる人が居るんだと、実感した瞬間でもありました。「お金さえあれば。。」と心の中で呟くことが何度もありました。

でも、ある日、唐突に吹っ切れました。お金がないものは仕方がない、お金が無くても私は沢山の人と出会えた。

私には優しい家族は居なくても、友達がいる、バイト先の先輩・店長と出会えた、ここでしか出会えなかった人がいる。自分が持っているものだけでも大切にしたい、と思えるようになりました。

人は何にも代えられない財産だと思っていますし、何より私は人が大好きでした。どん底に落とすのも人間ですが、救ってくれるのも人間です。

無事に大学を卒業できたものの、新卒で入社した企業がブラック企業。サビ残が横行し、上司からの謎のパワハラ、先輩は上司が怖いから私の味方はしてもらえず、私が悪いというばかり。

精神を病み、耳鳴りがひどくなる、ストレスで喘息を発症、上司にパワハラされた日は客先に向かう車中で泣きながら運転する日々。頑張ったのに、結果も出したのに、お客さんとも関係きちんと築けてきたのに、なんで認めてくれないの?なんでそんなに怒ってるの?

あーあ、やっぱり真っ当に生きてても良いことなんてないな。辛いな、今日も頑張ろうぜと自分を励ましてました。

ここでも運よく、競合の営業さんが長期入院することになり、運よく私たちにルートが切り替わりました。

運よく切り替えてくれたお客様が優しい人で、運よく権限を持った人だったので、他部署からも仕事を回してもらえるようになりました。

ここでも運よく、私はお客様に救ってもらえました。新人、頑張ってるねって応援してくれました。上司のパワハラは苦しかったけど、営業の楽しさ・やりがいをお客さんが教えてくれました。

ちっぽけな自分でも(会社ありきですが)商品を売ることができる、買ってもらえたことが自信につながりました。

あまりにも辛くなって、またどうしても新卒時のやりたいことが諦められず、毒親と距離を取りたくて必死で転職活動しました。

書類書きまくって、選考受けまくって、落ちまくり、会社ではパワハラされまくり、エージェントさんと二人三脚で現職の選考を突破しました。このエージェントさんと出会えたのも運。

運よく現職に入社できて、ようやく仕事にも慣れて来たと思ったら、先輩の退職が相次ぎ、その対応に追わる日々が始まりました。

一つできるようになると、また一つ壁が立ちはだかる。

傷つきたくなくて、他人に期待しない、自分の殻に閉じこもり悟りを開いてします。これは他人に失礼とはわかっているのですが、どうしでも傷つきたくないエゴな自分がいる。

運でしか歩んで来れなかった自分の運がいつ尽きてしまうのか、正直怖いです。運が悪ければ、私はここにいない、こうやってnoteを綴ったりTwitterをやったりできていない、生きていたかどうかも分からない人間です。

どうやったらその運が続くのかもわかりません。

でも、人は心が原動力とするのなら、心を燃やし続ければいつか報われる日がくるかもしれないと淡い期待をしています。

努力は報われませんが、運が良ければ報われる日が来ると思いたいですね。。

今年は会えませんでしたが、運を連れてきてくれた恩人に、来年は会いにいこうと決めています。そしてここの底からお礼を言いたいです。

「ありがとうございました。あなたのお陰で今の自分があります、10年前のあの日、見捨てないでくれてありがとう」と私は叫びたい。


書いているうちに纏まりがなくなってきてしまいましたね。

今回はこの辺で。

また気が向いたら綴ります。

読んでくださってありがとうございます。




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