ひとはいつから”無駄”という概念を持つようになったのだろうか?
"いま"を無駄にしていることに対する恐れ
この恐れが自分の深いところに横たわっているのかも
キャリアについて考えていた時にそんなことにふと気が付いた
無駄かどうかなんて、後になってみないとわからない
そして、振り返ってみると、
どんなことだってなんだかんだどこかで繋がっているのだろう
だから、人生の最後の瞬間にならないと
本当に無駄だったかどうかなんてわからない
そういうものではないだろうか
それなのに、いまこの瞬間から見た時に
「無駄のようにみえること」に恐れている
そんな自分がいることに気が付いた
繰り返しにはなるけれど
無駄だったかどうかなんて、最後の時にならないとわからないはずなのに
ひとはいつから"無駄"という概念を持つようになったのだろうか?
そんな素朴な疑問がふと湧いてきた
産業革命後とか、合理化という思想が広がった頃に生まれたんじゃないの?
とか、なんとなく思ったりする
でも、もっと深いところに起源がありそう
直感的にそんな気がしている
それともうひとつ思ったことがある
だいたいのことは”無駄”にはならないのだと思うから
いまを”無駄”にするなんてことはそもそもないのだろう
その一方で、いまを”粗末”にしちゃいけないんだろうなって
”無駄”と”粗末”
けっこう似たような意味や文脈でつかうことがあるけれど
改めて向き合ってみるとなんだかオモシロい
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