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自己認識力が高いように見えるひとの3つのタイプ

最近とある機会に、自己認識力の高いと思っていたひとの中に3つのタイプがあることに気が付いた。今回はその3つのタイプについて綴っておこうと思う。

【タイプ1:自分を客観的に見ることが得意なタイプ】
 最近「メタ認知」という言葉を聞く機会が多きなった気がする。まさに「メタ認知」がうまいのがこのタイプ。まるで空から自分を見ているかのように、第三者の視点から自分を客観的に見ることができるひと。

【タイプ2:他人からのフィードバックから自己認識を更新するタイプ】
 
他人からのフィードバックをたくさんもらって、それまでの自己認識を修正(上書き)していくタイプ。他者からのフィードバック(他者の認識)に合わせて自己認識を修正していくので、自ずと自己認識と他者からの認識との間のギャップは少なくなる。

【タイプ3:自己認識に基づき、自分を更新していくタイプ】
 
出発地点で自己認識が自分(実態)ズレていても、「自分はこういう奴なのだ」という確信が強いため、だんだんと自分(実態)の方が自己認識に近づいてくるタイプ。結果的に、第三者(他者)からは、本人の自己認識と実態が一致している=すごく自己認識が高いひとのように見える。(他のタイプでは「自分(実態)→自己認識」であるが、このタイプは「自己認識→自分(実態)」という流れになる)

先日の新発見は、この「タイプ3」の存在に気がついたこと。このタイプ3は一見すると自己認識力が高い(自己認識と他者からの認識との間のギャップが少ない)ように見える。でも、仮に自己認識力そのものが低くても、結果的に自己認識と実態が一致しているので、自己認識力そのものが高いかどうかは実はわからない。

自分に対する自己の認識(=自己認識)と、他者からの認識(=他者認識)との間でのギャップが少ない状態を理想とするのであれば、実は自己認識力を絶対視しなくてもいいのかもしれない。タイプ3の場合は、自己認知力よりも自己暗示力(?)の方が強そうだけれども、結果的に理想的な状態に到達しているのだから。ひとりひとり自分に合った形で自己認識と他者認識をすり合わせていったらいいと思う。

ただ、ここまで書きながら思ったことがもうひとつある。自己認識も他者認識も随時更新されていく。そう考えると、そもそもこれらの認識の間のギャップを少なくすること自体に、どこまで意味があるのだろうか。

自分の満足感だったり、充実感と、自己認識や他者認識はどのように繋がっているのだろうか。この繋がり方も人それぞれなのだろう。自分のなかでこれらがどんな関係性を築いているのか。まずはそこから考え始めてもいいと思う。

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