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学びの芽を摘む無料(タダ)カルチャー

先日、ハッとさせられてから、ずーーーっと考え続けていることがある

多様な学びの機会は広く提供された方がいいと思う
経済的な理由から学びの機会に格差が生じてしまう
そのようなことはできる限りないようにしたい

だからこそ
学びの機会が無料だったり、相当な安価で提供されることは
"いいこと"だと思っていた

が、もう一つの側面に気付いてしまった

学びの機会は無料ないし相当な安価であることが”あたりまえ”
そんな文化(カルチャー)が身の周りに蔓延しているとしたら

行政の予算や助成金・補助金を取れるところ以外の団体や個人が
必要経費から算出した参加費さえも"高い"と言われる状況を生んでいないか

公共部門よりも高めの参加費を設定したが故に参加者が集まらない
or
参加者数を募るために、赤字を団体や個人で抱え込む

こんな2択を迫られているとしたら
こういう土壌から果たして新しい学びの機会は生まれるのだろうか

程度の差こそあれ
自分もそんな”タダカルチャー"の片棒を担いでいた
その結果として、誰かの新しい学びの芽を摘んでいた

だから胸が詰まりそうになった

「機会を広く提供すること」
「タダカルチャーによって学びの芽を摘んでしまうこと」
この2つはきっと紙一重なのだろう

そして、これだという黄金比みたいなものはないし
その時、その場所で、つど最適解
というか納得解を探すほかないのだろう

そんなことをぐるぐると考えながら
これからも地域での学びをつくることを考えていきたい

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