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"Cross the Border"&"越境"の3つのカタチが見えてきた
昨日は、ご縁あってROOTSさんの話を伺う場にお邪魔してきた
"Cross the Border"をテーマにした話を
自分自身の経験とも重ねながら伺っていた
自分の場合は、社会教育だったり、地域×ひとづくりの文脈で
"越境"と学びを考える機会がこれまであったので
いろんな発見があった面白い時間だった
せっかくなので、自分なりに考えたこと・見えてきたことを綴っておきたい
考えたのは
"Cross the Border"や"越境"には少なくとも3つのカタチがあるのだろうな
ということ(という仮説)
1.能動(態)的越境
自ら意を決して、境界を越える
2.受動(態)的越境
(自らの意志というよりも)他者や外部から強いられて、境界を越える
3.中動(態)的越境
(楽しみながら・好きでやっていたら)意図せずも結果的に境界を越えていた
これまで"Cross the Border"や"越境"と耳にすると
能動的な(自ら境界を越えていく)イメージを持っていたのだけれど
実は、受動的な越境や中動的な越境もあるんじゃないかということが
自分なりの新しい発見だった
そして、ついつい能動的なことこそ善いことと考えがちなのだけれど
おそらく何が上で何が下とかいう序列みたいなものはなくて、能動、受動、中動のそれぞれの善さがあるのだと思った
"越境"と学びの文脈と重ねて考えてみると
これまでは能動的な越境ばかりを意識していたので
本人(自ら)の意思で越境ができるようにいかにEncourage (≒勇気づけ・背中を押す)するかばかりを考えていた
が、受動的越境や中動的越境も意識してみると
関わり方もひとつだけじゃなかったんだなぁと気づかされる
(こうやって文字にしてみると、すごく当たり前のように見えるけれど)
受動的越境や能動的越境を創造しようと思ったらどんな動きをしてみようか
そんなことを考えてみるのも面白そうだ
おまけに別の角度から考えてみると
"意図された・計画された越境"と"偶発的な越境"の両方があるのだろう
そして、後者の"偶発的な越境"の中にこそ
自分をワクワクさせてくれるようなオモシロい学びが詰まっていそうだ
そんなわけで
Planned Happenstance的な越境のエッセンスもさぐってみたい
"Cross the Border"や"越境"
考えれば、考えるほどオモシロいな
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