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想い出は美化しなきゃいけないなんて、そんなこと誰も言ってない

「自分は去り際にそんなにうまいコト言えるのだろうか」。送別会を迎える度に心配になる。

社会人としてそこくらいはうまいコト言おうよ。そう言われたらそのとおりだと思う。もちろんいろんな方のお世話になった。感謝の気持ちはしっかり伝えたい。

楽しかったコトや面白かったコト。自分でも残念だとは思うけど、そういうのは正直パッと出てこない。と言うか、そもそもほとんど記憶がないと言った方があっているのかもしれない。微かに残っているのは、つらかった、悔しかったというぼんやりとした残り香だけだ。

他の人から見たら大したことではなかったのかもしれない。自分が見方を変えることができればよかっただけなのかもしれない。それでも、自分にとってはあまりにしんどかった。だから、頭が気を利かせて忘れてくれたんだ。そう思っている。

無理をすれば、ありきたりな美辞麗句を並べて、適当なことは言えるのかもしれない。無難にその場を乗り切れるのかもしれない。でも、人からの目線のために、人からの評価のために、あの日々に耐えた自分をなかったことになんて出来ない。

たとえその場しのぎの言葉でも、上っ面だけの言葉だとしても、自分から口にした瞬間、きっと自分の中の大事なものが音を立てて崩れていく。そんな気がしている。

もちろん感謝の気持ちはしっかり伝えたい。見送ってくれるひとに嫌な想いをさせたくはない。でも、自分自身をこれ以上傷つけたくはない。

だからちゃんと考えよう。自分の言葉で最後に何を残すかを。変な妥協なんて止めよう。等身大の自分を伝えられるように。

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