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二コラ・テスラ その3

 テスラがエジソンの会社を去った決定的な理由は・・・
 エジソンの給料の未払いなどが話題に挙がっていますが、前回お伝えした
ように、両者の確執は、直流と交流との確執というのが一般的な見方です。
 エジソンは、エジソン自身が好んだ直流用に設計された工場システムを、
テスラが提唱する交流電源で稼働させたら、褒賞として5万ドル払う!と、提案しました。直流の優位性や安全性に加えて、交流の難しさ等を考えた末の発言でしたが、テスラはこれを成功させました。
 交流を認めたくないエジソンは、「冗談だった(笑)」で済ませ、褒賞を支払わなかったため、テスラは激怒して、直ぐに会社を去ったというエピソードもあります。
 さて、エジソンの元を去ったテスラは、その後、職を転々としながらも少しづつ協力者を得て、発電機・変圧器・制御装置などの交流電流による電力供給の仕組みについて、改良を重ねました。
 アメリカ電気工学者協会という場で、これまでの成果を発表すると、即座に世界的な注目を集めるようになりました。
 交流支持派が増えるにつれ、エジソンは直流電流の優位性を保つために、「交流電流は危険だ!」と広める活動を本格的に始動します。具体的な例を挙げますと、死刑用の電気椅子に交流電流を採用させようと働きかけるものでした。これに対して、テスラは、100万ボルトの交流を自身の体に通すなど、安全性をアピールしました。
 この泥沼の戦いは「電流戦争」として数年にわたって続きました。この内容は、2020年に日本で公開されたエジソンズ・ゲームという映画の中で詳しく示されています(私も映画館で鑑賞しました)。
 テスラの努力の甲斐があって、交流電流の安全性と有益性は、次々と人々に認められていきました。
 1893年、シカゴ万博やナイアガラの滝での発電事業に交流電流が採用されると、世界中が交流伝送方式への採用へと、大きくシフトしていく事になりました。
 天才エジソンに真正面にぶつかり、電流戦争に終止符を打ったのはテスラでした。現代でも送電には交流電流が使われています。このように、遠くまで安定して電気を送れる仕組みを構築した事は、大変素晴らしいことです。
 また、世の中の生活を大発展させた功績は計り知れないものがあります。

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