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創業者を知りたい 「わが半生の記録 私の生き方 考え方」

前回のnote で、今、私が働いている会社のありさまを見たら創業者はどうおもうのか?と思ったので、創業者松下幸之助の書いた本を読み直してます。

↓前回のnote


今日ご紹介するのは

「わが半生の記録 私の生き方 考え方」

です。

この本は松下幸之助自身が59歳のときに書いた本です。

9歳で丁稚として奉公して様々な仕事をし(今の関西電力に勤め、通天閣の工事もやってます)1918年24歳の時に起業。1935年頃までの松下電器、今のパナソニックの礎を作った時代を創業前史、創業時代、進展時代の3つの時代に分けて語っています。まさに1番勢いのある時代です。文章も、幸之助独特の語り口になっていて面白いです。構成とかしなかったのかなー?改めて思う。

時代を先読みし、自らの力で新しい時代を切り開いた経営者としての松下幸之助を知るにはとても良い読み物だと思います。

私が入社した1991年には松下幸之助は既に亡くなっておりましたが、まだ松下の名前がついた会社でした。

松下の理念に憧れて入った訳でもなく、この会社でやりたいことがあった訳でもでもなく、バブルが弾ける寸前に滑り込んで入社したバブリーな私(マジメに就職、働いてる人に対してホント失礼な話しです😅)
学生気分が全く抜けてない私は、どうしてたくさんの経営者の中で、松下幸之助が経営の神様と呼ばれる理由が全くわかりませんでした。


それから30年、なんだかんだ、この会社でやってきた今、なぜそう呼ばれるかが時が経つにつれわかるようになってきました。特に、この2年、企業コンサル、研修の仕事に関わり、経営理念を考えることが多くなって急激にです。ナニー今頃!?って突っ込まれそうですが、すみません、ホントです😅


読み進めると、商売に対する姿勢、そこには信念と才覚があり、情があり、しかし仕事に対しては厳しい交渉(人の採用、M&Aなど)が。この本の中の逸話から感じ取れます。


●小学校も出てない幸之助が丁稚の時に、タバコ買いに行かされた時に、知恵を利かせて、小銭を溜めた話。

●自転車を、顧客に言われた値引きにあわせて売りたいと頑として譲らず、店主からどっちの社員かと困らせた結果、最後は顧客が、そこまで想ってくれているんなら、そちらの条件で買うと言ってくれた話。

●松下幸之助が、家族の死、友人の死、自らが若い頃、死に対面したにもかかわらず死ななかった経験から、自分には運があると思う思考と、人はいつ死ぬかわからない、生きている今日こそ、その日と思う死生観。

●当時としては画期的な自転車のランプを、これは絶対売れると、数千個作ったが、代理店は、そんなものは売れないと、そっぽを向かれ思うように売れない。考えた幸之助は、自転車屋に直接行き、3つのランプを置いて周り、ひとつは実際に使ってその性能を試して欲しい。本当にいいと思った時、3つお金を払ってくれればいいと。結果、その通りになり、注文殺到。代理店は掌返しで売らせて欲しいと。

●新商品の自転車角形ランプ(ナショナルランプと初めてのブランド名)の宣伝に1万個をタダでばら撒く。その時に電池を供給してもらったメーカーにも1万個タダにしろと。渋った電池メーカーに、幸之助は「年内に20万個売るから1万個まけて欲しい。もし20万個に1個でも届かなければ1個もまけていただきません。私には売れる確信があります。」結果47万個を売って電池メーカーも感激。

●新しいラジオを作った時、先行発売していたメーカーより、品質は良いが価格は高く打ち出した。代理店は、新参者は安くしないと売れないと反発したが、幸之助は「他のメーカーは過当競争しているだけで本当の利益を出していない。貴方達は商品を右から左へ流すのが仕事だと思っているかも知れないが、自分達のことだけ考えるのではなく、全業界のことを考えてはくれないだろうか。それが代理店としての使命であり共存共栄と言うものだと思う。」この言葉で皆納得し、松下はラジオのシェアを一気に30%まで達成。


ここまでの逸話は、24歳で起業した若き経営者が様々な挑戦をし失敗を乗り越えて一気に駆け上がった時期。20代から30代です。商魂たくましい商売人の印象が強いです。

そんな、松下幸之助自身も明確な理念があったわけではありませんでした。

昭和7年(1932年)幸之助38歳の時に、ある宗教団体(天理教です)を知人の勧めで見学に行きました。幸之助自身、根っからの商売人。宗教には興味がなかったんですが、その知人が、何度もしつこく誘うものだから、断り切れずのこと。

ここで、幸之助は、経営には、使命、理念が必要だと知るわけです。あの経営の神様でも、最初から明確な理念はなかったのですね。

松下幸之助は、貧乏を克服するために、水道の水が如く安価な商品が行き届く水道哲学、さらに250年かけて楽土にする構想を打ち出しました。それを聞いた社員は感激し、その後の困難を克服して、この本をかいた59歳、創業35年を迎えたと言うお話です。

いやーホント凄い人です。幸之助と呼び捨てにしてすみません。事業以外に様々な寄付、PHP研究所、松下政経塾の創設、道州制の提言など、企業人を超えた世界観を持った稀有な人物だと改めて思いました。

今、パナソニックは創業102年。250年構想の4割を越えたところ。果たしてビジョンに添えているのか?物資的には満たされているが、本当に世の中は幸せになっているのか。

生きていたら創業者は今の経営を何と言うか。社員に何と言うか。

皆さんは、経営をどうお考えですか。
また、社員はどうあるべきとお考えですか。

松下(あえてパナソニックとは書きませんでした)には「社員稼業」と言う言葉があります。松下幸之助は、この題名の本も出版してます。その本の解説を最後に締めたいと思います。

この言葉を大切にして仕事に向き合っていきます。

長々となりすみません 汗
最後までお読みいただき有難うございました。


「自分は、自分に任せられた仕事においては責任ある経営者だ」この「社員稼業」の考え方が身についているかどうかで人生は一変する! 松下幸之助の説いた「社員稼業」とは、たとえ会社で働く一社員の立場であっても、社員という稼業、つまりひとつの独立した経営体の経営者であるという、一段高い意識を持って自らの仕事に当たる、という考え方である。社員が、しょせん自分は雇われの身、人に使われる立場に過ぎない、という意識に凝り固まってしまうと、指示待ちで、創意工夫に乏しい仕事に終始することになってしまう。これではやりがいや面白みは見いだせず、何のために働いているのかとむなしくなるばかりだ。「社員稼業」の意識があれば、仕事が面白く、人生に前向きになれる!



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