自分の甥に青森の大学に通う23歳の農大生がいます。彼の実家は千葉県の利根川沿いに代々続く米農家です。おじいさん、おばあさんは健在で、今でも米作りを続けています。 息子である彼のお父さんは、兼業農家として会社員と生産者の二足の草鞋を履いています。都心に通うビジネスマンです。 農大生の彼は、おじいさん、おばあさんの「大変だから継がなくていいよ」という言葉を選ばず、兼業農家として日本の未来を考えることを選択しました。 彼は、青森からでも遠隔操作で米作りの一旦を担える仕組みづくり
近代の洋食化の始まり 日本は1641年から1853年の200年間、事実上、日本の文化を守るという名目で江戸幕府により鎖国制度がしかれていました。その間に表立って交易があったのは長崎の出島を使ったオランダ貿易のみです。 赤毛で背も高く、青や緑、グレーの瞳を持つ、とびきり白い肌のオランダ人に江戸時代の人々は興味深々だったに違いありません。 彼らの国民性は質素倹約、まじめで勤勉、ストレートな物言いなど、他国の楽観主義と比べると侍社会との相性が良かったのかもしれません。 この長崎
お鮓、お鮨、お寿司、お酸し みなさんが普段見慣れている「オスシ」はどんなものでしょうか? 握り寿司といわれる魚の切り身を酢飯の上に乗せたもの、仕込んだ魚で酢飯を包んだもの、魚の切り身と多彩な具が酢飯に乗っかっているもの、仕込んだ魚が木枠で押され酢飯と一体化しているもの、漬けた野菜で酢飯を包んだもの、海苔で巻いたり、油揚げに入れたり、はたまた酢飯の無いものまで、本当にいろんな「オスシ」が世の中にはあります。 また、子供から大人まで、日本のみならず世界中の人が好きという謎の食
みなさんは子供の頃からお米を食べていて、小さいお子さんがいるご家庭ではご自身のお子さんにもお米を食べさせようと思っているとおもいます。改めて「なんで自分は米をたべてるんだろ?」「なんで子供にも食べさせるんだろう?」って考えたことがあるでしょうか。お米の国といわれる日本であっても、現代の日本人はそうした思いを抱くことは少ないんじゃないでしょうか? お米は家でも普通にあるし、無ければ買いに行け、出かけ先でもたいていはどこかで見かけます。「ごはん食べた?」と人に聞いたり聞かれた