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肺の部分切除ってどうなの?⑧退院までの日々

こんな話
回復していく過程
何が辛いのか
病院のスタッフに感謝

R5年 夏のある日
手術後3日目(当日含め)
目覚めてカーテンを開けると
おおおおおーー美しい海!
漁船と釣り人が海に現れ、楽しませてくれました。
6時ころ、看護師さんが熱・血圧・血中酸素を測り傷を見てくれる。
8時に朝食。そして、薬を飲む。
9時までにレントゲンということで、
車いすに乗ってレントゲンに行きました。
スタッフの人が連れて行ってくれます。
まず、車いすに乗る。
足を置き、ドレーン一式をスタンドから外し車いすに固定。
あのベテラン看護師さんが見事に丁寧にやってくれる。
移動スタッフに押される。
風を切って進むのは心地よい。でも、車いすに乗せられている自分を意識する。見える景色はいつもより下で、歩いている人が羨ましい。
車いす期間は限られた短期間だというのに、「車いすのわたし」と思ってしまう。長期の方なら、この感情はもっと大きなものでしょう。
これっぽっちの体験では語る資格もないけれど、車いすの人の気持ちを理解していきたい。

若い担当医がきてくれた。
ドレーンと硬膜外麻酔を抜きますよ」
「え?ホントですか?やったぁ」
あー幸せ~と思いました。
ドレーンがついているとトイレに行くのもそれはもう大変なのだ。
充電コード抜いて、コロコロごとトイレに連れていく。
尿はカップで採り袋に入れて計測する。
これも、24時間計測して尿がちゃんと出ていればよしとするらしく、せっせと白湯を飲んでトイレに行った。
管の無い人生って素敵!この気持ち、忘れないようにしよう。
ドレーンを抜くのは一瞬だけれど、ちょっと違和感と痛みがあり。
身軽になったので、理学療法士さんと廊下に出て一往復。
「回復が早いですね」と褒められ嬉しくなったものの、
「明日は僕お休みなんですよ」
日曜日は来ないらしい。さみしい。
一緒に海を見ながら、サーファーの様子をみました。
「あの人、すごい。波に乗った!」
「いいですねえ。そして、沖に向かって波を待つんですよ。10分とか15分とか。いい波が来るまで」
日焼けした彼はサーフィンをけっこうやるらしい。
海の男だった。

世界ふしぎ発見を見て、カリブの海、ジャマイカって国を好きになり、いつかは行きたいなあと思った。がん患者になって以来、「好きなことを全部やろう」と思うものの、将来のお金のことを考えると、結局何もしない。若いころのように海外旅行に本気で向きあうことはない。
「いつか、機会があればカリブ海に行きたい」
そう思える心の元気がこの夜にはあった。それが嬉しい。
 
血圧はたいてい高すぎ。
アプリでこれまでの血液検査の結果を見ると、反省することが多い。
「退院したら痩せよう。食べすぎないようにしよう。運動しよう」

4日目
ドレーンも麻酔の管も抜けたわたしは、リゾートホテルに滞在している状態。
薬は飲む。ネブライザーもやる。
テレビ見てスマホ見て、好きな時に寝て、美味しい適量ヘルシーなご飯食べて、すごく幸せ。咳とくしゃみは辛いけど、ここの滞在最高!
先生と退院の話をした。え?もう?はやっ!て感じ。

持ってくるのを忘れた薬や目薬を薬剤師さんが持ってきてくれた。
薬持参すればよかったのですね。
次の入院はありませんが、覚えておきます。
夜は「どうする家康」を見て、よく眠った。

5日目
担当医が退院は明日か明後日というので、明後日を希望した。
まだ痛みがあるので。
薬剤師さんが来てくれて調子を聞かれ、
看護師さんが傷を見たときテープかぶれを見つけてくれたので軟膏をもらった。
海はきれい。ご飯は美味しい。館内は涼しい。
好きなドラマ見放題。
図書館で本を借り読み放題。
アマゾンミュージックで音楽聞き放題。
海はいつも見放題!!
リゾートライフ満喫中。

海外ドラマを見ていると、
「母は5年前に亡くなりました」
「まあ、そうなの?」
「キャンサーで」
「おお」
手で顔を抑える。肩を抱く。ハグする。

のような場面が良く出てきます。
これを見るたびに思う。
「昔、外国では辛い闘病があった。今の日本ではそうではない」
わたしの死因はがんではないと思います。
エリザベス女王のように老衰で穏やかに。

6日目・7日目
レントゲン撮影。
歩いて行けることが誇らしい。
図書室にも行きった。
本の虫としては図書室があるのに行かないわけにはいかない。
入院中にドクターヘリ2回見ました。
「コードブルー!」の館内放送2回聞きました。
ここは救命の最前線なのだなあと、美しい海を見ながら思いました。



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