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妊娠中に風疹にかかった#あの選択をしたから

25年前のことである。
わたしは、妊娠初期でつわりに苦しんでいた。
フルタイムの仕事をしていたが、帰宅後はキッチンの隣に布団を敷いて、ほぼ寝たきりの生活をしていた。

ある日のお風呂上り、鏡を見た。
腹や胸に赤い発疹。
(やばい、うつった)
その頃、職場で風疹が流行っていたのだ。

夫に話し、実家の母に話した。
誰もが言葉に詰まる。
妊娠中に風疹にかかると、耳の聞こえない子供が生まれることがある。
誰もが知っていることだった。

かかりつけのクリニックに行った。
血液検査では風疹の抗体値が高かった。
以前にかかっていた病院に問い合わせ、わたしの抗体値を取り寄せてもらった。低かった。つまりこの頃、風疹に罹ったと思われる。

苦しかった。
生まれる子どもは、耳が聞こえない可能性がある。
生まれながらに苦しい人生を強いてしまうのではないか。

職場に連絡した。
上司は達観した表情だった。
「残念だったね。1週間くらいで処理できますか」
「いえ、そんなことできません」
「ゆっくり考えてください」
心は揺れに揺れた。

当時はネットで調べることもできなかった。
家にあったのは分厚い「家庭の医学」という本。
妊娠中絶の部分を見た。
さっと見て、すぐに閉じた。
こんなことはできない。
でも、耳が聞こえなかったら……。
心は大きく揺れた。

かかりつけ医に再び相談した。
「先生、この子は耳が聞こえなくなるのでしょうか」
「妊娠のごく初期だから、耳というか神経系がつくられる時期だからね。耳だけではないかもしれないね。でも、元気に生まれると思うよ」
この発言は、なんの慰めにもならなかった。
しかし、わたしは覚悟した。
障碍を持った子どもかもしれない。
それでも、わたしは産む。

あの時、あの選択をしなかったら、この人はいない。
家にいるときは、たいていYouTubeを見て、げらげら笑っている。
なにやらIT関係の仕事をしているらしい。
耳は、よく聞こえるが、都合の悪いことは聞こえない。

朝起きて、鏡を見てワックスなどを髪につけている。
朝食は好きな物だけつまみ、ネクタイを締めて家を出る。
「行ってらっしゃい、気を付けて」
「ほーい。いってきー」

#あの選択をしたから

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