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私を救ってくれた言葉たち#1


保育園という居場所


私は小さい頃、保育園の先生が大好きだった。
0歳から保育園で育った私には、保育園の先生がお母さん代わりだったのかもしれない。

小学校に上がってからも、学校から帰ってくると保育園に遊びに行っていた。
令和の今の時代には許されないことだろうけど、昔は、そんな私を保育園の先生たちは受け入れてくれて、私は園児の遊び相手をしたり、お世話を手伝ったり、時には余った保育園のおやつを私に食べさせてくれたりした。
私みたいな居場所がない子どもを受け入れてくれる場所があった。いい時代だった。


姉妹という味方

子どもが好きで、自分の幸せな家族を作りたくて、優しいお母さんになることが夢だった。
本当の自分の家には居場所がなかったし、大人は仕事と宗教活動に忙しくて、親と一緒に出かけるところは公園やファミレスではなくて会合(宗教の集まり)だった。
今やっと宗教2世の問題が取り上げられるようになったけれど、基本的に日本では宗教の話はタブーだったと思う。もちろん友達にも話すこともなく(それが当たり前だと思っていたし)、でも話してはいけないことなんだろうな、というのは何となく小学校高学年くらいから感じる様になった。
私は3人姉妹で、本当に家族の問題を共有できるのは、姉と妹だけだった。姉妹がいなかったら、私は今生きていないと思う。 

「子育てに向いていないんじゃないよ」

姉妹とは仲が良く、電話したり泊まりに来たり行ったり悩みを相談したりする。
姉にも子どもがいて、子育ての相談もたくさんする。
私は自分の子育てが辛くて、自分は子どもが好きだと思い込んでいただけで、子育てには向いていない人なんだと思う様になった。
毎日のように電話していた姉に言った。

「子育て、私向いてないと思う。子ども好きだと思ってたけど、私にはできない。」

姉が言った。
「macaronが子育てに向いてないんじゃないよ。子育てって、多分みんなこれ私向いてないって思う。それくらい大変な仕事なんだよね。その中でも子どもに寄り添おうとしてあげてるあんたは十分頑張ってるよ。私たちそもそもちゃんと育てられてないのにさ。」

そうか。
そうだよな。ちゃんと向き合おうと頑張ると本当に子育てって大変で、しかも自分に問題がある中の子育てってとてつもなく大変なことに私は挑戦しているのか。

向いてないと思うのは、大変なことにチャレンジしているからで、頑張ってる証拠なんだ。

それでも向いてないとは思うけど、姉の言葉で、自分を否定していた考えから救われた。 
ありがとう、お姉ちゃん。

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