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初めての子どもだけ旅

夏休み、妹とふたりで飛行機に乗った。
香川のおばあちゃんちに行くんだ。
お母さんは入院。だから子どもだけ。

私は小学4年生。妹は1年生。

羽田空港まではお父さんとお母さんが送って行く。
高松空港には弘子おばちゃんが迎えに来る。
弘子おばちゃんは、お母さんの妹。

いつもの夏はお母さんと3人。新幹線で香川まで旅行してた。まだ瀬戸大橋がなかった時代。
新幹線だととっても遠かった。着く頃には座り飽きてヘトヘトになる。
でも、船を見つけるとワクワクしてくる。フェリーに乗ったらようやく香川に着く。
おばあちゃんちまであと少し。

元気になったのは私達だけじゃなかった。
よそよそしく同じ新幹線に乗っていた家族連れも、フェリーの待合所ではおじさんが途端に讃岐弁を話して張り切りだしていた。

みんな香川に行けてうれしいんだね。
香川はとってもいい所。
何と言ってもうどんがおいしい。
一番安いのはなんと100円!ネギと天かすはかけ放題。
香川はお大師さんが生まれた所だから、お寺がたくさんある。お遍路さんも世界中から来る。

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今年は飛行機で香川旅。
飛行機には去年、九州から東京に引越した時にも乗った。
あの時は妹がたくさん吐いて大変だった。

今日は妹が乗り物酔いしませんように。
だって、ふたりだけで飛行機に乗るのだから。
妹が吐いちゃったらどうしよう。

電車からモノレールに乗り換えると、どんどん空が広がってきた。
入道雲が元気いっぱい。ビルが小さく見える。

羽田空港に着くと、全日空のカウンターでお父さんが受付をしてくれた。
私と妹のワンピースに“ジュニアパイロット”と書かれたバッジをつけてくれた。
青のラインが入っていて、とってもかっこよかった。
ジュニアパイロットっていう言葉の響きをとっても気に入った。

バッジを付けてもらうまでは楽しかったけど、そこからは不安な気持ちが広がってきた。

お父さんとお母さんがいないのはやっぱり不安。
子どもだけで高松まで行けるかな。

飛行機に乗るまでは、全日空の人が案内してくれた。
「親指と人差し指の間をグリグリすると、乗り物酔いしづらいからやっておくといいよ」って教えてくれた。

さっき手を振った、お父さんとお母さんの顔が忘れられない。
お母さんの病気がどうか治りますように。

飛行機が離陸してからしばらくして、ジュースをもらって飲んだ。
喉はカラカラ。とってもおいしかった。

飛行機は時々揺れて、ちょっと怖かった。
トイレに行った時に近くの窓から外を見たら、歩けそうなくらいフワフワモコモコの雲が見えた。
真っ白なジュータンみたいで、降りて歩いてみたいなと思った。

指の間をグリグリしたお陰か、私と妹は乗り物酔いせず、元気に過ごせた。

着陸する前は飛行機が大分揺れて怖かった。
耳も変な感じになって痛かった。

妹と手をつないで、ぎゅっと目をつぶっていた。
お母さんの顔、お父さんの顔、おばあちゃんの顔、弘子おばちゃんの顔をずっと思い出してた。
早くおばあちゃんに会いたい。

飛行機がドスンといって着陸した。
その後のゴーーーーッという音がすごかった。

やった、ようやく着いた!

高松空港の到着口までは、全日空の人が連れて行ってくれた。
ジュニアパイロットはいつも全日空の人が教えてくれるから安心だ。

高松空港に着いたことがとってもうれしかった。
子どもだけで高松まで来ちゃったよ。

飛行機を降りたのに、足元がふわふわしてまだ飛行機に乗っているみたいだった。

弘子おばちゃんが迎えに来てくれていた。
ニコニコどころじゃない、とびきりの笑顔で大きく手を振っていちばん目立っていた。
知らない場所に知ってる人がいて、何だか不思議な感じがしたけど、すごく安心した。

弘子おばちゃんが全日空の人にお礼を言ってくれた。
「子どもだけで来れるとは思わなかったけん。ほんまにありがとな」と。何度も何度も。

子どもだけで旅したのはこの一度きり。
手術をしたお母さんは、その後体調を戻すのにとてもしんどい思いをした。
退院できたのは夏休みが終わって、冬になる前だった。それまでずっと入院してた。
毎日必死にがんばって、手術のあとは本当に辛かったと言っていた。

あれから、もうすぐ40年が経とうとしている。

今では時代も変わって、年に何回も飛行機に乗るようになった。
日本や世界で楽しい旅をいっぱいしてる。

だけど“忘れられない旅”という文字を見て、真っ先に蘇ったのは妹とふたりで飛行機に乗った、高松までの旅。
ジュニアパイロットのバッジをつけて、妹と大冒険をしたあの旅。





#忘れられない旅

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