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雨中にジャスミンが香る頃 マカピーな日々#0445

マカピーです。

モンスーン(雨季)の頃、ベトナムの首都ハノイの街角で枯れる様なばあちゃんがジャスミン(茉莉花)をカゴに持ってきて、それを小袋に入れている光景を思い出しました。

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マカピーは出勤途中のバス停の向かいで、小さな竹篭の店を広げるばあちゃんを見かけると、いつ来るか分からないバスにヒヤヒヤしながら、老婆からいつも小袋を二つ買うのでした。

バスに乗っている間にもプラスチック袋の袋を緩めて、そこから香るジャスミンを周囲の人に楽しんでもらいました。

自然の香りは人工的な香水スプレイと違い、へんにまとわりつかずやさしく車内に漂いました。

その一つの袋は出勤した交通技術研究所の事務所で広げます。水を張った小皿に乗せて香りを楽しみましたが翌日には茶色く枯れていました。

もう一つは冷蔵庫に入れておいて帰宅する秘書さんに渡すか、もしくはマカピーのアパートに持ち帰り夜通しかすかな香りを楽しみました。

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フィリピンのマニラではジャスミンを「サンパギータ」(国花)と呼んでいました。教会の前などでは献花用にイランイランの強い香りのあるアクセントのあるタッセル(飾り)が売られていましたし、タイのバンコクでもかなりの数量を壺状に編み上げてお寺に献花したり自動車のルームミラーにぶら下げている人がいました。


シリアのダマスカスも市の花がジャスミンだそうです。住む国や宗教が違っていても、献花にジャスミンを使うんですね。

マカピーは長男と次男が生まれたマニラから帰国してずいぶん経つのですが、再訪を果たしていませんのでおそらくその変貌ぶりはかなりのものでしょうね。

コラソン・アキノ政権のころマニラ中心商業金融センターであったマカティ地区近くのビレッジに住んでいました。

ビレッジの入り口には24時間警備員が詰めているので、他のオープンな場所より比較的安全な居住区でした。

長期滞在する駐在員とその家族も、市内に幾つか点在するビレッジの名前を聞いただけで、そこの平均的な家賃、住人の所属する会社の大きさや給与といったクラスがおぼろげながら分かるものでした。

つまり一言で言えばビレッジは高級住宅地で、普通の通りにあるサリサリストア(小売商店)もないのでした。

古くからあるビレッジの生活では週末ともなると、車でスーパーマーケットやモールそして生鮮食料品を売るファーマーズマーケットなどに出かけていました。

マカピーが住んだ家は一棟を二軒に分けたDuplexと言われた二階建てタウンハウスでガレージと裏に小さな洗濯干し場とメイド部屋がありました。

そうです、当時マカピーはメイドさんとドライバー(運転手)を雇っていたんです。はた目には高級階層のカテゴリーに入っていた事でしょうね。「駐在員」的な存在ですが、マカピーの関係していた組織では家のお手伝いや運転手、車の購入も当然のごとくすべて自分で工面するのでした。

それに対して商社等の駐在員家族の場合は、そうした住宅、車、使用人その他の滞在に関わる支出が「会社持ち」である場合が多く、大企業であればあるほど高級感が漂っていましたが未知なる世界でした。

それはマニラに3年以上滞在したのですが、二人の男の子が生まれた時期とも重なり、マカピーはカラオケもゴルフもほとんど無縁だったので企業関係の方とお付き合いが無かったからでした。

もちろん、単身赴任の方や人を雇い入れる面倒を嫌ってアパートに住む人もいましたが、マカピー家族のマニラ滞在はジャスミンの香りから思い出されるのでした。

次回は「マニラのサンパギータ売り」のお話の予定です!

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。ジャスミン茶の香りも素敵ですね

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