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マニラにサンパギータ売りの女の子がいた マカピーな日々#0446

マカピーです。

前号からの続きになります。


マニラで一番格下?と思われる「ビレッジ」を選んだのは徒歩でも買い物にでられる立地条件だったからです。

商業地区から遠い高級ビレッジだと車が必要になります。

住居は夫婦とこれから生まれてくる子供のスペースが最低条件で、家賃の自己負担が可能なリーズナブルなタウンハウスに落ち着きました。

そこに日本で手配した三菱の『ギャラン』が到着し、運転手を知り合いから紹介してもらったのでした。

「海外での仕事が決まったから」と結婚を迫って? 分かったのはマカピー妻は既にフィリピンに旅行も含め各国を歩いていた、バックパッカー経験者だったことでした。

独身時代のマカピー妻はフィリピンの市内バスでの移動中にバッグをナイフで切られて中身を盗まれる一歩手前で気付き、なんとナイフを持つ主犯の男の手をねじ上げ追い払うという「事件」を起こしていたので、この国の印象があまりよくありませんでした。

そこへ持ってきて経済観念が欠落してたマカピーは「4輪駆動の三菱パジェロが欲しい!」と叫んでいたのには理由がありました。

当時マカピーは650ののオートバイと一升瓶一本で譲ってもらったHONDAの『360Z』(360㏄空冷エンジン)は長い間鎌倉の海辺で腐食の穴だらけとなっていた貫禄あるものでした。


ですから仕事に就いて新車、四輪駆動というのが乗れると思い、舞い上がったんでしょうね。

ところが現地事情を知ると「フィリピンで車両強盗の対象車ナンバーワンがパジェロ)」と分かりパジェロ案は却下されセダンになったのでした。

パジェロが欲しいと言ったのに、おバカで元手になる貯金もなかったマカピーは、新婦からギャラン購入のお金を工面してもらったのでした。

恐ろしい事に、その事を思い出したのかマカピー妻は「ワタシはまだあの時のお金返してもらってないからね!」とくぎを刺すのでした。

「ええ?だってあれはワタシのからだで返したでしょう?」って答えたら「バッカじゃないの!」と一笑に付されました。

敵は相当シブトイのでした。

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さて、ビレッジ前の交差点では信号待ちの車に幼い子供がコンコンと窓を遠慮がちにノックして「サンパギータ」を売りつけに来ます。

暑い日差しの中でも、スコールの雨の中でもサンパギータ売りは続けられます。

実はこの幼児労働はほとんど犯罪がらみなのです。

というのも、幼児たちはどこからか「人さらい」によって供給を受けた「やりてババア」が何人か養育して、鵜匠よろしくその上がりで生活しているのでした。

サンパギータもちゃんとしたタッセル(飾り)に編み上げられた高級なものでなく、貧相な麻の繊維に数個花のつぼみが付いただけのものです。

つまり、彼らはお涙ちょうだいの「乞食」をさせられていたのでした。

マカピーも幾度か買いました。でもその背後のシステムを知ると何時しか窓を開ける事はしなくなりました。


ある日マニラに数年暮らす日本人家族のもとに日本から友達家族が来た時の話を聞きました。

ちょうど二つの家族には小学校低学年の女の子がいて、市内を車で走っていいる際にその出来事は起こりました。

日本の女の子が例の「サンパギータ売り」の様子を車中から見てしくしく泣きだしたのだそうです。

最初はどういうことか分からなかったのですが、物売りをしなくては生きてゆけない彼らの状況の説明を受けたのでショックを受けたのでした。

隣の現地滞在が長い女の子は「どうしたの?お腹でも痛いの?え?サンパギータ売りがどうかしたの? ああ、あれね。毎日見るけど別にー」と全く意に介さなかったそうです。

いい意味でも悪い意味でも、長期滞在していると日本から来たばかりの新鮮な見方が出来なくなり、更に日本とは比較にならないような悲惨な状況を沢山見てきてしまうと、神経の一部がマヒしてしまう事があります。

あれからずいぶん長い時が流れました。

サンパギータ売りがパブの前や交差点にいるのか知りませんが、想像するに格差社会がある限り消えることはないと思います。

社会のセーフネットが弱まると日本でだって「サンパギータ売り」が生まれかねませんから注意が必要です!

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。サラマッポ!




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