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1961年以前の先見性 マカピーな日々#0440

マカピーです。

昨日の温泉日帰り旅行のお供に本棚をながめて手にした新潮文庫は

『ようこそ地球さん』(星新一)でショートショートというジャンルを切り開いた作家の作品で多くの方が知っていると思います。

マカピーはその「あとがき」で著者がこの作品は昭和36年6集以前の作品を集めたと書いているのをみてビックリしました。

1961年以前なんですよ!

でも作品群の内容は近未来などを描いているのに、いまだに古さを感じさせないのです。

つまりこの著者の確かな未来への予測と「人のいい加減さ」を鋭く切り込む展開に再度驚きました。

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その「あとがき」では『探検隊』という作品で南極観測隊が現地で使用したカラフト犬を回収できずそのまま置いてきぼりにしたけれど、タローとジローは繋がれていた鎖を食いちぎり、野生のペンギンを食べながら厳冬期を生き抜いて、次の観測隊で再会する感動の話から想起したと記述しています。

マカピーもこのエピソードを映画化した『南極物語』を見ていますけど、彼は外敵に襲われて仲間を失うペンギンの身にもなってみろ!という気持ちで「人の身勝手さ」を皮肉っています。

しかも、彼は英国人だったらこのような場合であれば迷わず射殺していただろうとも述べているのです。動物愛護に関しては世界をリードしている国であっても「それ以上飼えなくなったら殺すべし」が常識だというのです。


この記述を読んで思い出したことが二つあります。

一つは映画『ワイルドギース』という傭兵部隊が作戦終了間際で迫りくる敵の集団をから飛行機で脱出するけれど、一人被弾した仲間が走れなくなりその場に置き去りにされ確実に殺されることになる。

でも飛行機を停止させれば、離陸のチャンスが消え全員が死ぬことになる判断を迫られた時、置き去りとなる彼は仲間に懇願する「頼む、お前が殺してくれ!」と絶叫するのだった。

そんな場面がいまでも頭に焼き付いています。


もう一つはカンボジアでの事。

知り合いになったオーストラリア人夫妻はご主人の引退でオーストラリアまで自作のボートで帰国するので不要となった家具を譲ってくれたのでした。

それまでに、長い航海経験を持っているからでしょうけど、なんともマカピーから見ると常識離れしたスケールの大きな話に驚くばかりでした。

その家具を引き取りに行くと、動きが鈍くなった老犬が寄ってきてマカピー夫婦の臭いをかぐと、また彼の定位置に戻って行く姿が気になって尋ねました。

「あの犬はどうするんですか?誰かに引き継ぐのですか?」

「うん、この家を出る前に、殺すことにしているんだ」とちょっと悲しそうな顔をし指さす方向を見ると、庭の片隅に穴が掘ってありました。

「それで、提案なんですけど、お宅の犬をマカピーが引き取るってのはどうです?私はおそらくあと3年ほどここに滞在するでしょうし、うちでも2頭の犬を飼ってますが、この犬が加わってもおそらく喧嘩する事は無いと思うんです。責任を持って最後まで飼いますからあの犬を私に譲ってください

「優しい言葉をかけてくれてありがとう。あの犬は娘が大事に育てた犬なんですよ。今オーストラリアの大学にいる彼女と電話で話をして、そう決めたんです。それが彼にとって一番幸せな選択だって

そして、もうそれ以上の口出しを許さない厳しさが感じられマカピーは黙るしかありませんでした。

家に戻っても、あのオーストラリア人夫妻の決断が、どうしても理不尽に思えてマカピーは妻と話し込んだのでした。

「どうして、殺す考えになるのかなあ?それとも日本人が違うのかなあ?」

「まだ生きている命を勝手に殺していいとは思えない。しかも10年以上家族の一員として一緒にいたペットだよ」

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最近、ペットで飼っていた外国からの動物が各地で野生化している事件が目につきますし、犬猫の殺処分をめぐる話題も尽きません。

当時、マカピーも良く理解できなかったことも、その後も幾年も犬を飼ってきた経験からマカピーはこう思います。

ペットは野生ではないから、飼い主が責任をもって管理するしかないのです。一度飼い始めたら死ぬまで面倒見る事です。

自分が飼えなくなり誰も面倒を見ることが出来なくなったら殺処分もやむをえません。責任放棄は許されません。そのくらいの覚悟がある人のみが飼うべきです。

処分が可哀そうだと公園などでそっと放してしまえば、それが野生化して環境問題を引き起こす元凶になる事を飼育前にきちんと理解すべきです。


マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。自分のペットはとても可愛いけど、他人はそう思っていないと考えましょう。







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