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15歳のキミへ マカピーな日々#0314

マカピーです。

幼なじみが中学校の卒業文集を送って来てくれました。

さすがに文集そのものではなく、PDFファイルでしたがついでに当時の写真もありました。

そこで、マカピーは15歳の自分と再会したのです。

マカピーの学校は同級生が120名ほどの田舎の中学校でした。

マカピーは生徒会をやったりバレー部のキャプテンをしたり高校受験があったり・・・いろいろ忙しい中学生活最後の年でした。

そもそもマカピーは中学校の部活でバレーボールをやるなんて思ってもいなかったのですが、近所の幼なじみの先輩がいて…という理由からの入部でした。

ところが、このチームはすごく元気が良く仲が良いだけでなく研究熱心で自分たちで練習メニューや試合運びなども編み出していました。

監督役の数学教師は、生徒たちの自由に任せていたので、彼のもっぱらの役割は他校との試合の時「タイムアウト」のゼスチャーをするだけでした。

この中学校、部活が盛んだったので校庭は陣取り合戦さながらでした。野球、サッカー、テニス、バレーボール、陸上がゴチャゴチャ状態でしたが、県下で一番スポーツ成績の良い学校だった頃の事です。

入部したての一年生が「球拾い」をするのは、各種ボールが飛び交うのでプレーに支障がないように守る必要でもありました。

更にバレーボールを始めたばかりの1年生には基礎体力もないし技術力がないからパス、レシーブ、サービス、スパイクどれも慣れるのに時間がかかりましたが、半年もすれば形になるのですから能力があったんでしょうね。

先輩たちの成績は素晴らしく、マカピーが入部してすぐの春の県大会で準優勝すると「関東大会」で東京での試合に出場することが出来ました。

球拾いと応援の声をあげるくらいしかできないのにマカピーたち一年生も同行が許されました。東京の本郷に宿を取り、そこから八王子の会場にゆきました。大会では初戦敗退だったのか覚えていませんが、三年生が最後の夏の大会でも準優勝し県下でも一目置かれるチームだったのです。

三年生が受験勉強で部活から手を引くと二年生中心の活動となりマカピーも一年生名がらレギュラー選手になっていました。

ところが夏休み明けに仲の良かったバレー部の同級生を失いました。彼はもともと心臓が弱かったので部活の練習中もマカピー達は無理をさせないように注意していたのですが、授業に事故死してしまったのでした。

毎日一緒にいた友が突然いなくなり一時は部活ができない程ショックでした。

翌年の県大会でチームは勝ち進みましたが、決勝戦で常勝チームと対戦し惜敗し全国大会出場は叶いませんでした。

そして、夏休み以降はマカピーが率いるチームとなるのでした。

ところが、これまで憧れであった先輩の残した成績がマカピーに重くのしかかってきたのです。

本当は楽しくやれれば良かったのですが、それが出来なかったんです。結果的には県大会出場もできませんでした。

マカピーはバレー部代表として当時の思いを文集に書き綴っていました。それを目にするだけで不思議なもので当時の出来事がありありと思い浮かぶのでした。

みんなありがとう。みんなと一緒にバレーボールができて幸せだったよ。

本当はこの一言だけでよかったのに、素直じゃなかったんです。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。努力はむくわれます!





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